18 緒戦(3)
北の魔女ジャグジニアはなかなか上がらない戦果に焦れていた。
(いっそホヴァセンシルさまを更迭なさいませ)
そっとドウカルネスが送言してくる。
(なにを言う? 今、ホビスがいなくなれば、指揮を誰がとるのです?)
わたしにそんな知恵はない。たとえ貶すことがあったとしても、ジャグジニアは夫の魔導士としての実力を過小評価していない。そもそもホヴァセンシルの知恵や技術に心をときめかせたジャグジニアだ。
(なぁに、代わりの者など居ます)
ドウカルネスはさらにジャグジニアを唆す。
(たとえば……地下に閉じ込められたあの御方。あの御方がホヴァセンシルさまに引けを取ることはございますまい)
(そんな事をして、ホビスの怒りを買うことは目に見えている)
(だからホヴァセンシルさまにはご退場いただくのです。拘束して幽閉されればよいかと)
(ホビスを拘束? 幽閉? ドゥク、彼はわたしの夫なのですよ?)
ジャグジニアは一番のお気に入りの魔女の顔を見詰めた。
西の魔女マルテミアは難産に苦しんでいた。すでにまともに口もきけない。苦しみ続けるだけだ。それでも、産室に詰める魔女たちがサリオネルトを呼び出そうと相談を始めると、
「それはいけない」
と喘ぎながら口にする。
「今、あの人の邪魔をしてはいけない」
北から西への攻撃も二日目、やがて日没を迎えようとしている。
陽が昇りダガンネジブが施した術が効力を失うころには、火の使い手たちが結界を強化して、補っている。太陽に呼応する火は、昼間のほうが強い力を発揮する。そして火の使い手は多い。だが、もうすぐその太陽も姿を隠す。
東の魔女の城では戦況報告を受けながらソラテシラが早めの夕食を摂っていた。
「戦況に変化なし? その目は節穴か? 西の陣地の結界は崩壊寸前です。マルテミアは難産に苦しんでいるのでしょう」
ビワの皮を指先で摘まみ、スーッと引いて皮を剥く。そしてそのまま齧りつく。果汁が滴るが球となって、ふわふわと空中に浮かんで消えた。
「持って明日の朝。それまでにお産が終わっても、すぐに回復するはずもない。そして陣地の結界が破られれば、城の結界もすぐ破られることでしょう」
次にはイチジクを割いて口に運ぶ。そして咀嚼しながら視線を巡らせる。
「城の結界は正午――夏至まで持つかどうか」
ソラテシラは立ち上がると姿を消した。自分の目で確かめるため、東の城の最上階へ向かったのだろう。手にイチジクの残りを持ったままだと本人は気が付いていなさそうだ。
陽が沈み、大地が宵闇に包まれる頃、ダガンネジブが再び空に光を放った。陣地を護る統括魔女の力がさらに弱まっている今、昨日ほどの効果がないとは判っていても何かせずにはいられなかった。
西の魔女が張った結界は形もはっきりしないほど衰えている。いくら丈夫な屋根を作っても、それを支える柱が脆くては意味がない。
街から城へ、配置を変えろと申し出ているが返事はまだない。いっそ、押しかけてやろうか? 西の陣地の結界が崩壊してからでは、城の守りは固められ、入城できなくなるかもしれない。ダガンネジブは焦れ始めていた。
南の城ではビルセゼルトもまた、西の魔女の居城にいつ移るかを考えていた。移るなら西の陣地の結界が破られる前だ。それとも今すぐ移り、内から結界を強化するのを手伝うか?
本当に危うくなるのは陣地の結界が破られた後、どうしても穴が多くなる城の結界を、北が突いてくるのは目に見えている。すぐ行ったとしたら、自分の体力はどれほど持つだろう? やはり肝心な時のため、温存しておくほうが得策か?
昨夜は一睡もしていない。明日に備えて少しでも寝ておくか? いや、ベッドに横になったとしても眠れるはずもない。体力の回復が望めないのならば、西の城に行くのはやはり、陣地を守る結界が崩壊確実となった時……
西の陣地の結界に投げられる様々な呪文の炸裂に、空に広がっているはずの星々が、今夜は西の城の星見のテラスにいても一欠片も見えなかった。
刻は夜半、サリオネルトが星見魔導士と密談している。星見魔導士の言葉にサリオネルトは黙ったままだ。
「サリオネルトさま……」
「ふむ……」
星見魔導士がサリオネルトの言葉を待つが、サリオネルトが口を開く気配はいっこうにない。
「サリオネルトさま?」
再三に渡る呼びかけに、ようやくサリオネルトが反応を示す。
「ふむ……話は判った。決断しなくてはならないという事だね」
なんと言っていいのか判らなくなり、今度は星見魔導士が黙ってしまう。
そんな星見魔導士に、サリオネルトが微笑みかける。
「モネシアネル、一つ頼みがある」
いったい何を頼まれるのか? 恐れの中で、星見魔導士が畏まって答えた。
「はい、なんなりと」
「おまえは夜明け前までに城から落ち延びなさい」
「それは……どう決断なさるお積りで?」
それを聞いてからでなければ、迂闊に引き受けられはしない。だが、サリオネルトの決断を聞いたところで一介の星見魔導士の自分に、できることが果たしてあるのか?
サリオネルトがモネシアネルに微笑む。
「マルテミアを失って、生きていけるとは思えない――ブランシスの事は知っているよね? ヤツに生まれてきた子を託す。おまえはヤツを助けてやってくれ」
「いえ、それは、サリオネルトさま? それになぜ、お子をシスに?」
「おまえとシスの事には気が付いているよ。良い夫婦になる事だろう」
モネシアネルの顔が真っ赤に染まる。
「わたしはこれから居室に戻って、二通の親書を書く。一通は南の魔女ジョゼシラ宛て、もう一通はブランシスに宛てて。それをおまえに預ける」
書き終えたらすぐに呼ぶ。それまでは城で待機していて欲しい。
「その親書を携え、一足先に城から出て、南の魔女を頼れ。だが、ジョゼシラに親書を渡すのは、そこにブランシスが赤子を連れて現れてからだ。判ったね?」
「サリオネルトさま! どうご決断なさるのですか? サリオネルトさまはどう動かれるのですか!?」
もう聞かなくても判っている……モネシアネルの視界が涙で曇る。涙が止められないのと同様、わたしにサリオネルトさまを止めるなんてできない。
「……二重星にあんな意味が隠されていたとは」
二重星の本当の意味を先ほど星見魔導士の魔女モネシアネルから聞いた。そしてマリが出産に伴い命を落とすことも。
サリオネルトが空を見上げる。結界が攻撃呪文を弾き返し、攻撃呪文が結界を削り、生じた火花が様々な色に煌めいている。
「二人の示顕王ではなく、示顕王は二人で一人。そうおまえが読むのなら、間違いのないことなのだろう」
視線をモネシアネルに戻してサリオネルトが再び微笑む。
「なぁに、心配はいらない。世の出来事はすべて、なるようにしかならぬ。夏至の刻が来れば判る」
「サリオネルトさま……」
俯いて泣き始めたモネシアネルを残し、サリオネルトは姿を消した。




