5 語り始めた星(6)
王家の森魔導士学校の校長ビルセゼルトは悩んでいた。
魔導士ギルドの前の長スナファルデが姿を消したあと、ギルド長を勤めていたレオンハルセが辞任したいと言い出したからだ。レオンハルセはあの事件の時の校長で、ほかに適任がいないということでギルド長を引き受けた。だが高齢なこともあり、次の長と定められていたビルセゼルトに任を譲りたいと申し出たのだ。
レオンハルセがギルド長となり校長を辞任したとき、校長の座についたのは副校長だったデリシアスだったが、デリシアスは昨年の休暇中、何を思ったのかドラゴン退治に参加して、あえなく右腕を食われて帰ってきた。ドラゴンに受けた損傷はどんな強力な治癒術を使っても元には戻らない。それでもしばらくは校長を勤めていたが、とうとう痛みに耐えられないから辞めたいと言い出し、副校長を勤めていたビルセゼルトが校長に就任した。
在学中から学績優秀なビルセゼルトだったが、特に魔導史および神秘力学に秀でていて、卒業とともに教職に就くのに不足はなかった。副校長を勤めるとともに、魔導史・神秘力学・基本理論の三教科の教壇に立っている。基本理論についてはサリオネルトも候補に挙がっていたが辞退したため、ビルセゼルトが引き受けることになった。その合間に魔導史は更に研鑚を積み、数本の論文を発表している。それまで不可能と言われていたある古文書の解読に成功した実績などもあり、校長に就任するころには、その道の第一人者と目されるようになっていた。
スナファルデが消えギルドの体勢が崩れていたことから、本来なら卒業後すぐギルドに入る予定だったビルセゼルトは、とりあえず学校留め置き、副校長に就任、そして校長を引き継いで一年経つか経たないかといったところで、今度は魔導士ギルドの長になれと言われたのだ。
問題はまだある。もしビルセゼルトがギルドに移った場合、今度こそ学校長を勤める人材がいない。副校長ですら空席のままなのだ。しばらくの猶予が欲しいとビルセゼルトは申し出たが、『しばらくとはどれほどの時間か?』と却下され、ただでさえ荷が重いと感じているのに
「兼任したらどうか」
と南の魔女が言いだした。
「母上らしい」
妻のジョゼシラが笑う。
「あの人はなんでもできてしまうから、他人の苦労が判らない」
ビルセゼルトとジョゼシラは魔導士学校の教師棟で共に暮らしていた。そこからジョゼシラは南の魔女の居城に通い、統括魔女見習いとして鍛錬を積んでいる。
火のルートを使えば一瞬で移動できる。だからどこに住んでいても同じだ。が、南の魔女に就任したら、今、母が住む居城に住まなければならない。これは統括魔女の義務であり、職務を全うするために必要なことでもある。
「おまえから、ビルセゼルトには無理だと言ってくれないか?」
「無駄、無駄。わたしが叱られて終わりだ。政治向きのことは、まだ何者でもないわたしに口を出す権利がない。母上が怒ると怖いのだぞ」
「そもそも、俺が校長ってところから無理がある。たった三年前は学生だったんだぞ」
「でも、その三年でビルセゼルトは大きく成長しているからな」
本当にそうかねぇ……と、ビルセゼルトはベッドに横たわったまま大きく伸びをする。
魔導術の腕は数段上がったと自分でも思う。でもそれ以外はどう変わった? 人間として成長した自覚がない。それに教壇に立つようになってから、教師の仕事の面白さに気が付き、天職なのではないかと感じるようになっていた。
以前サリオネルトが教員はいい、学生に教えながら自分も学べると言ったが、それはこういうことかと納得する。いかに解りやすく講義を組み立てるかを考えるのは面白いし、学生の才能を見抜き、それとなくその才能を伸ばす手助けをするのも楽しい。空いた時間に、魔導士学校が所蔵する膨大な書物を読み漁ることだってできる。ギルドに移らず、このまま教職に就いていたいのが本音だった。
「あなたは人間としても大きくなったと思うよ」
とジョゼシラが言う。そしてクスリと笑う。
「第一に軽さがなくなった」
「あー、もういい。寝よう、明日もまた忙しい」
「ん? 眠れると思っているのか?」
さて、今夜は絡みついて来るジョゼシラを、ビルセゼルトは退却させることができるだろうか?
