6 決断された恋(3)
ホヴァセンシルの母、魔女セリシアナは東の魔女を伯母に持つことを鼻にかけ、『本当ならば城住みの魔女になっていたはずなのに』と、よく愚痴を零した。それなのに、ちょっと気を許したばっかりに執拗いほどに口説かれて、なんだかんだと言い包められ、気が付いたら情にほだされ、抜き差しならない関係になってしまっていた……と、夫と一緒になったことを嘆いている。
それを陰でこっそり、『抜き差しする関係の間違いだぞ』と夫の魔導士カガンセシルが酒の席などで下品な笑いしているのも気に食わない。自然、事あるごとに夫に突っかかり、貶し、仕事に行けとせっつく。魔導士として、仲間から絶大な信頼を勝ち得ている夫を持ちながら、自分の境遇に不満タラタラだ。そしてよくあることだが、期待は二人の息子に向けられていく。
特に上の息子ホヴァセンシルは幼いころから魔導士の才能を発揮し始め、魔導士学校での成績もトップクラスとなれば、さすが魔女の家系に生まれただけはあると持て囃し、たまに帰って来れば、顔が見たかったと大喜びし、ちゃんと食事をしているのか、食べたいものはないか、これを食えあれを食え、そろそろ季節の衣類が足りないんじゃないか、そうだ、小遣いは足りているのか、と大騒ぎする。そんな矢継ぎ早に言ったって、何も答えられないと夫が窘めても聞く耳を持たない。当のホヴァセンシルは、母親には何を言っても無駄だと、『うん、うん』とにこやかに頷くだけだ。
それが、何の前触れもなくいきなり帰ってきた息子が、耳を疑うようなことを口にした。北の魔女と結婚したい……
それを聞いて、セリシアナはキョトンとしたが、
「そうそう、ゆっくりはしていけないのでしょう? 伯母さまから頂いたガレットがあるわ。持って帰って寮のみなさんとお食べなさいな」
と、今、聞いた事をなかったことにした。
父親のカガンセシルは息子の顔を、目を丸くして見ていたが、菓子の缶を手渡したら用事は済んだとばかり、息子を追い返そうとする妻を制して、『まぁ座れ』と息子に促した。
「息子にいきなり、結婚したいと言われて、はいそうですか、と言う親はいないと思うぞ」
カガンセシルが静かに息子を諭す横で、『これは夢よ、悪い夢を見ているのだわ』と妻が騒ぐ。
「それで、ジャグジニアはなんて言っているんだ?」
妻を無視して父親が息子に問う。
「いや、まだ何も話していない。でも、確実に俺を愛してくれている」
「おまえの思い込みではないのか?」
父親の声は慈しみに溢れ、静かで優しい。
ホヴァセンシルは真っ直ぐに父親を見詰めていた目を伏せる。そして昨夜の秘め事を思い浮かべ、また真っ直ぐに父を見詰めた。
「決して思い込みなんかじゃない。彼女は俺を愛している。一緒に逃げてもいいと言ってくれた」
ふむ……カガンセシルが息子を見詰めながら腕を組む。そして
「母さん、ちょっと静かに出来ないものかね」
と、傍らでわけの判らないことを言い続ける妻に苦情を言った。
それでも静かにならない妻を
「向こうに行ってろ」
とうとう怒鳴りつける。
「父さん!」
父親の怒鳴り声を家で聞いた事がなかったホヴァセンシルが慌てて父を押し留め、母親を宥めようとするが、当の母親はホヴァセンシルを見ることすらしないで隣室に姿を消してしまった。
「母さんを怒鳴りつけるなんて……」
青ざめるホヴァセンシルに
「なぁに、心配ないさ」
カガンセシルが笑う。
「おまえには判らないだろうが、これで結構夫婦仲はいいんだぞ」
「母さんは父さんを悪く言ってばかりだ」
「そんな愛情表現しかできない女なんだよ」
疑わしい、と言いたげなホヴァセンシルに
「父さんと母さんのことは、今は置いておこうな」
カガンセシルが微笑む。
「北の魔女と結婚するという事が、どういうことかおまえは判っているのか?」
変わらぬ穏やかさでカガンセシルがホヴァセンシルに訊ねる。
「父さんが言うのは、北の魔女はその居城に住まなくてはならない、ってこと?」
「それもあるが……おまえはこの家に戻って街の魔導士になりたいんじゃなかったのか?」
父親の問いかけにホヴァセンシルがすまなさそうな顔をする。
「小さいころから伯祖母さまの仕事ぶりは見ている。統括魔女の仕事が、精神的にも体力的にも大変なのは判っている」
それが彼女に課せられた。俺は彼女を助けたい。
「街の魔導士になると言っていたのは、父さんを助けたかったからだ。今でも父さんの手助けをしたい気持ちは変わらない」
だけど、もっと大事にしたい相手ができてしまった。
必死に訴える息子をカガンセシルは微笑みを湛えながら眺めている。
「もっと大事にしたい相手、か……」
「本当に父さんには済まないと思ってる。だけど彼女を諦めることもできない」
「うん、諦めろなんて、少なくとも父さんは言わないぞ」
「え?」
ホヴァセンシルが父の顔を呆気に取られて見る。
「反対しないんだ?」
「おや、反対して欲しいのか? それなら反対しないでもないぞ?」
慌ててそれは困るという息子を笑いながら
「しかしなぁ。母さんを説得するのは難しいぞ。父さんも自信がない」
と、溜息を吐く。
カガンセシルは立ち上がり、棚から酒瓶を出すと、『飲むか?』と息子に訊く。寮に帰らなきゃならないからダメだ、との答えに少し寂しそうな顔をして
「また今度だな」
一つだけグラスを出した。
「頭が痛いのは伯母さんをどうするかだ」
「うん、東の魔女の申し出を断って、北の魔女の居城に入ったら、やっぱり顔を潰すことになるよね?」
「だなぁ……それと、一緒に逃げるって言っていたが、それは無理だぞ。どこに逃げてもギルドに見つかる」
カガンセシルは遠くを見ているような目をしている。
それに気づいたホヴァセンシルが尋ねる。
「何を見ているの?」
「ん?」
父親は息子に視線を戻した。
「おまえが生まれた時を見ていた」
小さかった……小さくて温かかった。泣き声がびっくりするほど大きくて、こんなに小さくてもしっかり生きているんだと思った。
「あの赤ん坊が結婚したいと言い出すような齢になったのだな」
俺も齢をとるはずだと笑うが、その目に光るものが見える。
「父さん……」
「そして気おくれもしないで、親よりも大事な存在ができたと言う。とうとう俺と母さんは、おまえを手放さなくちゃならない時が来た。おまえが自分の足で人生を歩み始める時が来た」
それを喜ばずにいられるものか。




