12 泣き濡れた恋情(2)
「遠い目をしている……」
不意にジョゼシラの声が飛び込んでくる。現実の声だ。ジョゼシラは、指遊びをしながらビルセゼルトの様子を窺っていたようだ。
「あぁ、昔を少し思い出していた」
「ふふん、さては女だな」
「参った、ばれたか」
ビルセゼルトが笑う。昔も今もこれからも、俺の女はおまえだけだと思ったが、そんな余計なことは口にしない。
「起きて、少し話をさせてくれないか」
それには答えず起き上がるとジョゼシラは、ナイトローブを身に纏った。
「お茶を入れようか? それともワイン?」
少し考えてからビルセゼルトは
「お茶を貰おうか」
と言った。
もう、すぐに夏至の日が来る。その前に話しておきたいことがある。そしておまえに頼みたいことがある。ビルセゼルトがそう切り出すと、お茶に砂糖を入れてかき混ぜながらジョゼシラが言った。
「よかった、あなたの悩みがそんな事で。他所の女を孕ませたとか言い出したらどうしようかと思っていた」
吹き出すビルセゼルトに
「絶対有り得ないってことではないし。まぁ、そんな暇はないだろうけど」
ジョゼシラも笑う。
「暇よりも、度胸がない」
さらにビルセゼルトが笑った。
冗談はさておき、以前から問題が起こると言われている夏至の日が近い。そしておまえには話していなかったが、判ってきたことがいくつかある。それをまず話そうと思う。
「示顕王の件だが、今回二人現れる」
「二人? それは異例なことでは?」
「うん、魔導史の記録された中では初めての事だ」
示顕王は来るべき災厄に備えて現れると言われている。
「その災厄だが、今年の夏至より向こう二十二年以上続くと星見が読んだ」
その災厄がどんなものなのか、具体的にはまだ判っていない。判っているのはその災厄を呼び起こすのが『悪魔』だということだけだ。
「悪魔とは?」
太古より存在し、人の怨み辛み憎しみ、そんなものを喰らうと古文書に記載があった。しかしそれしか書かれていない。
「そして、その悪魔が『北の魔女の居城』に潜んでいる」
「ニアの城に? ニアは? ニアは無事なのか?」
「この事は今日判ったばかりだ。ホビスがニアを脱出させることにしている」
北の魔女の居城に悪魔を引きこんだのは前北の魔女ゾヒルデナスではないかと、俺たちは考えている。そうでなければニアとホビスが気が付かないはずがない。
「俺たち、と言うのはビリー・サリー・ホビスの事だね。まだギルドは絡んでいないと?」
「ギルドを動かすには材料が少な過ぎる。おかげで後手後手に回っているのは否めない」
ゾヒルデナスが縁者のドウカルネスに力の移譲をしたうえで、北の魔女の城に忍び込ませた。ニアの世話係をしている。
「ニアはそのドウカルネスの魔女の誘いに落ちている可能性が高い」
「魔女の誘い? また、下品な術を……」
ジョゼシラが呆れ、ぽつりと呟く。
「女相手にも使えるとは知らなかった」
「それで、示顕王の事なんだが、二人だと言ったよね。一人はサリーだ」
「えっ? サリーは違うと、デリアカルネが断言したはずでは?」
「うん、示顕王の存在、つまりサリーを隠すため、デリアカルネさまはそう言ったんだ」
「そんな……魔女は嘘が吐けない」
「今年の夏至にもう一人生まれる。示顕王が二人揃って、初めて示顕王は力を出現させられるとのことだ。だからそれまで、サリーは示顕王であっても示顕王ではない」
「嘘にはならない、と言うわけか」
「うん、それで、もう一人の示顕王だが」
「サリーの息子? 夏至の日に生まれると聞いたら皆そう思う」
「うん、その通り、サリーの息子だ」
ここでビルセゼルトはジョゼシラに知らせるか迷った事柄を、今は話さず黙っていることにした。神秘王の事だ。
五年後に自分たち夫婦の間に生まれる子が神秘王だとデリアカルネからすでに聞いていた。だが、今、それを知らせたところで、ジョゼシラを不安にさせるだけだと思った。
「それで、今、北の魔女の城に潜んでいる悪魔だが、それが動き出すのも夏至の日だという」
「揃いも揃って夏至の日か」
「あぁ、夏至の日だ。だが、一斉に起きるというわけではない。どれほどかのずれが生じると星見が言っているとのことだ」
「そして、災厄が起きる……二十二年続くのだから、起きると言うより『始まる』と言ったほうがいいな」
ふぅ、とジョゼシラがため息を吐く。
「マリにはこの事は?」
「それはサリーに訊かないと判らない。たぶん言っていないんじゃないかな?」
「そうだね、サリーは現実主義だし、何を措いてもマリだ」
たとえ明日世界が果てると知っていても、その瞬間まで、マリの前では笑顔でいるだろう。
ジョゼシラの言葉に
「そうかな……」
ビルセゼルトが異を唱えた。
「なにを措いてもマリ、っていうのは合っていると思う。ただ、現実主義っていうのとはちょっと違うような気がする」
「サリーはなんだか、飄々としていて掴みどころがない感じだけど、言う事はいつも現実的だと思うよ」
「現実的と言うか、サリーは手の届くことしか言わないんだと思う」
「それが現実的なんじゃなくて?」
「なんていうか、無理をしない、と言うのもちょっと違う。多くを望まない、そんな感じかも」
「なに、それ?」
「マリがいてくれさえすればいいって言ってた。サリーにとってはそれが本音ってことさ」