翌日、魔導士学校の校長室でビルセゼルトは、机に山積みされた書類を前に一通一通目を通し、サインしては空宙に消す作業を、眠い目を擦りながら熟していた。
朝一番で『ホヴァセンシルが、街の魔導士をやめたいと言っている』と聞いて、寝不足の頭は痛みを訴えるようになっている。聞けばホヴァセンシルの妻、北の魔女ジャグジニアが流産し、体調も思わしくない、だから北の魔女の居城に戻りたいと言うことらしい。北の魔女がそんな状態ならば補助役の魔導士が必要なのも尤もな話だ。
魔導士ギルドも魔女ギルドもホヴァセンシルの申し出を却下することはないだろうが、実問題としてホヴァセンシルの後任に相応しい人材が見つからない。
ホヴァセンシルは複数の街の魔導士を兼任していたし、周辺の街の魔導士を統括する立場にもあった。魔導士としての格が数段落ちるホヴァセンシルの弟に職務を丸投げするのは無茶だと、ビルセゼルトは思っていた。近頃は魔女ギルドから特別な依頼があって、ホヴァセンシルは東の魔女デリアカルネの補助役も兼ねている。
三年前、引退した西と北の魔女よりも東の魔女デリアカルネは高齢だったが、幸い体も丈夫な気丈夫で今まで東の魔女を勤めるのに支障なかった。が、ギックリ腰を患って以来、気も弱くなり、身体も思うように動かせなくなっていた。
デリアカルネは未亡人で、子どももいなかったが妹の孫、つまり甥孫を溺愛しており、その甥孫がホヴァセンシルだ。ホヴァセンシルとしても伯祖母が助けを求めてくれば一肌脱がないわけにも行かなかった。それに東の魔女の補助役ともなれば魔女であろうと魔導士であろうと、それなりの格が必要となる。誰でもいいとはいかない。
魔女や魔導士の格は、年齢や経験や職務だけでは測れない。まずは神秘力を扱う力の強さ、そして術の巧みさ。ついで多岐に渡ってどれほどの知識を有しているのか。更に大切なのが、どれほど魔女・魔導士に支持されているか、だ。
魔女にしても魔導士にしても、世代交代の時期なのは明らかだが、スナファルデのお陰で魔導士の世代交代は緊急に迫られていた。才能ある若者を数年かけて育てるつもりが余裕がない。すぐさまトップに使える人材として、ビルセゼルトとホヴァセンシルしかいない。
サリオネルトも加えたいところだが、西の魔女の補佐役に専念するという本人の希望と、その西の魔女マルテミアが妊娠中となるとサリオネルトを動かしたくても本人が承知すると思えない。自然、ビルセゼルトとホヴァセンシルの負担は大きくなる。それが判っているからこそ、ホヴァセンシルも北の城を出て激務に甘んじていたのだが、ジャグジニアの体調不良となると話が変わってくる。
実質的に、現在の魔導士ギルドの決定権を持ち、動かす権限を持つのは長のレオンハルセではなくビルセゼルトと言って過言ではない。魔導士たちの意見をまとめられるのはビルセゼルトだけだった。
魔導士ギルドの会議には学校長として列席を義務付けられている。そこで意見を述べ、意見をまとめ、取り仕切っていたことは否定できない。だが、議員の一人としてそうするのと、ギルド長としてその役目を果たすのでは大きく違う。責任の所在が変わってくる。




