第1話 ──花と天使の邂逅
春の朝、花屋「ミモザの庭」は、まだ柔らかな光に包まれていた。
ガラス越しに差し込む陽射しは、店先に並ぶチューリップやラナンキュラスを透かし、その花弁を宝石のように輝かせる。
ホロは店の奥で、仕入れたばかりの花を一輪ずつ丁寧に水切りしていた。
冷たい水が指先をくすぐり、刃物の小気味よい音が静かな店内に響く。
その動きには、職人というよりも、花そのものに寄り添う優しさがあった。
この店は亡き祖母から受け継いだものだ。派手な広告や立地の良さはないが、常連客は皆、ホロの花の扱いと人柄を信頼していた。
花を渡す時にそっと添える一言や、相手の雰囲気に合わせた花選び──それがこの店の魅力だった。
カラン──。
ドアベルの澄んだ音が、朝の静けさを破った。
振り返ったホロの目に飛び込んできたのは、淡い金色の髪を背中まで流し、透き通るような肌を持つ女性だった。
白いワンピースに薄手のカーディガン、その姿はまるで春の光そのもののように柔らかい。
「……いらっしゃいませ」
自然と声が低く穏やかになる。
女性は店内をゆっくりと歩き、並ぶ花々を一つずつ見つめていた。
指先がそっと花弁をなぞるたび、まるで花たちが小さく息をしているかのように見える。
やがて、彼女は一輪の白いマーガレットの前で足を止めた。
「この花……とても、優しい匂いがします」
その声は、澄んだ水面に落ちるしずくのようだった。
「マーガレットです。花言葉は“真実の愛”──贈る相手は、特別な方ですか?」
ホロがそう尋ねると、女性はふっと笑みを浮かべた。
「はい。……でも、その相手はまだ、私のことを知りません」
答えになっていないようで、なぜか心をくすぐられる言葉だった。
ホロは花を包みながら、どこか胸の奥が温かくなるのを感じた。
会計を済ませた彼女は、花を抱えてドアの前で一度振り返った。
「また来ても、いいですか?」
「もちろん。いつでも」
その笑顔を見た瞬間、ホロはなぜだか、この出会いが長く続くような気がしてならなかった。
扉が閉まり、再び店内に静けさが戻る。
──だが、さっきまでの空気とはどこか違う。
春の香りに混じって、淡い光がまだ残っているような気がした。




