4.「レイティ誘拐事件」
「儂がファドット・フォン・ローズマイルズだ! レイティよ、ようこそ、我が家へ!」
「レ、レイティと申します! 不束者ではございますが、これから何卒宜しくお願い致します!」
「そう緊張するな。今日からここは貴様の家だ。スピッドよ、でかしたぞ! 気立ての良い素敵な娘さんじゃないか! はっはっは~!」
その足で家に向かうと、父はレイティをすんなりと受け入れてくれた。
元々父自身が平民で、そこから公爵家に上り詰めたというのもあって、勘当されて平民となったレイティのことを受け入れやすかったのかもしれない。
※―※―※
「簡易的なものですまんな。ちゃんとしたのは、いずれやるから」
「いえ! 私、十分幸せです……! ありがとうございます……!」
出会った翌日には、俺たちは街中の教会で結婚式を挙げた。
神父にも来てもらったが、参列者はローズマイルズ公爵家の関係者ばかりだった。
とは言っても、メイドに執事、料理人に庭師、更には百人の私兵団団員たちがいたため、人数だけならそこそこの規模だ。しかし、我が家の関係者ばかりで、あくまで私的な式であることには変わりない。
〝社会に対してアピールするための盛大なもの〟は、また改めて行うこととした。
準備に時間が掛かるからな。
ちなみに、〝誓いのキス〟は、頬にさせてもらった。
レイティと出会うまで、結婚に全く興味が無かった俺だが、いざレイティに惚れてしまうと……その……俺のこの十五歳という若くて健康な身体は、彼女の美貌に過剰に反応してしまいそうになるのだ。
その笑顔も、声も、豊かな胸も、見る度に、聞くたびに、色々と反応してしまいそうになって、正直困る。
俺がただの若者ならば、それで構わないのかもしれない。
が、忘れてはならない。俺はまだ一万倍の重力から解放されて数日。
少しでも気を抜くと、〝歩く災害〟になってしまう男なのだ。
絶対に彼女を傷付けたくない。
だから、夜寝る時も、一緒の寝室で、一緒のベッド、ということにはなったが(父は当たり前にそのように準備していたし、他ならぬレイティも、頬を赤らめ、躊躇いながらも、それを望んだ)、〝そういう夜の行為〟も、暫くはしないつもりだ。
ただ、〝触れ合い〟は大切にしよう、と二人で話し合ったので、〝出来るだけ自然な、普通のスキンシップ〟は取っても良い、ということにした。
「あっ!」
ベッドに横になりながら、小さな耳に触れると、レイティの口から可愛らしい声が漏れる。
「んっ!」
耳どころか、白くて細くてしなやかな指や、小さなその手の平に、俺が指でそっと触れたり優しくなぞるだけでも反応する。
「レイティは敏感なんだな。俺もこういうことは詳しくないんだが、かなりエッチなんじゃないか?」
「そ、そんなことはないです! ……ない……と思います……多分……」
頬を紅潮させて、潤んだ瞳を伏せるレイティ。
俺たちはどちらもこういうことには疎いから、何が正解なのか分からない。
と、その時、レイティが俺の手の甲をそっと優しくなぞった。
「あっ」
「くすっ。お返しです。スピッドさまも〝エッチ〟でしたね」
「……そうだな、どうやら俺もだったみたいだ」
「お揃いですね」
嬉しそうに彼女がはにかむ。
まだまだ分からないことだらけだが、父が結婚相手を探せと言った意味が少しだけ理解出来た気がする。
ローズマイルズ公爵家を存続させるということだけじゃない。
とても素敵なことなんだなって、彼女の笑みを見て、実感した。
※―※―※
翌日。
簡易的な結婚式しか挙げなかったのだが、領民たちの間では、瞬く間に噂が流れたらしくて。
「突然お邪魔いたしまして、申し訳ございません。私の娘がお世話になっていると聞きまして」
「妹がお世話になっております」
レイティの母親と姉が来訪した。
「お母さん! お姉ちゃん!」
目を丸くするレイティを見た母親と姉の瞳に、一瞬だが、複雑な感情が宿る。
俺は、レイティの前に出ると、二人を睨み付けた。
「俺の妻を何度も殴った女とその母親が、今更一体何の用だ?」
勘当された経緯は全て聞いていたので、正直俺ははらわたが煮えくり返っていた。
こんな良い子にそんな酷いことをする人間がいるなんて、信じられない。
