1.プロローグ
「交通事故に見せ掛けて其方を殺したのは、妾じゃ」
「………………は?」
足を速くするため夜道を走りトレーニングしている際に車に撥ねられて死んだ高校陸上部エースの俺が、ひたすら真っ白な世界に転移させられ、女神と名乗る妙齢の女と話していた時のことだった。
「陸上男子短距離選手の筋肉が好き」だの「其方の筋肉はサイズも形もバランスも奇跡的な調和を保っており、人類史上最も美しい」だの「妾のものとなるのじゃ。さすれば何でも望みを叶えてやるからのう。速く走りたいのじゃろ?」だの色々と気持ち悪いことを一方的に告げてきた女神。
そんな彼女に対して俺は、「嫌だ。お前のものにはならない。何かキモいし」と断ったのだが、その瞬間に、ブチッと何かが切れた音がして、奴は冒頭の台詞を吐いたのだ。
「せっかく妾だけのこの空間に招き入れてやったというのに! この妾を! 女神という至高の存在にして絶世の美女である妾の求愛を拒否するなどと、どういう了見じゃ!?」
「いや、俺を殺しといてよくもまぁいけしゃあしゃあとそんなこと言えるなおい」
「美貌を誇る女神の空間に招かれて、剰え交わることすら出来るのじゃから、死ぬくらい大したことではないじゃろうが!」
うわー。
ヤベーよこの女神。
〝女神〟っていうか、〝邪神〟だろこれもう。
「そんな愚か者など、もう要らんのじゃ! 本当はもう転生などさせずに、死んだままにしておきたいところじゃが、一度転生申請をしたのを取り下げるとなると、ちゃんと理由を述べよとか言われて最高神にチェックされて面倒くさいからのう。転生はさせる。が、罰として、転生したという記憶は封印するのじゃ。余程のことがない限り思い出すことも無いじゃろう」
ヒステリックな声を上げたかと思うと、何故か俺が悪者になっており、罰を与えると言い出す女神。
「そして、最強スキルも魔法も剣技もやらんのじゃ! このまま固有スキルは無し――としたいところじゃが、必ず一つは持たせるというのが転生ルールじゃからのう。仕方が無い。そんなに速く走りたいなら、【筋トレマシン召喚】をくれてやるのじゃ。脳筋バカにはお似合いのゴミスキルじゃ」
女神が無造作に手を翳すと、俺は眩い光に包まれていく。
「本当は自分が何者なのかも思い出せず、意味が分からないゴミスキルに戸惑いながら、無為な一生を過ごすが良い! アーハッハッハ~!」
女神の嘲笑を聞きながら、俺は、ある一つの単語のみをずっと念じ続けていた。
〝●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●! ●●●!〟と。
奴曰く『転生したという記憶は封印する。〝余程のこと〟がない限り思い出すことも無い』とのことだったから、俺が自分を取り戻し、現代日本で果たせなかったことを果たすには、これしかない。
ひたすら自身の魂にその言葉を刻み続けた俺は、異世界に転生した。
※―※―※
ドスン
「ぐぁっ!?」
「だ、大丈夫ですか、坊ちゃま!?」
落下した俺は、強く打ち付けた頭を抱えてゴロゴロと地面を転がる。
鋭い痛みに涙しつつ、見上げると目に飛び込んでくるのは、メイド服に身を包み心配そうに覗き込む十二歳の少女ティピィと、聳え立つ〝大木〟。
思い出した……!
