【番外】*とある伯爵の独白*新国王を傀儡にしようとしただけなのに…
自分は佞臣、どうしようもない小物だという自覚のある男、できれば他人の利益を良い感じに貪って苦労せず楽に豪遊したいという人として当たり前の欲求を持っていると自負するとある伯爵。宮中ではそれなりの発言力もあり、前の国王様には(操りやすそうだったので)心からお仕えしていたこの伯爵は、次の国王に即位されたヨハネスも前の国王にしたのと同じようにすり寄ってあれこれ助言を行った。
あどけない顔、自分の未熟と幼さとロクな後ろ盾がないことを理解しているヨハネスは伯爵の言葉を真剣に受け止めて「ありがとうございます、こうした助言はとても僕に必要なものだ」と伯爵に敬意を示した。よしよし、これで万事、今後も美味い物をたくさん食べて好きに生きていけると伯爵は安心した。この新国王の後見人にイドラ・マグダレアが立ったと聞いた時は冷や汗を流したが、あの屋敷から出ることもできない引きこもりに何ができるというのか?
そして何より伯爵はイドラ・マグダレアを知っていた。タリム王の腰巾着だった伯爵はイドラに会う機会も多く、あのいつも俯き、自己肯定感が低く、他人とまともに目を合わせられなかった情けない男。確かに恐るべき魔術の使い手だが、よく切れるハサミだって使い手がうまく使ってやらねばただの鉄クズであると同じように、ようは上手く使えばいいだけのことだった。
(……誰だこれは)
幼年王ヨハネスにいつものように助言を行った。貴族の権利と平民の義務に関しての決定について、伯爵は当然ながら貴族に有利になるようにしたかったが、ヨハネスは「これは叔父上の意見も聞いた方がよさそうですね」と言った。なるほどこれは形式的なものだと伯爵は察した。幼いヨハネス一人が決めるより、もう一人王族のお墨付きがあれば問題ないだろうとそういう幼い子供の日和見。伯爵は微笑して「それならばわたくしが叔父上様にご説明を致しましょう」と引き受けた。他の者が恐れるイドラ・マグダレアも自分の口にかかれば容易いのだということを他の連中に示す良い機会だった。
伯爵はイドラ・マグダレアを知っている。自尊心が高い反面、自己肯定感がとにかく低く、他人と関わる必要性を感じながらそれを拒絶されることを考えて動けなくなっているような男だった。中年の伯爵からすれば「若造」と侮れるほど精神的に未熟で、そのまま檻の中で飼い殺されていくのだろうと見くびることができていた。人々が恐れる彼に対してのイメージも伯爵からすれば「虚勢を張っているのだろう」っと思える程度のものもあった。恐れているふりさえしていればそれでイドラ・マグダレアは自身の虚像に満足し檻の中で大人しくしていた。
だからこそタリムとイドラ・マグダレアの間には和解の道があり得なかったのだと、佞臣どもは好きなだけタリムの治世を貪ることができたのだ。
「おれにはこの決定が真にこの国の利益、ヨハネスにとって正しい判断になるとは思えないのだが?」
ヨハネスと共にイドラ・マグダレアの館を訪れた伯爵は応接間に通され、美しいメイドたちにもてなされ「ここは本当にあの荒れていた悪魔屋敷なのか」とまず驚いた。タリムと共に訪れた時にはあちこちに埃がたまり、壁紙は色あせ、カーテンなどは何か適当な布を下げた方がマシだというような酷さだった。それが今や部屋の隅、窓枠の隅から隅まで埃一つなく部屋には美しい花まで飾られており、鬱蒼としていた悪魔屋敷の窓という窓は解放され明るい陽射しが差し込んでいる。
香りのよい紅茶に子供が好みそうな焼き菓子が三段の皿に並べられ、ヨハネスがそわそわと皿を見るのをイドラ・マグダレアが赤い目を細めて眺めているのを見たあたりで伯爵は「誰だこいつ」と叫びたくなった。
しかしそれをなんとか堪えて、伯爵が今日の訪問理由を丁寧に親切に語って聞かせてやると、イドラ・マグダレアは少し思案するように黙ってから、先ほどの台詞を口にしたのである。
「……はい?」
この返答も伯爵にとっては意外過ぎた。彼の知るイドラ・マグダレアであれば「そうか」と頷き、何も意見してこないはずだった。世捨て人のような、宮中の権力や常識をまるで知らない自分のボロを出したくなくて黙っているはずだった。イドラ・マグダレアにとって最も重要なのは自分自身のみであり、兄や幼い甥が貴族連中にどのように扱われるとしてもどうでもいいはずだった。
「殿下……何を仰られるのでしょう?」
伯爵は自分の説明では難しすぎたのかと、もう少しレベルを下げてイドラ・マグダレアに説明してやろうとした。だがイドラは手を振ってそれを制し「お前の話の意図は理解できている」と断った。
「いいえ、いいえ殿下。失礼ながら、誤解されているのではないかとお見受け致します」
「ようは平民には納税の義務があるが貴族にはないということだろう。貴族階級は特権階級。民を守るために存在する、よって戦時の国防を担う役目があるが、守ってやるからお前たちは金を出せという話だろう」
乱暴な言い方だが、概ねその通りではある。伯爵は渋々頷いた。その上でイドラはふん、と鼻を鳴らす。