「あ、あのことは、本当に申し訳なく思っています。レイティ、本当にごめんなさい!」
レイティの姉が頭を下げる。
「今更謝罪とはな。勘当したんだろ? だったらもう彼女とは何の関係もないはずだ」
「私も、娘のことをずっと案じていたのです。なんて酷いことを言ってしまったんだと、ずっと後悔しておりました。もう一度親子として、家族として、共に歩んでいきたいと、そう願っています。本当にごめんなさい、レイティ。私が悪かったわ」
母親も頭を下げる。
「あの、えっと――」
「大丈夫、俺に任せて」
優しいレイティが横から口を挟もうとするが、止める。
このタイミングで、公爵家の家に来て謝罪、復縁を目論む。
そんなの、公爵家の財産と権力が欲しいだけに決まっている。
コイツらは、レイティのことをただの〝道具〟と見做している。
全く大切に思っていない。
「帰ってくれ。レイティは復縁なんてしない。二度と顔を見せるな」
母親と姉の頬が引き攣る。
「どうした、客人か?」
そこに、騒ぎを聞きつけた父がやってきた。
「突然の訪問、どうかお許しくださいませ。私、レイティの母のマリージャ・フォン・ベネヴァノーブルでございます」
「レイティの姉のススナ・フォン・ベネヴァノーブルと申します」
「娘のレイティがお世話になっておりますので、本日はご挨拶のためにお伺いいたしました」
優雅にカーテシーで挨拶する二人を、父は冷酷な視線で射抜いた。
「勘当したのだろ? この子はもう儂の子だ。貴様の娘ではない。即刻帰れ」
しかし、余程面の皮が厚いのか、母娘は諦めない。
「も、もし宜しければ、レイティの姉であるこの子を御子息の伴侶にされるのはいかがでしょうか? ススナは、ゴールデンロマノ剣魔学院にトップ合格した才女で、魔法の才に優れ、更には賢いだけでなく、御覧のように容貌も申し分なく、気立ても良くて――」
「儂は帰れと言ったのだ。妹に暴力を振るう女など息子に相応しいとは到底思えんし、娘に暴言を吐き、剰え勘当するような母親の言葉など、何一つ心に響かん」
「ですが――」
「それとも何か? ベネヴァノーブル男爵家を儂の力で叩き潰して欲しいのか?」
「「!」」
母娘が目を見開き、青褪める。
彼女たちは、唇をキツく噛みながら、「し、失礼いたしました」と頭を下げると、帰っていった。
※―※―※
「旦那さま、スピッドさま、ありがとうございました!」
ペコリと頭を下げるレイティに、父が笑顔を向ける。
「なぁに。貴様はもう儂の娘だ。気にするな。それより、家族なのだから、旦那さまではなく、〝お義父さん〟とでも呼んでくれ」
「そんな……恐れ多いです……」
「儂が呼んで欲しいのだ。無論、無理強いをするつもりはないがな」
「それでは、その……お義父さま……」
「おお! 良いではないか! はっはっは~!」
父は豪快に笑った。
※―※―※
「スピッドさまには、本当は姉に会って欲しくなかったんです……」
二人っきりになった後、レイティがポツリと言った。
「意地悪な姉だからか?」
「いえ、そうではなくて……姉はすごく美人なので……その……勿論スピッドさまのことを信じてはおりますが、やはり男性は、綺麗な女性に惹かれると思いますので……」
「何言ってるんだ? レイティの方が百倍可愛いぞ?」
「え!? またそういうことを……!」
「だから本気だって」
「……ありがとうございます……」
レイティの頬が朱に染まった。
※―※―※
「ううううううう!」
「大丈夫か? いつでも負荷を下げて良いからな?」
「はい……でも……大丈夫です……! ううううううう!」
自分の身は自分で守れるようになりたい、と申し出たレイティに、俺は自分の分とは別に、新しく召喚した重力制御指輪をプレゼントした。
本当は、そんな身体に負荷の掛かることをレイティにさせたくはなかったのだが、あの時俺が通り掛からなかったら、幼女を守るどころか、自分諸共モンスターに殺されていたことを気に病んでいた彼女の意思は固かった。
それに、以前言っていた〝歩いたり走ったりするスピードを速くする〟のにも確実に役立つし、〝コケないようにする〟ためにも、身体を鍛えるのは有効だろう。
「ううううううう!」
十倍の重力下で、必死に歩き回るレイティ。
それにしても、すごいな……!
