19 難産(6)
「西の陣地の結界が破れた」
ジョゼシラが西の城の方角を見た。考え事に気を取られていたビルセゼルトも急いで確認する。
陣地の結界は完全に消えている。だが城の結界は何とか持ちこたえている。騙惑術も有効で、サリオネルトの気配は感知できるものの、どこにいるかは判らない。
一瞬途切れた北の陣地からの攻撃が再開され、手探りで何かを探しているように見える。結界の穴を探しているのかもしれない。ホヴァセンシルの指示だ、とビルセゼルトは思った。
結界を張ったのはサリオネルトだろう。大地の守護を加え、一見強力な結界に見える。その実、ほぼ崩れた結界の土台を覆い隠して見えなくしているというのが本当のところだ。
この状態なら、どこか一箇所に集中して放術されれば、結界はグズグズと崩れていく。それを防ぐため、結界の穴を探せと、定石の指示を出したのだろう。だが、どちらにしろ、そう長続きしない。
と、またも北の陣営からの攻撃が中断された。ホヴァセンシルの目論見を看破する魔導士がいたか、とビルセゼルトが何気なく、意識を西から北へと移す。
瞬間、強い思念を感じ、慌てて注視する。
(ホビスが怒っている。しかも尋常でないほどに)
それに誰かいる。あれほどの力を持つ魔導士は誰だ? ホヴァセンシルとは全く別の強い力、並みの魔導士ではない。
(ホビスと対抗している? 少なくともホビスがそいつに向けているのは敵意だ)
何があったというんだ。ホヴァセンシルが敵意を剥き出しにするなんて、普通じゃない。まさか、ホヴァセンシルの意図が知られてしまったのか?
どちらにしてもあれはジャグジニアではない。ならばドウカルネスと言う魔女なのか?
(違う、あれは魔導士だ)
ビルセゼルトが空を見上げる。太陽はほぼ中天にいる。
東の魔女の居城でも、ソラテシラとダガンネジブが最上階で、西の魔女の居城を見守っていた。
後ろには城住みの魔導士や、ギルドから派遣されて、いまだに撤収していない魔導士が控えていて、やはり西を見守っている。陣地の結界が破れ、城の結界がむき出しになっている。そこに攻撃術がばらばらと降ってくる。
ダガンネジブがぽつりと言う。
「ホヴァセンシルは、やる気がないんじゃないのか?」
「はい?」
ソラテシラが不思議そうに夫を見る。
「あの糞ガキはデリアカルネの甥孫でカガンセシルの上の息子だろう? 評判通りなら、こんなつまらない攻撃はしないはずだ。この状態なら結界の穴を探すより、力を一箇所に集中させたほうがいい」
「あなたは西の居城の結界が崩れればいいと仰るの?」
ソラテシラが怒りを込めて言う。
「そうじゃないよ、ラテ。ただ、この戦争がひょっとしたら狂言というか、仕組まれたというか、でも、もしそうだとしたらビルセゼルトやサリオネルトも共犯かもしれないと思った」
「何を言っているやら。そうだとしたら、何が目的なのです?」
ソラテシラは呆れるが、なんとなく北に意識を向ける。そして、
「あ、あれは?」
と、見る見る青ざめる。それを見てダガンネジブも北を見てハッとする。
「あれは……スナファルデ」
北の魔女の居城・最上階では、ホヴァセンシルと、そこに現れたスナファルデが対峙していた。スナファルデの傍らに、ドウカルネスとジャグジニアもいる。
北の陣営の魔導士たちは、何事かと二人を取り巻き、スナファルデの顔を知る者はホヴァセンシルを護るべく攻撃体勢を取り、顔を知らない者はいきなり現れた高位魔導士は誰だろうと訝っている。
どうする? とホヴァセンシルは頭をフル回転させて、この状況を乗り切る算段をする。なぜ部屋を出た、と言いかけて言葉を飲み込んだ。それを言えば、並み居る魔導士に、スナファルデがこの城に以前からいたと知られてしまう。それを裏切りと感じる者も多いはずだ。今は誤解を解く暇はない。
「なぜ、ここに?」
これならば、『なぜこの城に』とも取れる。
「サリオネルト打倒の手助けができるかと」
ニヤリとスナファルデが笑う。この場所でこの申し出をどう拒む、お手並み拝見と行こうじゃないか。スナファルデは、そう挑発している。
「あなたは自分が罪人として追われているのをご存じないか?」
「しかし、この北の魔女様の陣営は、ギルドに反旗を翻したのでしょう? つまりはわたしと同じ立場なのでは?」
「北の魔女は正式な手続きに則って旗揚げされた。犯罪と同じだなどと無礼にもほどがある」
ホヴァセンシルが怒りを露わにして、スナファルデを怒鳴りつける。魔導士がスナファルデを捕らえるべく、じりじりと囲みを狭めていく。すると――
バーーーーーン!
大気が破裂音とともに大きく揺れた。先ほどの振動とは比べ物にならない。マルテミアの命が消えた衝撃が大気を激しく揺さぶっている。咄嗟に西の魔女の居城を見ると、土台を失った結界がゆらゆらと揺れている。
強烈な殺気を感じ、ホヴァセンシルが振り返った時は遅かった。
「やめろ!」
ホヴァセンシルの叫びは届かない。
スナファルデの杖から、西の城をめがけて鋭い稲妻が駆け抜けて行った。