なんとか成功したみたいだな。
転生直前に〝木登り! 木登り! 木登り! 木登り! 木登り! 木登り!〟と魂に刻み続けた俺は、目論見通り転生後に木登りをして落下、頭部に大きな衝撃を与えることで、本来の自分を思い出すことが出来た。
だが、一つ大きな問題が生じてしまったようだ。
前世の記憶を取り戻した俺だが、転生してからの五年間の記憶も残っている。
生まれた瞬間から〝とにかく木登りをしようとした〟俺だったが、赤ん坊にそんなことを許す親もメイドもいない。
そこで俺――スピッドは、一番身近にいて世話を焼いてくれる存在――つまり、〝メイドたち〟の〝身体〟を登ることにした。
「あっ!」
赤ん坊とはいえ、うら若き乙女たちが、胸を掴まれ、よじ登られるという仕打ちを毎日毎日繰り返しされるのだ。
「くっ!」
一歳、二歳、三歳となって、木登りが出来るようになっても、暗くなってからは建物の外に出ることを禁じられたので、夕方以降は代わりにメイドたちの身体を登り、赤ん坊の頃に比べて大きくなった手で、やはり胸を掴み、よじ登る。
「ああっ!」
特に五歳となったこの頃では、もう「子どもだから」では完全に済まなくなっていたことだろう。現に、彼女たちは羞恥に頬を赤く染めて、身悶えし、プルプルと震えながら耐えていた。
当然陰口も言われていたようだ。「坊ちゃまのアレはないわよね……」「流石に五歳でアレはもう……確信犯よね……」「きっと、〝木登り好き〟を口実にして、〝子どもだから〟〝公爵令息だから〟という免罪符を使って、好き放題セクハラしてるのよ!」などと。
俺は、世界最速になりたい。人間だけじゃなく、動物だろうが何だろうが、森羅万象全ての存在のスピードを超えたい。
そのためには、生活環境はめちゃくちゃ大事だ。
幸い、最高位の爵位である〝公爵〟の息子なので、金には困らないだろう。
が、人間関係は別だ。
良好であればあるほど良い。
悪いと、最悪、トレーニングすらままならなくなるからな。
「坊ちゃま、頭を強く打たれましたよね? 大丈夫ですか?」
心配そうに声を掛けてくるティピィに向かって、俺はバッと上体を起こすと、そのまま土下座した。
「今まで、言葉に出来ないほど酷い仕打ちをしてきたことを、本当に悪かったと思っている。本当に申し訳ない」
「え!? ええ!? あ、頭を上げて下さい、坊ちゃま! 公爵家の御子息さまが、使用人に対して、そのようなことを――」
「いや、立場なんてどうでも良い。ティピィ。俺はお前に酷いことをした。謝って済む問題ではないとは分かっているが、俺にはこれ以外に出来ることがないんだ」
俺が地面に頭を擦り付けていると、「え、でも……その……」と、屈んだティピィがオロオロとするのが感じ取れた。
「本当にどうされたんですか、急に? 頭の打ち所が悪かったのですか? 一度お医者様に診てもらった方が良いですよね? 旦那さまを呼んで来ますので、少し待っていて下さいませ!」
ティピィが背を向けて走り始める。
あ。〝俺の前〟を走ってる。
気付くと、俺は。
「はやっ!? って、え!? 坊ちゃま!?」
駆け出していた。ティピィを抜き去り、中庭を突っ切って、一気に屋敷の中に入る。
済まないな、ティピィ。
お前にしたことは悪いと思ってはいるが、でも俺は、〝走ること〟で誰かに負けるわけにはいかないんだ。
「どうしたんだ、スピッド? 儂と遊びたいのか?」
ドアをノックして執務室に入ると、威厳のある中年男性が、顔を綻ばせて椅子から立ち上がった。俺の父親――ファドット・フォン・ローズマイルズだ。
公爵の仕事で多忙だろうに、一人息子を溺愛する彼は、どれだけ忙しかろうが、会いに来た息子を無下にすることは決してない。
彼の妻――つまり俺の母親が、こうして俺が前世を思い出す前に病死していることも一因だろう。
俺たちはお互いが、唯一の肉親なのだ。
「えっと、別にそういう訳では――」
〝ただティピィに勝ちたかったから〟と言うのも憚られて、俺が躊躇していると。
《私はサポートシステムの〝サポ〟です。〝意識〟が上書きされたので、改めてお知らせします。貴方は、ゲーム〝ファンタスティックバトル――通称FB〟の世界に、怠惰だが才能溢れる悪役貴族〝スピッド・フォン・ローズマイルズ〟として転生しました。今後は様々な破滅フラグが襲い掛かってくるので、回避して下さい。最初の破滅フラグは十年後で、回避しなければ確実に死にます》
脳内に語り掛けてきたのは、女性っぽい機械音声だ。
本来ならば怠惰で、その才能を開花させずに破滅フラグによって死ぬ役どころらしい。
俺が魂に刻んだ〝木登り〟という言葉によって、この五年間の行動がかなり変わったようだが。まぁ、木登りばかりしているのも、怠惰と言えば怠惰なのだろうか。
それにしても……
なるほど。女神め、やってくれるな。
これもアイツの言う〝罰〟の一つか。
だが、丁度良い。
俺は世界最速になる男だ。
速さは全てを凌駕する。
速くなって、どれだけ破滅フラグが襲い掛かって来ようが、追い付けなくしてやる!
