19 難産(1)
東の魔女の居城では、次々と帰城する魔導士たちにソラテシラが戸惑い、怒鳴りつけていた。
「なぜ、西の城を離れるのです? 護れと言ったはずです。護るために西に行ったのに、なぜ今、戻ってくる?」
すぐに西の城へ再度赴き、サリオネルトを助けなさい、そう命じても、誰一人動く気配がない。
「ご自身がお戻りになるまで東の城を護れと、ダガンネジブさまの指示が出ました」
「ダグが? いったい何を考えてそのような指示を……」
眩暈の発作に襲われそうなソラテシラだ。
配下の魔導士を責めても埒が開かないと、ソラテシラが苛々しながらダガンネジブの帰りを広間で待っていると
「よぉ、帰ったぞ」
ダガンネジブの声がする。
「あなた! いったいどういうこと? ふざけないで!」
ソラテシラの罵声に周囲の魔導士たちがすくみ上る中、ダガンネジブは
「咽喉が渇いたなぁ」
気にする様子は全くない。ソラテシラが宙から出したグラスの水を飲み干して、椅子にどっさり腰かける。
「ビルセゼルトは面白い男だ。ジョゼシラが死んだらあとを追うかと聞いたらそれには答えず、命を懸けて護ると言った。死なせるものかと言ったも同じだ。頼もしい男だな」
「何を言っているのです? それより西の城はどうするお積りか?」
「マルテミアはお産で命を落とすそうだ。まぁ、子は無事に生まれるらしい」
「え?」
ダガンネジブのいきなりの言葉にソラテシラが耳を疑う。
「サリオネルトは……多分、あとを追うだろうな」
「何を言い出すの? あなた、気は確か?」
「確かも確か。この目で見てきたことを言ったまでだ」
サリオネルトは腹心一人を残し、全員に退城命令を出した。マルテミアが落命すれば、西の城は守りようもない。産室には何人か魔女が残っているようだが、マルテミアの死と同時に南の魔女の城にでも飛ばすつもりでいるだろうよ。
「それでおめおめと尻尾を巻いて逃げ戻ってきたと、そう言うのですか?」
「相変わらず、俺の妻の言いようは辛辣なことだ」
ダガンネジブが苦笑する。
「俺だって、サリオネルトを引っ張ってこようと一度は思ったさ。なぁ、ラテ、俺たちは一緒になって何年になる?」
「何をそんな呑気なことを。今そんな事を言っている場合ではないでしょう?」
「一緒になって二十五年だ。なかなか子ができなくて、もうだめかと諦めたころ、ジョゼを授かった。六年目の事だった……おまえは初産にはチョイとばかり齢が行ってて、癒術魔導士に『おまえを取るか子を取るか決めろ』って、言われたっけなぁ」
「齢が行ってて悪かったわね」
ツンとそっぽを向いたものの、ソラテシラもその時を思い出したのだろう、少し温和しくなった。ダガンネジブの話を聞く気になったらしい。
「俺は迷わず〝おまえ〟と言った。だけどおまえは俺を無視して、なんとしてでも子どもを守ってと、癒術魔導士に縋りついた」
結局、俺はおまえを説得できなかった。女は子どもを産むようにできていると言い張るおまえを、納得させることが俺にはできなかった。そしておまえの腹が、どんどん膨らんでいくのを見守るしかなかった。
おまえは幸せそうで、説得できなくて良かったのだと時には思うこともあった。胎内の子の成長は俺にとっても喜びだった。おまえの腹を蹴る振動に触れた時、どれほど嬉しかったことか。これが俺とおまえの子なのだと、感動で胸が震えた。
「けれど、お産が終わるのを産室の隣で待つ間、俺はずっと後悔していた。陣痛で苦しむおまえの声が聞こえていた。このままおまえに何かあったら、俺はどうしたらいい?……最初から、子どもなんか欲しがらなければ良かった、医術魔導士に選べと言われた時、殴ってでも諦めさせればよかったと思った」
あの時俺は、おまえが万が一、命を落とすようなことになれば、『俺も生きていられない。一緒に行こう』と思っていた。
「今、考えると、生まれてくる子どものことなど一切頭になかった。酷い父親だ」
ダガンネジブが薄く笑う。
「結果的に、女は子どもを産むようにできていると言ったおまえが正しかった。偶たまかもしれないが、少なくともあの時はそうだった。ジョゼシラは無事に生まれたし、おまえは俺の隣に戻ってきた」
俺は世の全てに感謝した。生まれてきたジョゼは小さくて頼りなくて、守ってやらねばならないと感じた。そして守りたい相手がいる事は幸せなのだと知った。
ダガンネジブは少しだけ遠くを見つめた。そして溜息をつくとこう言った。
「サリオネルトを見ていて、その時を思い出したのだよ。そして思った」
妻を追うか、子を取るか? どちらにしたとしても、それはサリオネルトが選んだ人生だ。
サリオネルトが決断するのは、妻が命を落とし、生まれてきた子の顔を見てからだと俺は思う。
「俺としては、なんだな。我が子を育てる幸せを……サリオネルトにも味わわせてやりたいんだがな」
この件はビルセゼルトも承知のことだ――最後にダガンネジブはそう言った。




