22 城の意思(3)
ここからは僕がロザリアを負ぶっていく。だからその子は連れて行けない――カナンがそう言って赤ん坊を連れて行くのを反対しても、ロザリアは聞き入れなかった。
満腹になった赤ん坊にげっぷをさせたり、口元を拭いてやったり甲斐甲斐しく世話をする。子守として働いていたことがあると言っていたから、その辺りは手慣れたもので自信もあるのだろう。
「もう少し休んだら、わたしがこの子を抱いていく。自分の足で歩ける」
と譲らない。
カナンとしても、こんなところに赤ん坊を置き去りにするのは気が引けるし、ロザリアを見ていると、このまま自分たちで育ててみたい気がしないでもない。
家を出るとき持ちだした金もそろそろ尽きる。領地境を超えたから、次の街で居を構えるのも悪くはないと思っていたが、仕事が見つかれば、の話だ。
今の自分たちは住処もなければ仕事も決まっていない。それなのに赤ん坊を引き受けてもいいものか?
赤ん坊の金袋に入っていた紙片に従って、次の街で何か商売を始めるにしても、カナンにはどんな商売を始めたらいいのか思いつかない。あの金に手を付けるのなら、紙片に書かれたことに従うべきだと思っていた。
「おーーい、そこの二人、こんなところで何してる? 早くしないと日が暮れちまうぞ」
声を掛けてきたのは通り掛かった荷馬車の男、街道を南に向かっているようだ。隣に座っているのは男の妻だろうか。男は馬を停めて御者台から降りると、こちらに近付いてくる。
「何か、布で赤ん坊を包んで。その服を見られちゃいけない」
小声でカナンがロザリアに言う。慌てて膝掛けを出すとロザリアは、赤ん坊を包み込んだ。
「なんだ、子ども連れか。それなのに、ここまで歩いてきたんだ? 大変だっただろう?」
男が赤ん坊を覗きこもうとする。あやすふりをしてロザリアは赤ん坊を男の目から逸らした。
「うちはさっき……少し前に結婚したばかりでね。早く子どもが欲しいと思っているんだ」
そんなロザリアを気にする様子もなく男が笑う。
「荷台で良かったら、南の街まで乗せてくよ。この森、陽がくれると魔虫が出るって話だぞ」
「魔虫?」
「なんて言ったかな……人を眠らせて耳から入り込む魔虫が湖にいるらしいし、森には迷子にさせて死ぬまで歩き続けさせる魔虫がいるって北の街で噂していた。あんたたち、どっちから来たんだい?」
「北の街からだ」
「あぁ、赤ん坊がいるから酒場にはいかなかったか。宿屋の主人が言ってなかったかい?」
「赤ん坊の世話で、話しを聞く暇はなかったんだ……乗せて貰っていいのかい?」
いいとも、さぁさ、乗ってくれ、と男は荷馬車に戻っていく。
「ロザリア、話しは聞こえていただろう。ここはあの荷馬車に乗せて貰おう」
「この子は? 連れて行っていいのよね?」
「ここで置いていくわけにはいかない。どこかで住むところと仕事を見つけよう。三人で暮らせる収入が得られる仕事があればいいのだけれど」
「嬉しい……」
ロザリアが赤ん坊の顔を見詰める。
荷馬車に近づくと、男が荷台に積んだ藁の束を解いて座りやすそうに整えている。
「お産がすんだばかりの母親を、荷台で揺らしちゃいけないって女房がうるさく言うんでね」
男が『女房』というところで照れて顔を赤くした。結婚して間もないと言っていたっけ、とカナンが思い出す。
本当はお産なんかしていない。気まずかったが、ここは誤解させたままがいい。男の女房が下りてきて、ロザリアが抱いた赤ん坊を覗きこむ。
「きれいな髪ね。お母さんと同じ色」
と微笑む。ロザリアが嬉しそうに微笑み返す。
「わたしが抱いていてあげるから、お父さんに手を貸してもらって荷台に乗るといいわ」
と言われれば、赤ん坊を渡さないわけにも行かない。
産着を気付かれはしないかと冷や冷やしていたが、男の女房は赤ん坊の顔を見詰めていて気が付く様子はない。ロザリアが荷台に乗り込むと、はい、と赤ん坊を返してきた。
思っていたほど荷台の乗り心地は悪くない。むしろこんなに揺れないものか、と驚くほどだ。
「お二人はどこまで旅をなさる予定で?」
途中、男に尋ねられた。
「よい仕事を見つけたくて……南の街の様子をご存知ですか?」
カナンが問い返す。
「俺たちと同じだなぁ。俺たちも仕事を探して南の街に行くところですよ」
と男が答える。
「実はね、コイツと結婚したがる男が星ほどもいてね。それを俺が盗んできた」
男が豪快に笑う。確かに男の女房はミステリアスな雰囲気の美人だ。
「で、邪魔されないよう、その街から逃げ出して、どこがいい所がないかとあちこち行った。これから行く街は静かで平和で、滅多にいざこざもないらしい。ちょっと田舎だが、街道沿いで貧乏過ぎることもない。だから、行ってみて、よさそうなら商売でも始めようと思っているんだ――あんたたちはどんな仕事を探してるんだい?」
「そ……そうなんだ」
自分たちと似たような境遇を言われカナンが驚く。
「実は僕たちも住んでいた街を逃げてきたんだ。どこかで商売でもしようと思っているのだけど、どんな商売をすればいいか判らなくって困ってる」
ふーーーん、と男が馬を御しながら考え込む。
「あんた、読み書きはできるかい?」
「できるよ。それがどうかした?」
「代書屋をやる気はないか?」
「代書屋?」
「うん、手紙や書類を本人に代わって書いてやるんだ。あるいは読んでやったりね。読み書きできない人間が街にはごまんといるから、それなりに稼げるはずだよ」
「あなたも代書屋なんだ?」
「いいや、俺は伝令屋をやる。伝令屋は手紙や言伝を届ける仕事だ。でも、新規に始めるんだから、顧客がいない。あんた、代書屋をやって、俺と組まないか?」
「しかし……代筆なんかしたことがない」
「なぁに、コツは俺が教えるさ。俺の親は代書屋だ。どんな仕事かは子どものころから知っている」
「なんで自分は代書屋をしない?」
「同業だと見つかっちまうかもしれないじゃないか」
お尋ね者なのさ、俺は――男がまた笑った。