「スピッド?」
父親が怪訝な顔をする。
「はぁ、はぁ、はぁ……坊ちゃま……」
やっと追い付いたらしいティピィが、背後で声を上げる。
「『サモン』」
そんな中、俺は召喚――サモンした。ランニングマシンを。
固有スキル【筋トレマシン召喚】で。
っていうか、これ、〝筋トレ〟マシンじゃないけどな。
でも、召喚出来ちゃった。まぁ、そりゃ走るのに筋肉は使うっちゃ使うけどさ。
結構条件が緩いんだな。
「な、何だこれは!? 貴様の固有スキルか、スピッド!?」
突然目の前に出現したランニングマシンを見た父が、目を丸くする。
取り敢えず乗って、走ってみる。
動力は――ランニングマシンに埋め込まれた魔石らしい。
「わぁ、動いていますよ、坊ちゃま!」
「こんなもの、儂も初めて見るぞ! すごいぞ、スピッド!」
動くし、走れるけど……これってそもそも、体力向上とか、ダイエットとか、そういうやつのためだよな? 速さ追求には不向きかも。
パチン
指を鳴らしたら、消えた。
どうやら、出し入れは自由にできるらしい。
「『サモン』」
次はダンベルを出してみた。
うん、普通のダンベルだ。
っていうか、【筋トレマシン召喚】って言いながら、〝マシン以外〟でも召喚出来るんだな。であれば。
「『サモン』」
俺が召喚したのは、指輪だ。
左手の中指に嵌めてみる。
「二倍」
そう呟くと。
「うぐぉっ!?」
〝俺個人〟に掛かっている重力のみが、二倍になった。
上からの重圧で床に押し付けられる俺。指輪に付与された〝重力魔法〟の効果だ。
「きゃあ!」
「大丈夫か、スピッド!?」
助けようと、父親が俺の身体を持ち上げようとするが。
「おもっ!?」
普段の俺の体重と全く違っており、驚きの声を上げる。
「……オフ……」
重力制御指輪の効果が切れて、俺は過重力から解放された。
「これだ! 見つけた!」
「スピッド……さっきから一体何をしているんだ?」
困惑する父に、俺は頭を下げた。
「父上、お願いがあります。このままでは俺は十年後に死にます。なので、死なないように、今から十年間、鍛えたいのです」
「!?」
※―※―※
「……異世界転生……サポートシステム……破滅フラグ……」
俺の話した内容に、父は腕組みをし、懸命に理解しようとする。
ちなみに、ゲームの世界である、ということは伏せておいた。
トレーニングばかりでゲームのことには詳しくない俺でも知っているくらいの有名タイトルではあるが、勿論この世界の住人がそんなことを知っている訳は無いからな。
それに、そもそも、現代日本人だって、いきなりある日「実はここは、ゲームの世界なんです」なんて言われても、信じられないだろう。
「スピッド。お前のことを疑う訳ではないが、占い師を呼んで調べさせても良いか?」
「勿論です」
三十分後、執事長の初老男性ラトバスに連れられて、占い師の老婆が現れた。
百パーセント当たると評判の占い師だ。
彼女には、「将来について占って欲しい」という、ザックリとした依頼をしてある。
その方が、信憑性が出るからな。
俺の眼前に置かれた魔導具らしき水晶を覗き込んだ彼女は、カッと目を見開いた。
「見えますぞ! こ、これは! お、恐ろしい! 十年後から、数多の災いが御子息様に襲い掛かってきますのじゃ! しかも、命の危険がある災いが!」
「! ……そうか……」
占い師が帰った後、眉間に皺を寄せる父に、俺は改めて頭を下げた。
「父上。俺は死にたくありません。もっと父上と一緒にいたいです」
「スピッド……」
厳格な父の目に涙が浮かぶ。
現代日本で若死にした俺は、一体どれだけ両親を悲しませたことだろう。
せめてこの世界では、そんなことはしたくない。
「ですから、どうか、今日から十年間、先程の〝使用者に掛かる重力を操る指輪〟を使ってのトレーニングを行うことをお許し下さい。身体を鍛えて、通常では辿り着けないスピードを手に入れてみせます。どのような悪人やモンスターが襲って来ようが、誰よりも走るスピードが速ければ、逃げられるはずですから。その代わり、十年間の間は、寝ている時間も含めて、俺は誰とも触れ合うことが出来なくなります。先程俺に触って分かったと思いますが、あれで〝二倍〟の重力です。トレーニング中の俺に触れることは、危険過ぎます。これから、もっともっと負荷を大きくしていきますので」
