7、真夏の夜の夢
「……待て、なぜ……その竜の球を七つ集めるだけで願いが叶う。魔法道具か、儀式、召喚術だとして……小娘と小僧の組み合わせでなぜそんな大魔法が使える…………」
何か話してみろと言ったものの、アザレア・ドマではない女の口から出る言葉はまさに「別の世界の物語」だった。
物語に出てくる者たちも、イドラには理解ができない。思わず「ちょっと待て」と話を止めて、ひょいっと腕を振って取り出したペンと羊皮紙に、流される物語の登場人物たちをまとめてみる。
「その小僧、なぜ大猿になる?獣人族がいる世界なのか」
「猫が大統領をやっていたりはしてるみたいですけど、基本的にはヒューマンがメインの世界のはずです。人造人間とかいますけど」
「ジンゾウニンゲン?」
「人間が人間を作るんですよ」
「魔法でか?」
「魔法はない世界なので科学っていう別の手段です」
「待て。魔法がないのになぜ竜の球で願いが叶う」
「それは宇宙の神秘なので……」
イドラがこれまで庭で語って来た物語の登場人物は、平民、貴族、魔法使いと決まっている。英雄譚、あるいは教訓じみた寓話。貴族の陰謀に、伝説の冒険者の物語など、そういった物語の数々は、登場人物たちすべてに名前がついているわけではない。しかし、アザレア・ドマではない女が語る物語の登場人物には皆、名前がついている。それだけでも驚きだった。
「あの、黙って聞いてていただけません?そもそも私は妖精の花に語り掛けているのであって、イドラ殿下に聞いてもらうことが目的なわけじゃないですよね?」
一々物語を止めるイドラを、アザレア・ドマではない女は困惑して眺める。
困惑というより、いっそ迷惑だが?という顔を遠慮なくしている。イドラはムッと眉を跳ねさせた。
この己を辛抱が足らない童のような目で見る女。無礼と言えば無礼だが、しかしイドラは癇癪を起さなかった。ムスッとしながらもイドラが書き物を止めて腕を組むと、アザレア・ドマではない女は話を続ける。
奇妙極まりない物語だった。
深い深い山奥に一人で住んでいた少年が、都からやってきた美しい少女に連れられて各地を回る物語。目的は輝く丸い球を七つ集めること。何でも願いが叶うというそれを集めて、少女が願うことと言えば「素敵な恋人」だと言う。
「ふざけているのか?」
「殿下、感想はあとで聞きますが?」
思わず突っ込みを入れてしまうと、ぴしゃり、と、アザレア・ドマではない女が言い放つ。
これは物語なのだから、そういう事は野暮ですよ、とかなんとか言うが、もしイドラの世界にその竜の球が存在していたら、球を巡って数多くの争いが起きるに違いない。どんな願いでも、たとえば死者をも蘇らせることが出来ると言う。
「まるで神の御業だな」
「そうですよ、作ったの、神様ですもん」
「……それは明らかにしていい情報なのか?」
イドラとてこれまで多くの物語を語って来た身だ。情報の出す順番が物語の重要な部分であることもわかっている。それであっさりと知らせるアザレア・ドマではない女に眉を顰めると、アザレア・ドマではない女は笑った。
「全体的にそれほど重要な情報でもなくなるので大丈夫です」
何が大丈夫なのかわからないが、女が笑うと夜の庭が明るくなったような気がした。
「とりあえず赤い蝶ネクタイの親玉を倒すところくらいまでお話しようと思いましたが……話すと案外長いものですよね。飲料水と同じ名前の旧ライバルキャラの登場くらいまでにしておきます」
語って語って、月が傾いて暫く。アザレア・ドマではない女は頷いて、話を止めた。
「待て。まだ球は集まっていないだろう」
「でも相方の少女が恋人候補を見つけたので、ここで物語がいったん終了してもいいと思います」
「よくないが?」
イドラは小娘の恋愛事情など興味はない。こちらは七つの球がどんな事情で回収されるのかと黙って聞いてやっていたのに、なぜここで終わるのか。
「あら、まぁ」
不服を申し立てるのはイドラ一人ではなかった。
月明りのみの夜の庭に、いつの間にかか細い光が集まっていた。
「……」
はっきりと姿を形作れるほどの力のない、低位の妖精がアザレア・ドマではない女の声に集まって、その物語に瞬きをするように、光をちかちかとさせている。
妖精の粉で生きながらえているイドラにはこの光の点滅が声ではなく感覚として、どんな意味を持っているのか理解することができた。
もっと続きをと、妖精たちが乞うている。
イドラが通訳せずともアザレア・ドマではない女もそれを察したようだが、そこで小首を傾げた。
「一夜に一話で、一輪花を頂けるんですよね?」
小さな光の妖精たちは、こそっと内緒話をするように一塊になり、そしてひょいっと、光の輪になった。その光がクルクルと回り、枯れた庭の一部の上で踊ると、真っ白い花が咲いた。
「……」
小さな花だ。白い花弁が六枚の、か細い葉が夜風に揺れる。
「……」
イドラは自分の息が一瞬止まったのを感じた。
己の死んだ庭に花が咲いた。妖精の祝福を受け、花が咲いた。
咄嗟に体が動き、すぐにその花を掴もうと手を伸ばす。飢えにも似た衝動だった。枯れた草花の残骸を粉にして啜る日々はイドラを惨めな気持ちにさせた。強く望んだ花が、それはあまりにも小さなものだったが、花は花だ。
「ちょっと!!」
掴んで詰んで、枯れぬように、しおれぬように魔法をかけようと、そんなことをあれこれ考えるイドラの前に、両腕を大きく広げてアザレア・ドマではない女が立ち塞がった。
「下がれ!」
「摘む必要はないでしょう!!?妖精が怯えてます!!」
目を見開き、口から獣のような牙を覗かせた長身の男に怒鳴られても、アザレア・ドマではない女はびくりともしなかった。イドラは女の細い首を掴んで釣り上げて苦しめたい衝動にかられた。己が望むものが目の前にあるのにそれを邪魔する者。排除すべきだ。己がどれほど強く求めているか、今も乾いてしかたがないのか、わからないで賢しらな顔をする者だ。
唸り、腕を振り上げて、イドラはぐっと、唇を嚙みしめた。
自分を見上げる女の目。緑の大きな瞳には、怒りで目を燃やす男が映っていた。理性を吹き飛ばし、荒々しく、なんと醜い存在か。
「……出ていけ……!!」
イドラは手を下げ、爪が食い込むほどに強く手を握りしめた。頭の中がガンガンと痛む。絞り出した言葉に、アザレア・ドマではない女がすぐに頷かなかったことも、イドラの神経に障った。
「出ていけ!失せろ!!この俺の前から消えるがいい!!」
「私にキスして求婚しといて何を勝手に仰っているのかわかりませんが!!!!!!!!!」
大の男に怒鳴られて、それも、悪魔と恐れられるイドラ・マグダレアの怒号を受けているというのに、アザレア・ドマではない女は怯えるどころか、額に青筋を立てて怒鳴り返してきた。
「今のをすっかりご覧になっていたでしょう!私の物語は有効です。私の物語のストックがいくつあるとお思いです!!あなたがしわくちゃのおじいちゃんになる頃まで話し続ける自信がある女を、追い出すなんて、馬鹿ですか!!」
この世はでっかい宝島('ω')