8 強まった疑惑(3)
初めて聞くサリオネルトの苦悩だった。今までサリオネルトの口から、愚痴も悩みも聞いた事がない。
ビルセゼルトはサリオネルトの肩に腕を回すと顔を覗き込みながら、
「違う、と俺は断言するね。おまえが言う程度の怨みなんか、世の中いくらもあるもんだ。それくらいで悪魔とやらが出現するなら今頃、世界は悪魔で満たされている」
と、笑った。
「おまえは頑張り過ぎだ。我慢しすぎだ」
子どものころから頑張り過ぎて、今、ちょっと疲れているんだよ。
「俺は今まで、おまえの口から、孤独だなんて聞いた事がない。寂しいなら、そう言えばよかったんだ。それを隠していつも笑っていた。うん、よく頑張った。辛かったよな。気が付いてやれなくて、俺のほうこそゴメン」
最後のほうは涙声になっている。サリオネルトはただ黙って聞いていた。ビルセゼルトを見詰めていた。
ビルセゼルトは続けた。
「怖いか?」
ピクリとサリオネルトが動いた。そして、
「うん、怖い」
と頷く。
「何が起こるか判らない。こんな事ならいっそ、と思ってしまう」
「いっそ、って?」
「……いっそマルテミアと出会わなければよかった」
「それは何だな、あれだ……今のおまえが幸せだから思うことだな。
ビルセゼルトの答えに、サリオネルトが兄の顔を見る。兄も弟の顔を見ている。
「俺も同じだよ、サリー。幸せだから失うのが恐ろしい。みんな同じだ――なぁ、サリー。判っているとは思うけど、俺は今までもこれからもおまえの味方だ。俺にどこまでできるかは判らない。けれど、いつでも全力を尽くす。おまえだけに背負わせたりしない」
サリオネルトがビルセゼルトの首に腕を回し、顔を肩に預けてくる。サリオネルトが泣いているのを、ビルセゼルトは初めて見る。今日は〝初めて〟が多いな。
幼いころから、何があってもサリオネルトが泣いたことはない。泣いたこともなければ、怒ったところも見たことがない。きっと里親のところでもそうだったのだろうと思った。
「わたしは……」
しばらくの後、サリオネルトが言った。
「物心ついたころから、諦めていたんだと思う」
誰にも愛されず、誰にも望まれず、きっと一生をそのまま終えるのだろうと思っていた。
「だが、それは本心の裏返しだったようだ」
きっと、他人の何倍も、誰かに愛されたいと願い、誰かを愛したいと望んでいた。
そしてそれを手に入れた時、それを守るため強くなり、そして失うことを恐れるあまり臆病になった。
「最初の子を失った時、それを思い知った。けれど、あの時はマリに子が宿っているとも気が付いていなかったから、まだ救われたように思う」
笑っていたマリが突然腹を抱え込み倒れた。何が起きたか判らなかった。すぐに癒術魔導士を呼んだが、流産だと言われた。あの時、マリは泣かなかった。その代わり笑わなくなった。
そんなマリをなんとかしたくて、わたしは普段通りを装い、いつも通りマリに微笑み、マリの仕事に滞りがないよう、手を尽くした。周囲はそんなわたしを見て、頼もしいだの強いだの言ったが、いつも心の中では怯えていた。
このままマリまで失ったらどうしよう、マリの仕事に手違いを生じさせてしまったらどうしよう……ずっとびくびくしていた。
「そうだな、覚えているよ」
ビルセゼルトが言った。
「おまえはいつも通り、微笑んでいた。いつも通り軽い冗談でみんなを笑わせていた。でも、見る見るうちに痩せていった」
「あぁ……」
サリオネルトが苦笑する。
「食べるってことを忘れてた。正直にそう言ったらビリーに怒られたっけなぁ」
「今はちゃんと食事している?」
「悪阻が収まってマリは俄然元気になった。せっかく作ってくれた手料理を食べない手はない」
「いいね、幸せの味か?」
ビリーが弟を揶揄う。
「そうさ、幸せの味だよ」
少しだけサリオネルトが笑みを浮かべた。