「納められた税により公共事業が行われる。これはとくに問題はない」
「ではなぜ?」
「おれが疑問視しているのは、真に国を豊かにと考えるのであれば、特権階級こそ率先して献身的な振る舞いをすべきではないかということだ」
つまり貴族も納税しろとイドラ・マグダレアは主張しているのである。
具体的な案として、豪華な調度品や宝飾類の購入時に税をかけることをイドラ・マグダレアは考えているようだった。平民たちが購入することのない品ばかりだ。
「……殿下、恐れながら……」
伯爵はその案の粗をつこうとした。政治をろくに知らぬ者の思い付きだと一蹴にして、失策になるように自分ができる横やりをいくつも考えた。そうした振る舞いは得意だったが、しかし伯爵は次の言葉を告げられなかった。
「……」
目の前の男。自己肯定感がとにかく低く、他人の顔をまともに見れないような自信がなかった男が、今ははっきりと伯爵を見ており、そして自分の考えがどれほど馬鹿げた者であったとしてもそれを悔いる気がない自信に満ち溢れていた。
……いったいこいつは誰だ?あの臆病者の化け物じゃないのか。
伯爵はただただ疑問に捕らわれる。しかし無意味な虚勢を張っているんじゃないかとも思った。甥の前で良い格好をしたいだけなのか、それとも伯爵と同じように、自分が甥を傀儡にしたいのかと、伯爵は自分の知る範囲ではその程度の可能性しか思い浮かばなかった。
「あら、失礼しますね。お茶のお代わりはいかが?」
どうイドラ・マグダレアを攻撃して、この男を精神的に敗北させ余計な口出しをしないように痛めつけてやろうかと伯爵が思案していると、この緊張した場にそぐわない明るい声がかかった。使用人に扉を開けさせ、ティポットを乗せたお盆を持った赤い髪の女性が入ってくる。
「アゼル」
「叔母様。えぇ、よろしいでしょうか。とても美味しくて」
その瞬間、イドラ・マグダレアの顔に明らかに喜びの色が浮かび、ヨハネスまでも幼い少年のような無邪気な様子を見せた。歓迎された女性はにこにこと笑顔になり、当然のようにイドラの隣に座る。イドラ・マグダレアは彼女が座る前に銀のお盆を受け取り、彼女が安全に座ることができるように気遣った。
「お話の邪魔をしてしまった?」
「ヨハネスの新国王としての重要な決定を考えるだけだ。もう直に終わる」
「とても難しい話でしたので、叔父上の助言を必要としていました。お二人の時間を頂いてしまって申し訳ありません」
「あら、いいのよ。ヨハネス様はもうお一人で執務をなさっていらっしゃるのですね」
「おれも手伝っているが?」
赤い髪の女性がヨハネスを褒めると、彼女に焼き菓子を取り分けていたイドラが不満を漏らす。いや、お前は王族なんだから当然だろうと伯爵は思ったが、赤毛の女性はそうは思わなかったらしい。
「イドラが手伝ってくれているのならヨハネス様は安心ですね」
と、部屋中が明るくなるような笑顔をイドラ・マグダレアに向ける。彼がヨハネスの味方をするのなら、ヨハネスが苦労や不幸になることなど絶対にないという確信に満ちた笑顔だった。
「当然だ」
ふんと、イドラ・マグダレアが鼻を鳴らす。そして彼女が注いだお茶に口をつけて黙る。
「……」
その光景を伯爵は唖然と眺めた。
こ……この女が元凶か……!!
両親、兄弟、その他の全てから愛情というものを与えられず、自分が他人に恐怖と拒絶以外の評価を得ることがなかった男が……!
赤毛の女性は、少し前に話題になったドマ家の令嬢、グリン家の悪女だろう。王弟殿下を間男にした悪女だと、なんの冗談だと伯爵は笑い飛ばしたが……噂は本当だったのか。
この短いやり取りで、伯爵は悟った。
誰にも愛されず、他人への愛し方も自分自身の愛し方もわからなかった臆病者が……!!
この太陽のような温かい笑顔を浮かべる女に全力で甘やかされ、愛されまくって……無敵の(元)王弟殿下になっている……!!
「くそぅっ!なんということだ……!!」
がっくりと、伯爵はその場に崩れ落ちた。
「約束された社会不適合者だったからこそいい感じに操れたのに!自己肯定感の高められた殿下なんて解釈違いです!!これでは殿下がまともなただ権力と暴力と知力のある王族になってしまう!!私が甘い蜜を吸う生活が……!なんて酷い!!」
「突然自白が始まったんですけど!!?イドラ!?ヨハネス様!!?」
泣き崩れる伯爵に、赤毛の女性は狼狽えたが、イドラ・マグダレアとヨハネス王は涼しい顔である。
「えぇ。未だに僕と叔父上を利用できると信じている方々がいるので……実際にそうか、見ていただくのが一番かと思いまして」
この後まだ何人かこうしてお連れしますね、とヨハネスは紅茶を一口優雅に味わい微笑んだ。
イドラ・マグダレアの方もアゼルとの時間を邪魔されるのは面倒だが、アゼルが可愛がっているヨハネスが「侮られる」状況は望まず、この甥の企みに乗ってやるとそういうつもりらしい。
伯爵は「もうこんなの……心を入れ替えるしかないじゃないか!」と自暴自棄になったところを、アゼルに困ったように「そうした方がいいのでは?」と慰められた。




