14 矜持(4)
北の魔女の居室では、ホヴァセンシルが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。装束は魔導士ギルドに現れた時のままだ。ただ、目深に被っていたフードは払われて、魔導士の杖と剣は傍らのポールに掛けられている。ゆったりとした椅子に足を組んで腰かけ、腕の片方は肘掛に置き、もう片方は掌を軽く握って顎に沿えている。何か考え込んでいるようだ。
そのホヴァセンシルの後ろから、妻のジャグジニアが腕を首に絡めて頬ずりするように撓な垂れかかる。薄物のガウンを幾重にも重ねただけのしどけない姿だ。
「ねぇ、もう起きてしまったことは取り返せないわ。魔女でも失われた命を取り返せないと判っていること。お願いだから機嫌を直して」
そう言ってジャグジニアは夫の耳たぶを甘噛みする。ホヴァセンシルは、拒絶はしないものの、さらに表情を硬くした。
「誰一人殺めることなく捕獲しろと命じたはずだ」
「そうは言っても抵抗されれば攻撃したくなるもの。その攻撃がたまたま致命傷を与えてしまうのもよくあることだわ」
「力の強い魔女一人に魔導士五人を差し向けた。いくら元統括魔女とは言え高齢だし、力の弱まりを自覚していた」
ホヴァセンシルが目を閉じる。
「伯祖母は賢い人だ。抵抗するとは考えられない」
「それではなに?」
ジャグジニアが夫を突き放し、前に回ると人差し指を突き出して、ホヴァセンシルを責める。
「あなたはドウカルネスがわざとデリアカルネさまを殺したと言うのね!?」
「どちらにしろ、示顕王が誰なのか、デリアカルネの口からは聞けなくなった」
ふん、とジャグジニアが鼻を鳴らす。
「もともとはデリアカルネさまが『サリオネルトは示顕王に非ず』、なんて嘘を言うからいけないのよ」
「魔女は嘘を吐けない。知っていると思ったが? 伯祖母は、サリオネルトは示顕王ではないと断言している。少なくともそれが伯祖母の真実だ」
「そうだとしたらギルドのメンバーは揃いも揃って間抜けということ。老い耄れ魔女の世迷い事を間違いのない事と認めたのだから」
「伯祖母を侮辱するな」
その時、居室のドアを叩く音がした。
「ホヴァセンシルさま! 大変です!」
サッとエメラルドグリーンのローブを羽織ったジャグジニアがドアに向かう。一歩遅れてホヴァセンシルも後に続いた。
「なにごと?」
ジャグジニアがドアを開き、前に出る。扉の向こうに居た魔導士が、慌てて跪いた。
「ジャグジニアさま……ご両親をお連れしろとのご命令の件ですが」
「おぉ、到着したか?」
「それが……ジャグジニアさまの意向に沿うことはできないと仰られて」
項垂れていた魔導士がさらに首を下げる。
「ドウカルネスさまが、その……」
すぐ後ろで様子を窺っていたホヴァセンシルが前に出る。
「ドウカルネスがどうした?」
「それが、その……お二人を殺害されました」
「そんな……」
ジャグジニアが意識を失い倒れ込むのを抱き止めながら、ホヴァセンシルが魔導士に命じる。
「即刻帰城するよう、ドウカルネスに伝えろ」
居室から寝室に移りベッドに寝かせると、すぐにジャグジニアは気を取り戻し、上体を起こした。
「大丈夫か?」
問うホヴァセンシルを見詰め、
「パパとママは?」
と問い返してくる。
「パパとママは?」
「落ち着きなさい」
震えるジャグジニアをホヴァセンシルがそっと抱き寄せる。
「落ち着きなさい。誤報かもしれないじゃないか。すぐにドウカルネスが戻ってくる。話しを聞いてみようね」
「ホビス……」
ジャグジニアが夫の胸に縋る。そう言えば、その呼び方を妻がしたのはいつぶりだろう?
嘆かわしい事態だが、こんな事態だからこそ本来の妻を取り戻せた気がして、ホヴァセンシルの心境は複雑だ。そして、やはり妻を愛していると思わずにいられない。自分を頼る妻の、震える細い身体を抱き締めれば、愛しさが胸にこみ上げる。
居室の外に騒がしさが近づいて来た。気付いたホヴァセンシルはジャグジニアを寝室に残し、居室に移る。
すると、ドン! とドアが開け放される。挨拶もなしに入ってきたのはドウカルネスだ。
「お呼び出しとは、何事?」
「北の魔女の居室に許しもなく立ち入るとは何事だ?」
ビルセゼルトが無礼を咎める。
「何時たりと自由に入室できる許しをとうに受けている」
ドウカルネスが言い返す。
「たとえそうでも、訪れも告げずにいきなりドアを開けるは礼を欠くのでは?」
許可を受けているかいないかの問題ではないというホヴァセンシルに、
「そうですね、これはご無礼をいたしました」
と、ドウカルネスもここは引く。ジャグジニアがいない。今、ホヴァセンシルとやり合うのは不利だと判断した。
北の小ギルドの制圧にはホヴァセンシルについて行った。その時、一瞬で小ギルド全体を制圧したホヴァセンシルを見ている。まともにやり合って勝てる相手ではないと、ドウカルネスにも判っていた。
「それで? お呼び出しのご用件とは?」
ドウカルネスは、忙しいのだからサッサとしてくれと言わんばかりの口調だ。
「ドウカルネス、わたしは確か『だれ一人殺さずに。大怪我もさせないように』と命じたな?」
「はい、そう承っております」
「報告によると、何人か殺めた、とのことだが? 我が伯祖母デリアカルネもその中にいる」
言外に問責するホヴァセンシルにドウカルネスがにやりと笑う。
「抵抗され、応戦した結果、そうなったまで。捕らえに行ったのです、そんな事態もあるだろうとホヴァセンシルさまも予測されていたのでは? だからわたしに魔導士を五人も付けてくださった」
「では、自分に過失はないと言うのだな?」
「その通りでございます」
「おまえに預けた魔導士を呼んで確かめてもよいのだぞ?」
「それは無理というもの。デリアカルネさまにより、五人とも命を落としました」
「なっ! ドウカルネス、おまえ!」
「はい、ホヴァセンシルさま」
こいつ、口封じに魔導士五人も殺めたのだな、詰問したいが証拠がない。腸が煮えくり返りそうだが、ホヴァセンシルにいい考えが浮かばない。
五人を殺めたな、と追及したとして、『デリアカルネを殺める際、五人は巻添えになった』とドウカルネスが主張すれば、たとえそれが意図的であったとしても表面上偽りがない。事故だと言える。『わざと殺したのではない』と弁明できる。もしくは『デリアカルネによって』と言っているところを見ると『デリアカルネを守るため巻添えになった』のかもしれない――どちらにしろ真実を言わせるのは難しい。
「では、ジャグジニアの両親はどうして命を落とした?」
「ご両親を渡さないと言い張る魔導士どもを排除するため、使った魔法に巻き込まれてしまいました。わたしの不手際、大変申し訳なく思っております。なにとぞ事情をお汲み取りの上、ご容赦願いたい」
「……」
「ジャグジニアさまにはわたしからお詫びとお慰めを申しあ――」
ドウカルネスの言葉をホヴァセンシルが遮る。怒りが身体から放出され、スパークとなって飛び散っている。
「人の血で穢れた怪物を、俺が妻に近づけると思うのか!?」




