表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
堕天の花冠  作者: 蒼月あおい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/25

第13話 影の視線

 その夜、ホロは眠れなかった。

 布団の中で目を閉じても、背後から誰かに見られているような感覚が消えない。

 風の音や床の軋みが、不自然に耳に刺さる。


 夜半過ぎ、裏庭でかすかな衣擦れの音がした。

 息を潜めて窓を開けると、月明かりの下に黒い影が立っていた。

 最初は、木の幹か何かの錯覚かと思った。

 けれど視線を凝らすにつれ、それは確かに人の輪郭を持っていると分かる。

 夜気に揺れる裾、肩の線、そして静止した姿勢。

 若い女のように見えた。

 顔は光に溶け、目鼻立ちは仮面のように曖昧だったが、瞳だけが淡く反射し、こちらを真っ直ぐに見据えている。

 その布の落ち方で、ようやくホロは気づいた。

 ——修道服だ。

 昨日の老人とは違う、若い修道女の姿だった。


 「……誰だ」

 問いかけても、女は何も答えない。

 じっとこちらを見据えたまま、月明かりに瞳だけが淡く光っている。


 ホロは息を呑み、身動きもできずにいる。

 しばらくの沈黙のあと、女はゆっくりと十字を切り、低く囁くように言った。


 「——その者を見張れ、と命じられている」

 ホロの胸が凍りつく。

 「その者……ルシアのことか? 誰に命じられた」

 女の瞳が一瞬だけ揺れ、やがてわずかに首を振った。

 「名を告げれば……お前もまた、定めの鎖に繋がれる」


 その瞬間、背後に気配を感じた。

 「ホロ、どうしたの?」

 振り向くと、眠たげな顔のルシアが立っていた。

 再び庭に目を戻したが、女の姿はもうなかった。

 ホロは何もなかったように首を振った。

 「……いや、気のせいだ」


 だが胸の奥では、確信が芽生えつつあった。

 ——神は、本当に俺たちを見張らせている。

 そして、その理由は……まだ俺が知ってはいけない何かだ。


 ——翌朝。

 花屋の扉を開けると、湿った空気が流れ込んできた。

 昨夜の出来事が夢ではなかった証拠に、裏庭の土は、誰かの足跡でわずかに乱れていた。


 ホロは深く息をつき、束ねた花を棚に戻す手が少し震えているのを感じた。

 ——あの女の言葉、裁き……本当に、何が起こるというのか。

 思わず視線がルシアに向かうが、彼女はいつも通りに花を扱っている。

 その無邪気さに、胸が痛む。


 「顔色が悪いよ、ホロ……大丈夫?」

 棚に花を並べていたルシアが振り返り、首を傾げる。

 その何気ない仕草が、かえって胸を締めつけた。

 ——昨夜、あの女が言った「その者」とは、紛れもなくルシアだった。


 ホロは返事をしようと口を開くが、言葉が出ず、ただ首を振る。

 しばらく沈黙のまま、彼は心の中で不安をかき混ぜ続けた。


 やがて昼下がり、店に来客があった。

 入ってきたのは、あの修道服の女だった。


 「……お前」

 ホロの声は思わず硬くなる。

 女は視線だけで制し、ルシアの耳には届かぬよう低く囁いた。

 「お前に忠告しに来た」

 「忠告?」

 「近いうちに——あの者は“裁き”を受ける」


 女の言葉は氷のように胸に沈み込み、ホロはしばし声を失った。

 「裁き? 何の話だ」

 女は目を伏せ、唇を噛んだ。

 「理由を知れば、お前は彼女を庇おうとする。それは……命を縮める」


 その時、ルシアが花を抱えて戻ってくる気配がした。

 女はすっと姿勢を正し、まるで何事もなかったかのように花を一輪買い求め、静かに去っていった。


 残されたホロは、握った拳の熱を持て余しながら思う。

 ——裁き? 理由も言わずに、そんな言葉だけ残して消えるなんて。

 けれど確かに感じる。


 「……あれ、お客さんがいなかった?」

 ルシアが少し首を傾げ、花を抱えたまま辺りを見回す。

 「……花を一輪買って、もう帰ったよ」

 ホロは思わず息を飲む。

 ——さっきの修道女をルシアに会わせてはいけない気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