目を瞑った父は、目を開くと、深く息を吐いて、答えた。
「……分かった……」
「ありがとうございます、父上。早速、今から――」
「明日からにしてくれ!」
「え? でも、善は急げと言いますし、やはり今から――」
「明日からだ! そうじゃなきゃ、許可出来ん!」
「……分かりました」
今後十年間は一人息子との触れ合いが禁止されるというのは、本来父にとっては耐え難いことらしく、その日は一日中俺とベッタリくっついており、俺を膝の上に乗せて食事をして、一緒に風呂に入り、トイレすらも一緒に入った。
そうか、寂しいんだな。
そりゃ親からしたら、急な話だし、無理も無いか。
※―※―※
翌日から俺は、トレーニングを始めた。
まだ五歳の身体に過大な負荷を掛ける訳だが、そんなことは言ってられない。
このままだと十年後に確実に死ぬのだ。
俺は、世界最速になりたいんだ。
破滅フラグとか何とか訳の分からない理由で死んでたまるか。
「ぐっ!」
重力制御指輪を使って、最初は二倍の重力にした。
最初はそれでも、地面に押し付けられていたが、少し経つと、慣れた。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」
歩くところから始めて、雨の日は室内で、晴れの日は外でスクワット、腕立て、腹筋、背筋などの基礎的な筋トレを行った。
やたら広い公爵家の中庭というアドバンテージを存分に使って、父に頼んで、走るための専用の広大なスペースを確保してもらった。
「はああああああ!」
そこで、腿上げ、両脚で弾むように高く跳ぶ練習、バウンドするように走るバウンディング、スピードバウンディング、スレッド走、坂ダッシュ、加速走、インターバル走などを行った。
最初は苦労したが、少しずつ慣れていった。
一年で十倍まで、三年で百倍、五年で千倍の重力に耐えられるようになった。
十年経つ頃には。
「……〝一万倍〟……!」
〝一万倍〟の重力でのトレーニングすら可能になった。
その中で筋トレをして、走る、ということを繰り返した。
ちなみに、地面が陥没しないように、建物の床が抜けないように、ベッドなど自分が使うその他の物も潰れないように、自分の家の敷地内にある全ての物が、今現在自分に掛けている重力に耐えられるように、その都度強度を上げる、という効果を与える魔導具も召喚して使った。一応これも、トレーニングに関係のあるものだから、召喚出来たらしい。
※―※―※
そして、十年後。
十五歳になった俺は、常に過重力に晒され続けた訳だが、異世界転生者特典なのか何なのか分からないが、奇跡的に身長が普通に伸びていた。
「とうとう、この日が来たな、スピッド」
感無量という様子で、父が目に涙を浮かべ、肩を震わせる。
少し髪に白いものが交じり始めた父に、かなり無茶なトレーニングで心配を掛けたことを申し訳なく思いつつ、俺は感謝を告げる。
「本当にありがとうございます、父上。おかげで、人間ならば誰にも負けないスピードを獲得出来ました。恐らく相手がモンスターであろうと、逃げ切れます。これなら、破滅フラグすらも俺には追い付くことは出来ないでしょう」
一応、まだ危険なため「少し離れたままでお願いします」と頼んでおいたので、父は、まだ距離を取ったまま俺を見守っている。
「坊ちゃま、本当に頑張られましたね! こんなに御立派になられて!」
すっかり大人になったティピィもまた、涙を浮かべてくれていた。
あんな酷いことをした俺に対して、そんなことを言ってくれるなんて……
本当に良い人だな……
「では、重力制御指輪を切ります。オフ」
〝一万倍〟の過重力から解放された俺に、父が駆け寄ってくる。
「我が息子よ!」
自分をずっと支え続けてくれた父親が駆け寄ってくるのを見て、感極まり、「父上!」と、自分からも抱き着こうとして、〝少し速め〟に〝歩いて〟しまった俺は。
ゴオオオオオオッ
「ぬおおおおおおおおおお!」
「………………あ」
〝音速〟を超えたことで〝衝撃波〟を発生させてしまい、父親と屋敷の半分を吹っ飛ばしてしまった。
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