まだ一日しか経っていないが、彼女は、二倍、三倍、五倍、八倍と、次々と過重力での徒歩とランニングと筋トレをこなしていった。
どうやら、レイティの固有スキルである〝抱擁〟には、かなりの負荷のトレーニングでも〝抱き締める〟――つまり、〝受け止める〟ことを可能にする効果も付与されているらしく、俺とは比べ物にならないスピードで、成長している。
「……では、買い物に行ってきます……!」
「本当に大丈夫か? やっぱり、俺もついていった方が――」
「……いえ、大丈夫です! 守られてばかりじゃいけないと思うので! 私も、少しでも良いから、スピッドさまみたいに強くなりたいので!」
レイティは、十倍の重力負荷を受けた状態で、一人で買い物に行ってしまった。
別に、そんなことしなくても、レイティは強いけどな。
まぁ、心だけじゃなくて、肉体も強くなりたいのかもな。
ちなみに、我が家ではシェフが料理を作ってくれるのだが、どうやらレイティは、俺に手料理を振る舞いたいらしく、そのための買い出しだ。
※―※―※
二時間後。
「……遅いな……」
いや、まぁ、十倍の重力下で動いているのだから、こんなもんか。
でも、ちょっと心配だな。
怒られるかもしれないが、様子を見にいこう。
そう思った直後。
「た、大変です、坊ちゃま!」
メイド服に身を包んだティピィが、血相を変えて走ってきた。
「そ、掃除をしていたら、こんなものが玄関の前に!」
それは、置手紙と魔導具だった。
手紙には、こうあった。
<公爵家令息の妻、レイティは預かった。返して欲しくば、魔導具の魔石に触れて起動しろ>
「くそっ!」
完全に判断を誤った!
怒られても良いから、俺もついていけば良かった!
「坊ちゃま……!」
「……ああ、分かっている」
四角い金属製の箱に入った魔石に触れる。
ブン、という音と共に魔石が輝く。
「よう、ローズマイルズ公爵令息スピッドさまよ~。御機嫌いかが? ヒヒッ!」
魔石の向こうに、どこかの建物の一室の映像が映し出されて、大勢いる荒くれどもの中でも最も目付きが悪く、野蛮そうな男が話し掛けてくる。
「レイティ!」
「んんっ!」
奥の方には、両手足を縄で縛られ、猿ぐつわを嵌められて床に転がされているレイティの姿が見える。
「俺様は、アブナダップ盗賊団の頭をやってるアブナダップだ。大切な嫁の命が惜しくば、今すぐ金貨千枚を用意しろ。コイツ、こんな見た目の癖にめちゃくちゃ重くて、運ぶ際は、十人がかりでやっとだったからな。苦労した分、元を取らせてもらうぜ」
コイツらが、レイティを!
頭に血が上る。
今すぐぶっ殺してやりたい。
「しー」
父上?
が、そこにティピィに呼ばれた父がやってきて、俺は少しだけ冷静さを取り戻した。
何故か父は、口の前に人差し指を立てて、静かにしろと告げている。
手に持った〝小さな魔石が嵌め込まれた金属製の板〟を魔導具の箱の側面にくっつけた父は、その魔石から放出された光が空中に描く〝街中の地図〟と、その中の赤く点滅する箇所を指差しながら、俺の耳元で囁く。
「以前からマークしていた盗賊団だ。今、感知魔法が付与された魔導具を使って、相手が通信魔導具を使っている位置を割り出した」
「! ありがとうございます!」
俺が振り返ると、アブナダップは、「おい、何コソコソ話してやがるんだ、ああ? てめぇら、自分の立場分かってんのか!」と、顔を歪めて威嚇するが、俺は、冷静に告げた。
「ここなら、今から〝三秒〟くらいで行ける。待ってろ。直接話し合おう」
「は? 〝三秒〟? 直接? てめぇ、何を言って――」
ドーン
「待たせたな」
「………………へ?」
街中を音速を超える速さで(しかし衝撃波は出さないように調整しつつ)駆け抜けた俺は、街の外れにある、昔ある貴族が住んでいたと言われ、今は廃墟となった大きな屋敷の壁のみを衝撃波で吹っ飛ばした。
中に見えるのは大広間で、右手奥に捕縛されたレイティが、左手の方には、突然の出来事に目を丸くして言葉を失くす大勢のならず者たちと、今正に魔導具を使って通信している男が見える。
「さぁ、話し合おうか」
「何だそりゃあああああああああああああああ!?」
アブナダップの叫び声が街中に響いた。