22 城の意思(2)
駆け落ちしてきた二人だった。
街一番の土地持ちで代々伝わる名家の一人息子、親が決めた許嫁は隣街の豪農の娘だ。けれど愛した娘は二親をすでに亡くし、屋敷に住み込みで働くメイド、しかも子どもの頃に罹った病で子は望めないと、病を治癒し、命を救ってくれた魔導士から告げられていた。許しが得られる二人ではなかった。
「湖だ。少しここで休もう」
若者が娘の手を引いて、座りやすそうな岩に導く。
「きれいな湖ね」
岩に腰かけて娘が若者に微笑む。
二人が眺めている岸は街道に面している。他はぐるりと森に囲まれた湖の水は透き通り、陽の光で煌めいている。若者は畔まで降りて行き、皮袋に水を汲む。
「足を出して。洗えば少しは痛みが引く」
娘の足は歩き疲れ、豆もつぶれてしまっていた。若者が娘の足に水を注ぎ、滲み出た血を洗い流す。染みるのだろう、娘が顔を顰めた。
「あら? 何か聞こえなかった?」
娘がふと耳を澄ます。
「赤ちゃんが泣いている」
「こんなところで? ほかには誰もいなさそうだし、人家も見当たらない」
気のせいだよ、という若者に、
「ううん、あれは赤ちゃんの泣き声よ」
娘が泣き声を探して繁みを掻き分ける。
「危ないよ」
若者がそのあとを追う。すると確かに途切れ途切れに赤ん坊の泣き声がする。
「あ……」
「……本当だ、赤ん坊だ」
「こんなところに、なぜ?」
可哀想に、と泣き出しそうな娘が、慌てて赤ん坊を抱き上げる。
「きれいな赤ちゃん。きっと生まれて大して経っていないわ」
「捨て子……かな?」
若者も赤ん坊を覗きこむ。
着せられた産着は上等なものだ。純白のシルクを使い、レースの縁取りにはところどころに宝石が編み込まれている。とても普通の街人に買えるものではない。買おうとて、その辺りで売っているような店はない。
「金持ちというより、貴族かもしれない。領主さまでもなければ、こんな服を手に入れられない」
「それなら余計に不思議だわ。そんな身分でどうしてこんなところに一人で?」
「誘拐でもされたかな? 持て余して犯人がここに捨てた、とか」
「可哀想に」
そうと限ったわけでもないのに、同情した娘が瞳を潤ませる。
もっとよく赤ん坊を見ようとして一歩踏み出した若者の足に何かが当たってジャラリと音がする。見ると豪華な刺繍が施された布袋がある。
「この子の物かな?」
拾い上げるとずしりと重い。ひょっとして金袋か? そう思いながら若者が紐を解いて中を見る。想像通り、中身は金だ。しかも金貨、銀貨が詰められている。
「誘拐されたわけではなさそうだ」
金と共に袋に入れられた紙片を若者が引っ張り出す。
「捨て子だね。でも、こんなところに捨てて誰も気が付かなかったら、こんなに金を持たせたってこの子は死んでしまうだろうに」
若者が怒りを示しながら、紙片を広げる。
「金持ちだか貴族だか知らないが、『次の街で商売を始めてこの子を育てろ』だってさ。命令している」
「捨て子なのね……」
娘が赤ん坊を見詰めながら呟く。
「だったら、わたしたちが育ててもいいわよね?」
「ロザリア……こんな大金を付けられて、こんな場所に捨てられるなんて普通じゃないよ。関わらない方がいい」
「でも、ここに置いていけば、この子は誰にも見付けて貰えないまま死んでしまうのでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
若者がもう一度赤ん坊を見る。娘に抱かれて安心したのだろうか、すやすやと眠っている。
「眠っているね」
「うん、眠りながら自分の指をしゃぶっているわ」
ロザリアと呼ばれた娘が笑みを浮かべる。そしてふと顔を顰める。どうした? と若者がそれを心配する。
「判らない。なんだか胸が張って、少し痛いわ」
「とりあえず、さっきの場所まで戻ろう。こんな藪の中じゃ虫に刺される。どれ、僕が抱いていくよ。首が据わってないね。本当、生まれたてみたいだ」
さっきロザリアを座らせた岩のところまで戻って振り向くと、ロザリアはすぐそこにいるけれど、立ち止まったままだ。豆を潰した足が痛むのだろう。
ここからはロザリアを負ぶっていこう。次の街までまだかなりある。やっぱりこの子は連れて行けない。
「この子はここに置いていこう」
「いいから、赤ちゃんを貸して」
戻ったロザリアが若者から赤ん坊を取り上げる。
「わたし、お乳が出るの。胸元が濡れているようで、可怪しいと思って見てみたら、お乳が出ていたの。この子のために出るようになったみたい」
「え?」
岩に腰かけ胸をはだけると、赤ん坊の指を外して乳首を口に含ませる。その間際、白い筋がピュッと迸っている。
「なんで?」
驚く若者に、ロザリアが幸せそうな笑顔を見せる。
「判らない。でも赤ん坊の声を聞いただけでお乳が出るようになることもあるって聞いた事があるわ」
「それは経産婦ではなかった?」
「実際そうなのだから不思議でも仕方ないのよ」
赤ん坊は目を覚まし、懸命に乳を飲んでいる。
「この子の名前は書いてなかったの?」
「あの紙には書いてなかった……でも、お包みに『ロファー』と刺繍してある」
「あぁ、ロファー。わたしがあなたのお母さんになってもいい?」
「ロザリア……」
若者が困り顔を見せる。
「お願い、カナン。わたし、子どもは諦めていた。こんなふうに抱いたり、お乳を上げたりなんて出来ないって諦めていた。だけど、ロファーがそれを叶えてくれたの。この子の親がなぜここにこの子を捨てたかは判らない。でも憎くて捨てたのじゃないのは判る。憎い子に、こんな上等な服を着せ、そんな大金を持たせるはずがない。この子を大事に育てて欲しいと願って、そうしたのよ」




