18 緒戦(4)
未明にモネシアネルは西の城を出ている。
目立たないよう、街の魔導士の拠点を経由し、市井の者に成りすまして馬を走らせた。南の陣地に入ったころ、曙の空を見ている。
親書をモネシアネルに手渡したサリオネルトは、でき得る限りの保護術を彼女に施した。
《魔導士サリオネルトの名において、火・水・風・大地・稲妻に命じる。魔女モネシアネルに仇なすことを禁ずる》
サリオネルトの得手、すべてを唱している。
サリオネルト以上の力を有する魔女・魔導士、あるいは光と影を操れる者に出くわさない限り、モネシアネルは無事に目的地にたどり着ける。さらにサリオネルトはモネシアネルに自分の配下である証を付けて送り出した。これで疑われることなく、南の魔女の居城への入場を許されるだろう。
太陽が新たな光を大地に注ぎ始めたころ、西の城の最上階にサリオネルトが顔を見せた。居並ぶ魔導士たちに会釈をしながら、その間を通り抜けていく。最前線に向かっていた。
最前線でサリオネルトはある魔導士に目を止めた。
「あなたは……」
「よう、サリオネルト。手助けに来たぞ」
東の魔女の夫ダガンネジブだ。ロクに話したこともない魔導士が自分を助けるために、危険なこの場所にいる。
ふと辺りを見渡せば、見知った顔のなんと多いことか。王家の森魔導士学校の黄金寮で、同じ時間を過ごした友の顔が並んでいる。そしてサリオネルトと目があえば頷いてくる。
「わたしは……」
決して一人ではない。こんなにも多くの仲間が、助けようと集まっている。
滲み出る涙を懸命に堪えた。居並ぶ魔導士たちに命じなければならない事がある。それはきっと、彼らの意に反するだろう。済まない、みんな……
「西の魔女の名代・魔導士サリオネルトが、西の陣営の魔女・魔導士に命じる――正午に城を放棄する。早急に身の安全を確保し、南もしくは東の魔女の陣地へ逃げ延びよ……残るのはわたしとブランシスのみ。他は全員、今すぐ退避を始めろ」
一瞬、西の陣地の結界が弱まる。サリオネルトの言葉に、魔導士たちが一様に動揺した結果だ。予測していたサリオネルトが瞬時に補填していなければ危なかっただろう。
「待て、サリオネルト」
再度結界を補強しながらダガンネジブが抗議する。
「俺はおまえがここにいる限り、おまえを手伝うぞ」
そうだそうだと周囲からも声が上がる。
「ありがたいことです。が、命令を撤回する気はありません……お願いです、強権の発動はしたくない。従ってください」
サリオネルトが目を伏せる。ここで言う〝強権〟は城の主としてのものだ。強権を発動すれば、城に掛けられた魔法により、撤退を命じられた者は瞬時に任意の場所に飛ばされることになる。
そして続けた――声のトーンが落ちたのは、本心では言いたくなかったからだ。理解はしていても納得なんかしてない。言えば認めたことになる。認めたくないのに、言わなくてはならない。
サリオネルトの声は静かだった。
「正午……夏至にマルテミアは出産するでしょう。子は無事に生まれます。が、マルテミアは助かりません」
「なんだと?」
またも動揺が走り、結界が揺れる。サリオネルトがさらに補強する。
「お判りでしょう? マルテミアの死で、陣地の結界も城の結界も消失します」
「ならばマルテミアとおまえも供に行こう。二人は俺が護ってやる」
ダガンネジブの言葉にサリオネルトが悲し気に微笑む。それが出来る事ならば、その手に縋っていただろう。だが、星はそれを許さない。
「マルテミアはこの城で出産しなければなりません。子に加護を与えるためです」
「統括魔女の子に特別に与えられる大地の加護か。それがなければならないというものでもなかろうが?」
「いいえ、どうしても必要です。世の安寧のために」
