9 表れた孤独(5)
寝室から出るには居室を通らなければならない。
「ギルドに用事ができた。出かけてくるよ」
ジャグジニアに声を掛ける。ジャグジニアは怒らずにいてくれるだろうか?
「そう、行ってらっしゃい」
やはりホヴァセンシルを見もしないでジャグジニアが言う。
「行ってらっしゃいませ。奥さまがお早いお帰りをお望みですよ」
ドウカルネスがやはり魔女の誘惑を仕掛けた言葉を投げてくる。
一抹の不安を感じないわけではなかったが、ホヴァセンシルは頷いて居室を後にすると、火のルートへと向かった。
ルート番はホヴァセンシルを見るとルート開通の準備を始めたが、自分でやるからと下がるよう命じた。どこに行くか、まだ決めていなかった。
自分一人で抱えるのは、もう限界だ。誰かに打ち分け、その知恵を借りなければ解決策は出てこない。そう思ってここに来たが、さて、誰に相談したものか?
火のルートに腕を差し入れ、『王家の森魔導士学校』と唱えた。瞬時に魔導士学校と、簡易的な火のルートが開通した。簡易的なルートでは、自身が通り抜けることはできない。魔導士学校に行きたいのなら、学校の権利者の許可が必要だ。が、手紙や送言は通してくれる。そうでなければ入校の許可を取ることもできない。
学校側の出口はこの時刻なら食堂だろう。学生や教職員を守るため、誰もいない場所を学校の建屋が選んでいる。万が一、攻撃魔法が投げ込まれれば、建屋は即座にルートを閉ざす。それでも、ルート前には誰もいないほうが安全だ。
「ビリー、いるか?」
火のルートの向こうのどこかにいるビルセゼルトに、送言術で話しかける。言葉はビルセゼルトを見つけ出し、ホヴァセンシルの声はすぐさま届けられる。
ビルセゼルトとは、ジョゼシラを監視していたことで気まずくなっている。が、今、頼るならば彼が一番だと思った。
「いるが後にできないか? 魔導史の講義中だ」
ビルセゼルトの返事に、『火のルートの前で待つ』と送り、ルートを閉じた。
次にホヴァセンシルは〝西の魔女の城〟へのルートを開いた。するとルート番の魔導士が誰何してきた。
「北の魔女の夫ホヴァセンシルが西の魔女の夫サリオネルトとの面会を願い出る」
サリオネルトさまに伺ってくる、ルート番の魔導士が答えた。
しばらく待つと、火のルートから一通の封書が飛び出してきた。中を確認すると見慣れたサリオネルトの字で
「ヒヨドリの刻に魔導士学校の校長室でビリーと会う約束をしている。良ければ同席しないか? 招待状を送る」
とある。ヒヨドリの刻と言えば、魔導士学校の講義が終わる時間だ。ビルセゼルトは言っていなかったが、サリオネルトはビルセゼルトと会う約束になっていたようだ。
そこにきたホヴァセンシルからの呼び出しに、サリオネルトはその席にホヴァセンシルを同席させるつもりのようだ。この書状自体が招待状になっている。定められた時刻に書状を使って火のルートを開ければ校長室のルートと繋がる仕組みだ。
了解したと伝えてくれ、と西の魔女の城のルート番に告げて、ルートを閉じる。
ヒヨドリの刻まではまだ間がある。
ホヴァセンシルは念のため、前任北の魔女ゾヒルデナスの事を調べてみようと思った。北の魔女の城の違和感は入城した時から付きまとっている。すでに退城しているゾヒルデナスの影響がいまだに残っていることは考えにくいが、ゾヒルデナスが仕掛けた可能性を完全に否定する根拠もない。ホヴァセンシルは魔導士ギルドの総本拠とのルートを開いた。
「これはホヴァセンシルさま。何かございましたか?」
ギルドの守りについている魔導士に出迎えられ、用件を告げる。
「少々お時間が掛かりますが」
「ヒヨドリの刻には用事がある。それまでにどうにかならないか?」
「承知いたしました。充分でございます」
魔導士はホヴァセンシルに茶を勧めてから姿を消した。
出された茶を手に取ると、薄く切られたレモンが添えてある。会議の時に出された茶にも添えてあった。ジョゼシラの手配だと思った。ビルセゼルトがそんな小洒落た真似をするとは思えない。
ジョゼシラは面白かった……以前、父に命ぜられてジョゼシラを監視したときのことを思い出す。
覗心術を使ったら、すぐさま送言術で応戦してきた。
「わたしの何を覗きたいのだ?」
さすがは強い力を持つと言われる魔女、反応が早い、と舌を巻いたが、
「キミの全てを覗いてみたい」
と返すと
「ならば、わたしの部屋に来ればいい。全てを見せてやろうじゃないか」
ときた。
ビリーに怒られるから遠慮しておく、と言えば、ビリーにもまだ見せていないわたしの全てを見たくはないか? と揶揄ってくる。
「んー、少しは膨らみがあるの?」
揶揄い返したら、大笑いされた。
「だから、それを確認しに来ればいいじゃないか」
と言われ、想像以上の手ごわさに一瞬退散するか、と思った。
「ジョゼに部屋に呼ばれたと、ビリーに報告しようかな」
これで開き直られたら退散だ、と思っていた。
が、ジョゼシラが黙った。心を覗いているだけなのに、ジョゼシラの身体が震えているのさえ伝わってくる。
「ごめん、ちょっとビリーが心配で、おまえがどんな人かと思っただけだ」
慌ててホヴァセンシルは言い訳した。
「ビリーには何も言わないから、おまえもこの事はビリーに言わないでくれ」
動揺がなかなか消えないジョゼシラを待っていると、やがて落ち着いて返事を寄越した。
「判った。だからわたしからビリーを取り上げないで」
ひょっとしたらジョゼシラは泣いているかもしれないと、ホヴァセンシルは感じていた。
あの力なら、記憶消失術や塞口術を使えそうだが、そうはしてこなかった。使えない可能性もあるが、そうだとしたら随分偏った術の覚え方をしている。動揺こそがひょっとして芝居かと、思わなくもなかった。が、覗心術の感触では芝居の線は薄かった。
魔女・魔導士は嘘が付けない縛りがあることを考えると
「ビリーを取り上げないで」
本心から願っているのは確かなことだ。
周囲の見方はビリーがジョゼに夢中だとなっていたが、どうやら逆らしい。ビリーがジョゼを『夢中にさせた』のだ。
ジョゼは婚約成立当初、ビリーから逃げ回っていた。それでなくてもジョゼのあの気性では、ビリーの容姿だけでは落とせるはずがない。どんな手を使ったのだろう、とホヴァセンシルは興味を抱いたが、それをわざわざビリーに訊くのは野暮だと思った。
機会があったら訊いてみるのも悪くないか、程度に思っていたら、ジョゼを監視していたことに気が付かれ、ビリーとの間に亀裂が生じ、とうとう聞けず終いになった。




