7 見守った心(2)
それがどうしたことか、街人の男が『妻を寝取られた』と里親の家に怒鳴り込んできた。相変わらずサリオネルトは家にいない。事実を確認するからと、やっとその男を帰し、サリオネルトを探した。サリオネルトはすぐ近くで数人の若者たちと談笑していた。
呼べばすぐに帰ってきたが、
「なんだ、あの女、結婚してたんだ」
と悪びれる様子もない。
「知っていれば誘いに乗らない。遊ぼうっていうから遊んだだけだ」
女は一人にしろと言っただろう! と養父が怒鳴り、どこで育て方を間違えたのかと養母が嘆く。
それを見てサリオネルトは
「パパとママは悪くない。僕が行って謝ってくるよ」
と出かけようとする。それを里親が慌てて止めた。おまえが行けば火に油を注ぐだけだ。
自分たちに言ったように『遊ぼうって言われたから遊んだだけだ』と、サリオネルトが相手の男に言うのは目に見えている。下手をすれば相手の男に殺され兼ねない。
思い悩んだ里親は、サリオネルトを実父母の許に逃がすことにした。しばらく街から遠ざかっていれば、そのうちほとぼりも冷める。
この時、サリオネルトは『また捨てられるんだね』と感じたようだ。そんな形跡が微かに残っていた。消そうとして消しきれていない記憶だった。意識上は忘れている記憶かもしれない。それをデリアカルネは見逃さなかった。
そしてさらに記憶は進む。
実父は苦り切った顔でサリオネルトを見、実母はおろおろと息子と夫の様子を窺っていた。ここでもデリアカルネは消しきれていない感情をサリオネルトに見つけている……あなたたちにはビリーがいる。
実父母はサリオネルトに家の敷地から出ることを禁じた。同じことをこの街でされてはたまらない、実父がそう言っている。あなたが里親の街でしたことをビリーには言わないように、と実母が言っている。大事なビリーに悪影響があるからね、サリオネルトが心の中で呟いている。
裕福な実父母の家で、サリオネルトは馬小屋や鶏小屋の世話をし、時にはそこで本を読んで過ごしていたようだ。本のタイトルにデリアカルネは注目している。魔導術に関する本ばかりだ。本の種類は多岐に渡っているが、中でも特に呪文に関心を示しているように見える。それらの本をどこから手に入れたのか、記憶は語ってくれなかった。
魔導士学校の休暇にビルセゼルトが帰ってくると、途端に記憶が明るいものに変わる。心から信じられるのはビリーだけだと、心が叫んでいる。
サリオネルトはビルセゼルトの前では神秘術を操れることを隠さなかった。自分が使えるものを弟が使えたところで、ビルセゼルトは驚くこともない。
小さな子どものころから、他人にはできないことが自分にできることにサリオネルトは気が付いていた。だが、それを他人に知られることは理由もなく怖かった。だから双子の兄の前以外では力を使ったことがない。それだって、ビルセゼルトが魔導士学校に入学し、そこで習ったことをサリオネルトに話し始めるようになってからの事だった。
そしてある日、ビルセゼルトが両親に尋ねる。
「どうしてサリーを魔導士学校に行かせないの?」
サリオネルトは神秘力に順応できないと言う父親に、ビルセゼルトはこう答えた。
「サリーは魔導術がもう使えているよ」
青ざめた両親が慌ててサリオネルトに詰め寄ると、サリオネルトは空宙から黄金色の剣を出して見せた。すっかり血の気が引いた両親が、頼ったのは南の魔女だった。
その時、わたしに相談してくれていたら……デリアカルネが臍を噛む。だがまぁ、そうさね。南の魔女の判断もそう間違ったものじゃない。
ちょうど星が示顕王の存在を示し始めたころだった。姿を現すのは四年後だと言われていた。そうだとしても、サリオネルトが出した剣は『総ての理を知る剣』ではなかったのか?
南の魔女はサリオネルトにもう一度剣を出してみよと命じたが、どこかに行ってしまったと、サリオネルトは応じない。
出現させた剣を確かめないことには、『示顕王はサリオネルト』だと言い切れませんね、とソラテシラは両親に微笑んだ。とりあえず魔導士学校に預けて、魔導士としての道を開きましょうと提案した。そしてサリオネルトは王家の森魔導士学校の黄金寮に入る。
最初の日、寮の部屋の窓から見えた枝に移り、その枝に寝そべるように凭れながら空を眺め、『また捨てられた』と感じているのを、少女の声が上塗りして、見えなくしている。
おろおろと、けれど懸命に友人を慰めようとしている。彼女は決して友人を見捨てない、そう感じているサリオネルトがいる。この娘なら僕を見捨てない、インスピレーションが稲妻のように閃く。
自分を決して見捨てない誰かはキミだ、キミを僕のものにしたい……強く願うサリオネルトをデリアカルネは見た。
それまで感じたことのない強い願い、全てを諦めていたサリオネルトが、初めて見付けた生きる希望がマルテミアだった。
マルテミアと知り合ったサリオネルトの生活は一変する。何もかも投げやりで適当だったものが、自分の適性や興味を深く掘り下げ、これからどう生きていくかを考えるようになる。
もともとよく読書していたが、呪文学や魔導学、術式理論に力を入れ始め、教職に就くことを希望し、学校長にたびたび相談している――ここまで読めば充分だ。
そしてなるほど、『女性との秘め事』はマルテミアには絶対に見られたくない、知られたくない秘密だと笑い、それをさらりと言ってのけるサリオネルトに好感を持った。
知らせなくても良い事を知らせていないだけ、自分の行いを後悔しているが恥じているわけではないと暗に言っている。あるいは、それは強がりかもしれない。強がってでも、自分は真っ直ぐ前に進むという意思が見える。
幾度も傷付けられた心をなんとか自分で修復しようと足掻いている。それができずに何かに縋りたかった思春期、刹那の快楽はその場限りであっても孤独を忘れさせただろう。そしてとうとう自分を守ってくれる相手、自分が守りたいと思える相手を見つけた。その将来を自分自身と重ね合わせて考え始めている。
それを他人の横やりで諦めろと言われれば、引き離さたら生きていけないと、口にしても無理もない。デリアカルネはそう理解した。
幼いころから魔導術を扱えていた事実から、力の封印は、サリオネルト自らが無意識のうちに無効化したか、あるいは初めから有効でなかったかのどちらかだ。
魔導術について、サリオネルトは一言も最近使えるようになったなどと言っていない。周囲が知らなかっただけで、使えないと思い込んだだけだ。
サリオネルトは示顕王で間違いない。そして双子の兄のビルセゼルト、彼は示顕王を守る従者に違いない。