ダガンネジブが息を飲み、小声で呟く。
「示顕王……?」
と、その時、後方に姿を現した魔導士がいた。前線に向かって足早に、他の魔導師を押し退けるように近づいて来る。ひしめく魔導士たちは気が付けば、慌てて道を開けている。
「サリオネルト! あ、これは義父上」
ビルセゼルトだ。西の陣地の結界が揺れ動くのを見て、居ても立ってもいられず、とうとう西の城に移ってきた。
「陣地の結界が揺れた。どうしたんだ?」
「ビリー……」
ビルセゼルトの顔を見て、サリオネルトが揺れる。会いたいが、もう会えないと思っていた。だが、ここに来て欲しくはなかった。ここには危険が迫っているんだ、ビリー。
「この城は正午に放棄する。ギルドに戻って備えてくれ」
自分を見るなりそう言ったサリオネルトの肩を抱いて、少しでも周囲から離れるようビルセゼルトが歩きながら小声で言う。
「何を言っている。打ち合わせと違うじゃないか」
それに合わせてサリオネルトの声も小さくなる。
「想定外の出来事が起こる。マリは出産に耐えられない」
「?」
「星見の言う『落命』はマリを指していた。死産でなければマリは無事と、わたしが思い込んだだけだった」
「そ、んな……」
ビルセゼルトが立ち止まり、まじまじとサリオネルトの顔を見る。サリオネルトはいつもの笑みを浮かべ、ビルセゼルトを見ている。
マルテミアの死を知って、サリオネルトは覚悟を決めた。心配していた力の暴走もない。ならば、俺にできることはその覚悟を見届けることだ――ビルセゼルトはサリオネルトに従うと決めた。
「ビリー、モネシアネルという魔女が来なかったか?」
「あぁ、確か、西から来たって魔女が一人、おまえの証があるというので入城を許可した。その魔女か?」
「うん、その魔女に間違いない。ジョゼシラ宛ての親書を預けてある。詳しい事はそれを読んで欲しい。頼みたいことをいろいろ書いた」
そう言いながらサリオネルトは、防聴術と軽い結界を自分とビルセゼルトの周囲に掛けている。
「正午にわたしの息子は生まれる。その子を護って南に逃げるよう、ブランシスに命じた」
「うん、それで?」
「生まれた子は示顕王であり、そしてわたしでもある」
「どういう意味だ?」
「詳しくは親書に認めてある」
「今は言えないのか」
「夏至の訪れで明らかになる。それまではわたしにも判らない。親書には夏至に起こったことにより、表れる言葉が違ってくるよう術が掛けてある。必ず夏至が過ぎて、ブランシスが戻ってから開封して欲しい」
「そんな複雑な術をいつの間に使えるようになったんだ?」
そんな事が聞きたいわけじゃない……焦燥感が涙を生み出すと、ビルセゼルトはこの時まで知らなかった。
「西の城を去れ、ビルセゼルト。みなを連れて行ってくれ。わたしの言葉に従ってくれない者ばかりを、よくもわたしの許に送り込んだものだ。責任を取ってもらおう」
「あぁ、おまえを護るのに必死になってくれる者ばかりを選んだ。おまえを捨てて逃げろだなんて、誰一人、聞きいれるものか。しかし、頼まれたなら仕方ない。全員護ると誓ってやる」
それから、とサリオネルトが言う。
「城を出る前に、騙惑術を掛けて欲しい」
「判った。結界が崩壊してもおまえの居所が判らないようにすればいいんだな?」
「うん、頼むよ、ビリー」
ありがとう、大好きな兄さん……声に出せない言葉をサリオネルトが心に浮かべる。それがビルセゼルトに届くことはない。
「いいか、おまえの力なら、城の結界が崩壊しても、マリを抱いて南の城まで飛べるはずだ。最後の最後まで諦めるな。いや、諦めないでくれ」
おまえを失いたくないないんだ、サリー……ビルセゼルトも心の中で呟いている。その思いは、サリオネルトにも届いていることだろう。




