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第12話 たとえ無力でも

 夕暮れの花屋は、外から差し込む橙色の光に包まれていた。

 二階ではミナが読書をしており、店内にはホロとルシア、そしてエリオの三人だけ。

 水差しからこぼれる水音が、やけに大きく響いていた。


 「……お前は、まだ信じているのか」

 不意に、エリオがルシアへ向けて低く呟いた。


 「何を……?」

 「自分が使命から外れ、ただ地上で漂っているだけだと」


 ルシアの指が、花びらを挟んだまま止まる。

 「私は……あの日、天上の掟を破った。だから——」


 「違う」

 エリオの声は氷のように冷たく、しかし揺るぎなかった。

 「それもまた、あの方の意志だ」


 その瞬間、ホロの心臓が跳ねた。

 ——あの方?

 自分の知らない誰かの手によって、すべてが仕組まれているのか。


 ルシアは小さく首を振る。

 「そんなはずは……だって、私は——」


 「お前が何を信じようと勝手だ。だが覚えておけ」

 エリオは一歩近づき、影がルシアの足元を覆った。

 「神はお前の弱さも、堕ちることも、全て知っていた。そして——それを選んだ」


 ルシアの唇が震え、声にならない吐息が漏れる。

 ホロは、思わず駆け寄りたかった。彼女を庇い、その言葉から守ってやりたかった。

 ——でも、できなかった。

 ただ、立ち尽くして見ていることしかできなかった。


 胸の奥で、守りたい気持ちと、無力な現実が激しくせめぎ合う。

 もし自分が強ければ、ルシアを傷つける言葉からも、彼女を脅かす影からも守れるのに。

 だが現実は、自分の声すら届かない。


 「なぜ……そんなことを言うの」

 ルシアの声は、震えていた。


 エリオは目を細め、静かに答えた。

 「近いうちに分かる。だが、その時——お前は選ばなければならない」


 その言葉を残し、エリオは背を向けて店を出ていった。

 戸口から吹き込んだ夜風が、花々の香りをかき混ぜる。

 ホロはただ、その背中を無言で見送るしかなかった。

 ——俺は、ルシアを守れたのか?

 答えは冷たい沈黙の中に沈んでいた。


 翌朝、花屋にはいつもと同じ朝日が差し込んでいた。

 だがホロにとって、その光はどこか色を失って見えた。

 棚に並ぶ花々も、昨日までのような安らぎを与えてはくれない。


 ——神は、お前の堕ちることも知っていた。

 エリオの言葉が、何度も頭の中で反響する。

 それはルシアに向けられた言葉だったはずなのに、なぜか自分をも突き刺して離さない。


 ルシアは朝から何も言わず、黙々と花を束ねていた。

 その指先は相変わらず丁寧で、どの花も生き返ったように美しく整えられていく。

 けれどホロには、その静けさが鎧のように見えた。

 彼女が不安を隠し、ひとりで耐えようとしているのが、痛いほど伝わってくる。


 守りたい——その思いが胸を満たす。

 だが同時に、守れない自分への苛立ちが渦を巻いた。

 昨日もそうだ。結局、何もできなかった。


 客の足音がしても、ルシアの笑顔はどこか硬い。

 ミナはその変化に気付かないのか、無邪気に花を選んでいる。

 ——いや、気づかないふりをしているのかもしれない。


 ホロは花を包もうとしたが、手元が乱れ、紙の端を破いてしまった。

 「……くそ」

 小さく吐き捨てた声を、ルシアが聞きとめた。


 「ホロ……?」

 「なんでもない」


 笑おうとしたが、うまく形にならなかった。

 ——俺は、ただの観客でいいのか?

 この先、ルシアが傷つけられても、自分は見ているしかできないのか。

 それが神の定めた筋書きだというなら……俺は、何のためにここにいる?


 店の前を通りすぎた修道服の老人が、こちらを一瞥して足を止めた。

 その視線はまるで、ホロとルシアを測るようだった。

 老人は短く祈りの言葉を口にし、何事もなかったかのように去っていく。


 ホロの背筋に冷たいものが走った。

 ——俺たちは、もう見られている。

 それも、ただの人間ではない。

 神に近い存在たちの眼差しが、確かに自分たちを射抜いていた。


 その瞬間、ホロは決意とも絶望ともつかない感情に揺れた。

 「守りたい」と「守れない」が胸の奥でぶつかり合い、彼を押し潰そうとしていた。

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