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堕天の花冠  作者: 蒼月あおい


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第24話 笑顔の時間

 夕方、店内に柔らかな橙の光が差し込み始めたころ。

 配達を終えたルシアと、買い出しから戻ったミナが《ミモザの庭》へ帰ってきた。


 「ただいまー!」

 元気な声とともに、ミナが籠を抱えて入ってくる。

 その後ろからルシアも軽く手を振り、ホロはほっとしたように笑みを浮かべた。


 「おかえり。ふたりとも、お疲れさま」

 ホロはカウンターの向こうから声をかける。


 ミナが棚に荷物を置きながら振り返った。

 「お兄ちゃん、一人で寂しくなかった?」

 「いや、それなりに忙しかったからね。……それで、ちょっとね、珍しいお客さんが来てね」


 ホロは少し迷ったあと、昼間の出来事を話し始めた。

 「――実は、今日、ガルヴァンさんが店に来たんだ」


 「えっ、あの商人さん?」

 ルシアが目を丸くする。

 ミナはぽかんと口を開けたまま、きょとんとした表情を見せた。


 「前に、助けたって言ってた人?」

 「うん。……ミナには言ってなかったね。あのとき少し怪我もしたから、心配かけたくなくて」


 「お兄ちゃん……」

 ミナの声にわずかな不安が混じる。けれど、すぐに笑顔を取り戻した。

 「でも、元気になって良かった!」


 ホロも微笑み返す。

 昼間の光景が脳裏に蘇る。

 磨き上げられた馬車、黒衣のガルヴァンの姿、静かな口調。


 ――領主様に引き合わせたい。


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に驚きと少しの戸惑いが混じった。

 だが同時に、庭園の話を聞いたとき、心のどこかがわずかに弾んだのを覚えている。


 「それでね、ガルヴァンさんが言うには――領主様に引き合わせたいって」

 「りょ、領主様!?」

 ミナの声が裏返る。

 ルシアも驚いたようにまばたきをした。


 「領主様が俺を見てみたいそうだ。ガルヴァンさんが言うには、領主館の庭園を改修する計画があるらしくてね。

 今までになかった花を迎えるために、腕の良い庭師を探しているんだとか。……それで、俺は一度お会いしてみようと答えたんだけど、軽率だったかな?」


 「お兄ちゃん……すごい!」

 ミナは目を輝かせ、嬉しそうに身を乗り出した。

 「ホロお兄ちゃんの花が、領主様の館に!? きっと喜んでくれるよ!」


 ルシアも微笑みながら頷く。

 「確かに良いお話ね。あなたの花なら、どんな庭でもきっと咲き誇るわ」


 「まだ、そうなると決まったわけじゃないけどね。まずは会ってみてから、だと思う」

 ホロが少し照れたように笑うと、ルシアが首をかしげた。


 「そういえば――その領主様って、名前はなんて言うの?」

 「アルフォンス・ディアレイド伯爵だよ」


 その名が出た瞬間、ルシアの表情がかすかに揺れた。

 ――アルフォンス・ディアレイド。

 どこかで聞いた気がする。


 けれど、記憶の糸をたぐろうとしても、指の隙間からこぼれ落ちていくように掴めない。

 その代わり、ほんの一瞬だけ、冷たい風のような感覚が胸をかすめた。


 ホロの声が続く。

 「花が好きな方でね。領主館の庭園も自ら手入れをしてるらしい。

 領地の視察や孤児院の支援にも熱心で、街の人たちの信頼も厚いんだって」


 ルシアは小さく息をついた。

 ――そう、そんな人なら。

 きっと思い過ごしだったのだろう。


 自分の中に芽生えた小さな違和感を、静かに胸の奥へ押し戻した。


 「領主館って、どこにあるの?」

 ミナが尋ねると、ホロは外を指さした。

 「馬車ならそんなに遠くない。歩いても時間はかかるけど、行けない距離じゃない。

 中央区の大きな建物を見たことがあるだろ? あれが領主館さ」


 「やっぱりあそこなのね。確かに、歩けない距離ではないわ」

 ルシアが頷いた。


 ミナは胸を張り、ぱっと笑顔を浮かべる。

 「もしお兄ちゃんが領主館に行くことになっても、店のことは私に任せて!」

 けれど、すぐに口元を少しすぼめた。

 「……ちょっとだけ、不安かも」


 ホロが苦笑する。

 「はは、大丈夫だよ。エリオさんもいるし、みんなで見れば問題ないさ」

 「そうそう。困ったことがあったら私も手伝うしね」

 ルシアが穏やかに言うと、ミナが首を傾げた。


 「え? ルシアさんはお兄ちゃんと一緒に行くでしょ?」


 その言葉に、ルシアは一瞬驚いたように目を瞬かせ――やがて、ふっと微笑んだ。

 「……そうね。確かに、ホロだけを行かせるのは少し心配だもの」


 「ちょ、ちょっと……俺、そんなに頼りなく見えるのか?」

 ホロは思わず眉をひそめ、頬をかいた。


 ミナはくすっと笑って、わざとらしく肩をすくめる。

 「そういうところが、なんか心配なんだよね~」


 「うるさいな……」

 ホロは視線を逸らしながら呟いたが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


 その様子を見て、ルシアとミナも自然と笑顔になる。

 三人の笑い声が重なり、店内に柔らかなぬくもりが満ちていく。


 夕暮れの光が花々を金色に染め、壁の影をゆるやかに揺らしていた。

 ホロはふと、窓の外に視線を向ける。

 人々の笑い声、遠くの鐘の音、そして夕風の中に漂う花の香り。


 ――この日常を、守りたい。


 胸の奥で、静かにそう思った。

 このときはまだ、領主館で待つ“出会い”が、彼らの運命を揺るがすとは知らずに。

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