8 強まった疑惑(5)
マルテミアがクスリと笑う。自分の代理としてギルドの会議に出かけていたサリオネルトは帰ってくるなり『疲れた』と言って寝てしまった。
マルテミアの許に、サリオネルトの母親から手紙が届いてた。その内容が心配で帰ってきたら相談しようと思っていたが、わざわざ起こして面白くない話をするのも気が引ける。
サリオネルトの寝顔を覗きこんでいると、時おり笑顔になる。夢の中でもこの人は笑顔でいるのだと思い、つられて笑ったマルテミアだ。
そんなサリオネルトがこのところ、悪夢にうなされている時がある。
驚いて揺り起こすと、気が付いたサリオネルトはマルテミアの顔を確認するようにじっと見てから抱き締めてくる。それで安心するのだろう、そのまままた眠りにつく。
何が夫を苦しめているのだろう? 心配なマルテミアは夫の心を覗いてみようかと思わないでもなかったが、それがまた、サリオネルトを苦しめる結果になりそうでできなかった。
出会ったあの日、突然落ちてきたマグノリアの枝、サッと差し込んだ陽光、花弁がひらひらと舞い落ちる中、降り立った若者は黄金色の髪が煌めいていて……全てが輝いて見えた。まるでトパーズのようだと思った。
落ち着いた声で穏やかな物言い、よく考えると辛辣なことを言っているのに、心に染み渡るように暖かい。それなのに、琥珀色の瞳は静かだが何も語らない。けれど何かを訴えているようでもある。
心臓がドキドキと脈打つのは、急な登場に驚いただけではないと判っていた。ひと目で恋に落ちたのだ。初めて異性に心惹かれた。それがいきなり、『付き合わないか』と誘われる。見透かされたかと慌てるが、確かめる間もなく相手は姿を消してしまった。
親友のニアはやめた方がいいと言ったが、ときめきが止められない。
転入してきた彼は、気が付くと人気者で、近づく女のコも後を絶たない。だけど小川で遊ぶ小魚のように、するする擦り抜けて誰にも捕まえられない。それなのにマルテミアを見つけるとすぐにきて、他愛のない話を始め、何かと笑わせようとする。マルテミアに好意を持っていることを隠しもしない。
当然周囲もそれに気が付き、いつの間にかマルテミアはサリオネルトと付き合っていることになっていた。マルテミアは返事をしないまま、サリオネルトのペースにはまり、二人きりで逢うことに抵抗を感じなくなる。
二人きりで逢うと言っても、サリオネルトの態度が変わることなく、いつも笑顔でマルテミアを楽しませてくれる。そっと抱き締めて『大好きだよ』と囁くが、それ以上を求めてくることもない。
寮の談話室でニアと話していても、必ず傍にいるが決して邪魔しない。そのくせ時には冗談を言ってニアともども笑わせてくれる。マリいるところにサリーあり、などと好意的ではあるが陰口をたたかれるようになっても、どこ吹く風と気にしない。
マリはいつでもサリーの優しさに包まれていた。決して刺激的な恋人とは言えないが、それで充分だとマリは思っていた。
その二人の関係が大きく動いたのは、サリーとビリーが双子の兄弟だという噂をマリが知った時だった。
「うん、本当だよ」
サリーは事もなく言う。
「ずっと別々に暮らしていて……休暇には呼び寄せられるんだけどね」
僕はね、里親に育てられたんだ。ビリーとは仲良しだし、大好きだけどね。そう答えるサリーはいつも通りだった。
だけど、『どうしてサリーだけ預けられたの?』と訊くと、とたんにサリーは表情を曇らせた。サリーのそんな顔を見たのは初めてだった。
そう尋ねるのは決して不自然なことではないと、今でもマルテミアは思っている。だけど、そんなサリーの様子から、訊いてはいけない事だったのだと思った。マルテミアは慌てて立ち入った事を訊いたと謝った。
サリオネルトは『キミが悪いわけではない』と、にっこり笑った。そしてこう続けた。
「僕はキミと結婚したいと思っている」
今すぐ返事を欲しいとは言わない。マリはゆっくり考えてくれればいい。しかし僕は、僕自身のことをマリに話さないのはフェアじゃないと思っていた。それを聞いた上で考えて欲しい。
生まれた時の事、里親に預けられ、本来だったら市井の人として生きていくはずだった事、素行の悪さで里親に見捨てられた事、そして返された実家でビリーの真似をしたら魔導術を操れてしまった事、困った両親が魔導士学校に預けた事……
「マリ、僕はね、誰にも省みられることなく、望まれることもなく、それを言い訳に自棄になるような下らない男だ」
だけど、キミに出会った時、キミなら僕を見捨てることなく、ずっと傍にいてくれると勝手に思い込んでしまった。
なんとかキミに気にいられたくて、できる限り傍にいたくて、いつもキミの姿を探した。キミはいつもニアと一緒で、なかなか近づくことができなかったけれど、ニアと一緒ならそばにいられた。そんな僕をキミは拒むことがなかった。
キミの笑顔が安心させてくれると気づいてからは、何とか笑わせたくて、つまらないと思われはしないかとびくびくしながら他愛ない話をし続けた。そんな僕の話をキミは嫌がりもしないで聞いてくれ、そして笑ってくれた。どれほどそれが嬉しかったか、言葉にするのは難しい。
僕は生きている、そう感じずにいられなかった。生きていていいのだと、そう思えた。
だけど僕は、キミを知れば知るほど、キミの心に触れるほど、キミを騙していると思えて、その罪の重さを感じずにはいられなくなる。それなのに、僕を受け入れてくれたキミの傍を離れられないと感じ、この場所が僕の居場所なのだと確信し、そんな思いは僕の心を満たしていく。
それはとても暖かくて、ずっと求めていたものに他ならなかった。一生キミの傍にいられるのなら、他には何もいらないと思った。
キミは僕の天使だ。心からそう思う。けれど僕はどうだろう? 僕はキミを瀆す存在なのではなかろうか? いつか打ち明けなくてはいけないと思いながら、キミに嫌われるのが怖くて言えなかった。
「僕は……マリに嫌われても仕方ないと思っている」
でも、もし、もしこんな僕を許してくれるなら、僕との結婚を考えてくれないだろうか?




