16 夫婦(3)
抑えて、というように両手を広げてビルセゼルトに向けると
「ごめん、今のはわたしが悪かった」
サリオネルトが謝った。
「本当に悪いと思っているか疑わしいものだ」
と言いながらもビルセゼルトも睨むのをやめる。
「言い方が悪かった、とか口にするべきではなかった、とか大方そんなところだ」
それをサリオネルトは否定しない。
「んー、だって不思議なんだ。あの時、ビリーはニアが好きだった。初めてデートしたばかりで気持ちは盛り上がっていたはずなのに、あっさりジョゼに、なんだ、言葉は悪いが乗り換えた。あ、っと、それがいけないとは言ってないからね」
ビルセゼルトの怒りを買いたくないサリオネルトが予防線を張る。そんなサリオネルトを見もしないで
「ソラテシラに命じられた時は、仕方がないって自分に言い聞かせた」
ビルセゼルトが語る。
初めて見たジョゼはやせっぽちで男の子じゃないかと見間違えそうで、正直うんざりだと思った。だけど、気が付いたら放っておけなくなっていて、傍にいてやりたくて、まぁ、いろいろあったけれど、ニアの事も忘れた。と言うか、忘れるためにもジョゼの傍にいることを選んだ。
ギルドの決定に逆らう勇気なんか、あの時の俺にはなかった。そして皮肉にも、俺とジョゼの仲は熱いのだと周囲は誤解した。俺はその誤解をあえて解くことはしなかった。どうせいずれ結婚することになるのだから、誤解させておいた方がいいと思ったんだ。
俺はジョゼの力に魅かれたんだと思う。見た事のない強いパワー、だけどそれを自分で制御できなくて翻弄されるジョゼを守らなくてはと思い、教えてやらなければと考え、どこまでできるようになるだろうと期待し、俺とジョゼの関係は恋人というより、教師と生徒と言ったほうが近かった。
気を引きたくてジョゼを指導したわけじゃない。少なくとも、そんなこと考えもしなかった。だけど、文句ばかり言うジョゼと、時には喧嘩しながら魔導理論や術の掛けかた使いかた、そんな話をすることは充実した時間だった。
恋とか愛じゃないと思っているうちに、ジョゼが俺に向ける視線に気が付いた。
知り合った頃、俺はジョゼを追い回すように会いに行っていた。ある時それが途絶えた時、ジョゼは俺に会いに白金寮まで来たことがある。そして会えなくて寂しかったと泣いた。
それを俺は、ほんの子どもなんだ、親元から離れて、友達がどんなものかも知らない。寂しいと思うのも不思議はないと、そう思った。ジョゼが俺に会いたがるのは寂しいからと決めつけていた。
だけど、そうじゃないのだと気が付いた時、ジョゼが俺を恋慕しているのだと気が付いた時、俺は、なんだろう、報われたと感じた。俺の期待に必死で応えようとしているジョゼを、俺も愛しているとやっと自覚した。自分でも気が付かないうちにジョゼを愛するようになっていて、その思いが報われたと感じたんだと思う。
そこまで二年だ。婚約して二年が過ぎてやっと俺はジョゼへの愛に気が付いた。それまで、普通の恋人同士が味わうような甘い時間は一度もない。ときめきなんか無縁だ。そしてそれからも、そんな時間は『寂しい』とジョゼに言わせるほどしかない。
ジョゼがしつこい位に求めてくるのは、その『寂しさ』を埋めるためかと思う時がある。俺は夫として、かなり冷たい男だろう。
黙ってビルセゼルトの話を聞きながら、サリオネルトは思い出したことがある。婚約して二年、とビルセゼルトは言った。丁度その頃、ジョゼシラと頻繁に手紙のやり取りをしていたマリが『ビリーってなんて堅物なの? いまだにキスしたこともないってジョゼが泣いているわ』だから言ってやったの、実力行使に出なさいって。
さて、ジョゼはどう実力行使に出たのだろう。どちらにしろ、成功したのだな、とサリオネルトは微笑んでいた。
そしてもう一つ思い出したことがある。ビルセゼルトはジョゼへの気持ちを自覚していないと言っていたが、マリから聞いた話では、初めからジョゼシラは、ビルセゼルトが自分を愛していると信じて疑っていなかった。
恋は勘違いの賜物……ビリーよ、おまえがそれを言うか? 笑い出したいくらいのサリオネルトだ。
そんなサリオネルトに気づかず、そう言えば、とビルセゼルトが続けた。
「ジョゼに、もしも自分とサリー、どちらかしか助けられないとしたら、どちらを助けるかって、こないだ訊かれた」
「ジョゼが? 何か不安にさせる事でも言ったのかい?」
「あの時は確か……示顕王の一人はおまえだという事を話した時だ。子どものころから、おまえを守らなくてはと思っていたって話したら、そう訊かれた」
サリオネルトが
「わたしを守る?」
と不思議そうな顔をする。
「そうさ、おまえは神秘力を扱えないと思いこまされていたし、なんだ、余所に預けられて不自由な思いをしてるんじゃないかとか、勝手に心配していたし。いつもふとしたことでおまえを思い出して、どうしているだろうと思ってた、そんな話をジョゼにしたのさ」
「そんなふうに思ってくれていたんだ?」
ビルセゼルトを見るサリオネルトの瞳が少し穏やかになる。
「それで、もちろんジョゼと答えたんだろう?」
その言葉にビルセゼルトがサリオネルトの顔を見る。
「それが、答えられなかったんだよ。考えるまでもなくジョゼだ、と言おうとして言えなかった」
「まさかわたしでもないだろうに」
「どちらか選ぶなんてできない、というのが正直な答えなんだと思う」
「それで、ジョゼへの愛に自信が持てなくなった?」
「それはないな。やっぱりジョゼを愛している。おまえが、マリがいないと生きていけないって気持ちが理解できる程度には」
その言葉にサリオネルトが笑う。
「なんだか随分遠回しな言い方だね」
「その時思ったんだよ。どちらか選べと言われたら、俺はどちらも選ぶってね。その代わり自分は要らないと思った」
「それで、わたしが理解できると? んー、それは少し違うような気がするよ。わたしはマリしか選ばない」
少し異常なのかもしれないと自分でも思う時がある、とサリオネルトが言う。
「もし、生まれてくる子どもとマリのどちらかと言われたら、迷わずマリを選ぶ。極端なことを言えば、マリ以外の人間がどうなったって構わない。マリ以外を見捨てればマリが幸せに過ごせないと知っているから、そうしないだけだ」
「おまえさ、マリが病気になったら自分も寝込みそうだな。いや、実際そうか、流産の時がそうだった。万が一、先立たれるようなことになったら、衰弱死するな」
「あとを追う、とは言わないんだね」
「さっき、言葉の力の話をしたばかりだ。おまえの言葉をニアが思い込んだって」
「いや、待て。話がそれている。ホビスの話をしていたんだった」
二人そろって溜息を吐いた。




