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第8話 春の誓い

 あの夜の騒乱が過ぎ去り、花屋には再び静寂が戻った。

 しかし、ルシアの胸には深く赤い傷跡が残っていた。

 神の加護を失った今、それは自然治癒に頼るしかない——力を使えぬルシアは、ただの存在として痛みに耐えるしかなかった。


 ホロはルシアを花屋の二階の部屋に寝かせ、夜通し傍らに座り続けた。

 窓の外には春の月が浮かび、その光が白いシーツにやわらかく落ちている。


 「……痛む?」

 小さく問うと、ルシアは微笑もうとしたが、唇の端がわずかに震えた。

 「ええ……でも、ホロさんがそばにいてくれるから……大丈夫。」


 その言葉を聞くたび、ホロの胸は温かくも苦しくなった。

 包帯を替えるたび、指先に伝わる彼女の体温と、かすかな震え。

 傷口はまだ赤く、触れれば彼女は小さく息を飲む。

 ——守りきれなかった、という後悔が、何度も胸を刺した。


 それでも彼は手を止めなかった。夜明けまで寄り添い、時に窓の外の月に祈るような思いで、彼女の安らかな寝顔を見守り続けた。


 数日後、季節外れの冷たい雨が降った夜、ルシアは目を覚ますと、ホロがソファでうたた寝しているのを見つけた。

 彼の肩には毛布がかかっているが、きっと自分の世話をするために何日も満足に眠れていないのだろう。


 「……ホロさん……」

 囁くように名前を呼ぶと、彼はゆっくり目を開けた。

 「起こしちゃった……?」

 「いや……ただ、夢を見てた。」

 「どんな……夢?」

 「……ルシアが、もう傷ひとつなく笑ってる夢。」


 ルシアは微笑み、枕元から手を伸ばして彼の手を握った。

 「それは、もうすぐ現実になるわ。」


 やがて春の花が咲き誇る頃、彼女はゆっくりと歩けるようになった。

 胸の痛みはまだ残るものの、包帯の下の傷は少しずつ薄くなっていく。

 最初は数歩歩くだけで息が上がったが、日ごとにその歩幅は確かなものとなり、ホロはその回復の軌跡を、誰よりも嬉しそうに見守った。


 ある夕暮れ、ホロが花屋の軒先で植木に水をやっていると、背後から柔らかな声がした。

 「ねえ……お花の香り、やっぱり好き。」


 振り向けば、白いワンピース姿のルシアが立っていた。

 ゆっくりと軒先まで歩いてきた彼女の笑顔は、あの夜に見たどんな光よりも、温かく、眩しかった。


 そこへ、花屋の扉が軽く開く音がした。

 「ルシアさん、もう歩けるんですね!」

 振り向くと、買い物袋を抱えたミナが立っていた。


 ルシアは二人の姿を見て、ふっと表情を和らげる。

 「ええ……まだ少し痛むけれど、大丈夫よ。」

 「よかった……本当に、よかったです。」


 ミナはそっとルシアの手を握り、少し照れくさそうに笑った。

 その小さな仕草には、心からの安堵と、兄を想う優しい眼差しが宿っていた。

 ミナの視線が一瞬ホロへ向き、「お兄ちゃん、よかったね」と語りかけるように見える。ホロは胸が熱くなり、言葉にはできず、ただ静かにうなずいた。


 夕暮れの光が三人を包み、花の香りがやさしく漂っていた。

 ——もう、二度と離さない。

 ホロは胸の奥で静かにそう誓った。

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