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5、夏炉冬扇


「アザレア・ドマについて調べておけ」


 王や貴族たちを追い払った後、極度の緊張がほどけたのか、それともここまで全力で逃げてきたからか、アザレア・ドマの体で動いている娘は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 その細い体をイドラは抱き上げ、屋敷に戻ると、この騒ぎを聞きつけ屋敷の前で待機していた執事のクラーリに短く指示を出す。


 有能な執事へはそれだけで十分だったが、ふとイドラは眠る女の頬や、痣になっている腕に視線を落として目を細めた。


「それと、グリン家の騎士たちとグリン家に贈り物を届けるように」

「はい、ご主人様。かしこまりました」


 にっこりと、執事が承知する。主人の腕の中の女性に暴力の跡があることを見逃す執事ではなかった。執事と入れ違いにイドラの側役ブライドが現れる。


「殿下、私がお連れしましょうか」

「……」


 いや、と、イドラは一瞬思案した。


 この娘は自分が拾ったのだ。

 騎士たちに追い掛け回され、自分の夫だと名乗る男に見捨てられた。そして自分がこの世界の人間ではないと言う女。この場に、この世界に味方のいない女だ。イドラが手を離せば死ぬ。それは多くの者を容易く殺めることができるイドラにとって、多くの者に対しての生与奪を持つこととは別の意味を感じさせた。


「殿下?」

「助けてと、そのように言ったのだぞ?この俺に」


 思い出してイドラは目を細める。


「……それはなんとも、命知らずなことでは?」


 しかしブライドはなぜ主人がここまで、その「助けを請うた」ことを面白がる、いや、長年イドラに仕えてきたブライドは主人の感情の中にあるものに戸惑った。イドラの中に沸いているらしい感情をなんと区別すべきか、ブライドにはわからなかった。ただ、自分であればそれを「嬉しさ」と表現しただろうが、ことイドラ・マグダレアに至って、その感情を他人から与えられることがあるだろうか。


「無論、命乞いをされたことなど多くある。その一々にこの俺が態々応えてやる理由はない。が、それらは、己の命を奪う対象が俺であると自覚し恐怖し、怯えて乞うのだ」


 これは違う、と、イドラは呟く。


「俺以外が恐ろしいのだ。俺以外が自分の命を奪うと恐れ、自分の命を救うことができるのは俺だけだと、そのように信じてこの俺を選んでいる」

「……」


 ははは、と、イドラが声を上げて笑った。

 ブライドは思わず驚き、停止する。これまで主人に、この気難しい主人に仕えてきて、この方がこのような笑い方をするのを見たのは初めてだった。


 クラークと同じようにブライドも屋敷から外の様子を窺っていた。主人はこの赤い髪の女性を「恋人」だと宣言された。妃にされるおつもりだ。その本心はわからないが、このご婦人の健気さに心打たれ…………いや、それは、まぁ、ないだろうがしかし、興味を、関心を持たれたということか。


 生まれた時から強すぎる魔力と魔眼を持ち、妖精王の不興を買って呪われた王弟イドラ殿下。


 この屋敷の中で世への不満と恨み言を吐くだけだった主人に、人並みの……人への興味が芽生えるとは。これは、この屋敷を少し、明るくするのではないか。


「全身全霊で、この女主人にお仕えしますね!」


 労働環境が悪いわけではないが、イドラの機嫌が悪いと土砂降りになるのは嫌だ。


 ブライドはあどけなく眠る幼い方が殿下を好きになってくださるように全力を尽くそうと誓い、そう宣言したのだが、イドラは「何を言っている」というような顔で首を傾げた。


「この小娘が俺に助けられたいと願うなら、これも俺を助けられんと意味がない。役に立たなければ捨てるだけだ」


 その時はロバートに返してやるのもシャクだから、低級悪魔の餌にでもしておけと、イドラのあまりにもあんまりな指示に、ブライドはがっくりと肩を落とした。




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物語の中のたった一話であってもホッコリしたままにしない作家さんの感性が大好きです。
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