【番外】書籍発売まであと二か月!それでも続くよ番外編!~新体制となった王国は~
善良なる国王タリムが精神を病み玉座を退くことになり、当然国は荒れるに荒れた。スレイン王朝は少なくとも三百年以上は続く由緒正しく伝統のなる王室で、その玉座に座るには血の濃さが優先されることは権力に目ざとい貴族諸侯であっても良く知るところ。
何しろアグドニグルのスレイン王朝の玉座と言えば、相応しからぬ者が座れば頭上から巨大な剣が落ちてくるのだと言われており、実際に過去、「分不相応な者」と思われる王が戴冠式を終えて意気揚々とその座を温めようとした直後、脳天からぱっくりと二つに分かれることとなった。神獣の加護を得た国であればそういうこともあるものだ。
そういうわけで、タリムの跡を誰が継ぐのかということで王位継承権を持つ者たちは皆、誰それが良いのではないか誰それが徳が高く相応しいのではないかと推薦しあった。あけすけに言えば押し付け合った。もちろん最有力候補はタリムの実弟であるイドラ・マグダレア殿下であるし、正直な所、王位継承権を持つ誰もが「あいつでいいじゃないか」と思ったが、王弟殿下の妻になるらしいドマ家の令嬢が「本気で仰ってます……?王の器だと……?」と神妙な顔で言って来たので、彼らは自分が厄介ごとを押し付けられたくないからといって国を滅ぼしたいわけではないのだと考えなおした。
「親愛なる叔母上にご挨拶申し上げます」
「あら、国王陛下。ごきげんよう」
そういうわけで、新たにアグドニグルの玉座に座ることになったのはタリムの実子であるまだ十四の若い少年になった。名をヨハネスと言い、金の髪に緑の瞳のとても利発そうな子供だった。母親は宮中の争いですでに死しており、自分自身を「王の器じゃない」と嘆いていたタリムは当然自分の子にも期待していない。帝王学も満足に学んでいないヨハネスだったが、選出された一番の理由はイドラ・マグダレアとアザレア・ドマの婚約が発表された際、真っ先にこの少年はイドラの館にやってきて彼が自身の出来うる最大の「お祝い」をしたからだった。
僕はあなたがたの味方ですよ、どうか陣に加えてくださいとその姿勢は、世情に疎い王弟には伝わらなかったが、周囲には効果的だった。誰もが望まない玉座を望む変わり者。だが、そうでなければ宮中で生き残ることができないほど弱い存在でもあった。
皆、玉座は嫌だがおこぼれや権力には縋り付きたい。そのため、傀儡になりそうな若く弱いヨハネスは格好の人身御供として満場一致で玉座に押し上げられた。
だが周囲の思惑とズレ始めたのは、このヨハネスが「アザレア・ドマ」にとてもよく懐き、王弟殿下……今や国王の叔父となったイドラ・マグダレアがそれを見てヨハネスの後見人としてきちんと機能する気になったことだった。
国王の執務の合間を縫って、足繫くイドラ・マグダレアの館に通うヨハネスはアザレア・ドマを「アゼル様」と親し気に呼び、母か姉のように慕った。
*
「あの小僧はまた来ているのか」
「大人げないぞ我が友よ。幼子相手に悋気か?」
「……ただ聞いただけだろう」
今朝は明け方に雨が降ったため、イドラの機嫌は悪い。それでもアゼルと朝食を囲み、彼女が「どんなに嫌なことがあっても朝食が素敵だと良い一日になるっていうお話がありまして」と言うと眉間の皴を深くして「そうか」と返事をする。
ちなみに今朝は熱い珈琲に縦長のパンを半分に切ってチーズやら燻製肉やら野菜やらを挟んだものだった。
アゼルが厨房にこういうものが食べたいと言ったらしいので、イドラもそれを食べて、彼女が好きなものを覚えた。
今は雨も止んでおり、庭にはアゼルと金髪の子供が出ている。かりにも国王だが護衛の姿はない。イドラの館に入る許可が下りなかったというだけではなく、恐ろしいイドラ・マグダレアの領域に足を踏み入れる覚悟を持てるほど、王に忠誠心を示そうとする者がいないだけだ。
「だが実際どうなのだ?面白くないものか。これまで彼女の話し相手といえば我が友が殆どだっただろう。そこにあの明るく人当たりの良い美しい子供だ。視界に入ると目障りに感じるものなのか」
窓から見える二人から視線を外したイドラを、神獣ソドムは面白そうに眺める。
「私は想像することしかできないが、我が番、我が伴侶と定めた者から他の雄のにおいがするなど、地を踏み鳴らして大地を割り、飲み込んでしまいたくなるような心になるな」
「愛も恋も知らないくせに何を言うのか」
「ははは、知らずともお前や彼女の様子から「こういうものだろうか」と想うことはできるし、なに、これも中々悪くはないぞ」
朗らかに笑う神獣に、イドラはもし自分に娘が生まれてもこの人外のろくでなしにだけは近づけないと心に誓う。
(……おれに娘など)
そこでイドラは自分の思考に驚いた。
これまで一日一日を魔獣になるものかと怯えて生きて、明日のことなどなんの期待もできず、未来にはただ自分がどう死ぬのだろうかと、その死は穏やかなのかと、考えるのはその程度だった。
(……)
イドラは思わず口元を抑える。
だが今はどうだ?
今は、明日のことを考える時、それはじめじめと湿った泥のような感覚はない。暗闇の中の蠢く虫のような惨めさもない。
ごくごく当然に、当たり前のようにイドラはアゼルと自分に子が生まれ、それが男であれ女であれ、それは当然に訪れるものだと考えた。そしてそれは、イドラにとって願うような奇跡のようなものではなく、「そういう日になる」とあらかじめ心得ておけばよいという、そんな程度のものだった。
軽んじているわけではない。そんなものを得られるわけがないと、思っていた自分の思考は今でも残っている。だが、だが、それとはまったく別に、イドラは「アゼルがいるのだからそうなる」と、日が沈めば空に月が輝くのと同じ、ある一定の条件が満たされれば起こり得る当たり前の状態だと、そのように受け入れている。
「どうした?友よ」
「……」
訝るソドムにイドラは構うなと、無言で手をふり、柔らかい執務椅子に凭れ掛かる。
そしてその椅子から見える庭に、花の手入れをして微笑むアゼルの姿を視界に入れた。
沸き上がる思いの言語化をイドラはしなかった。ただ、ソドムの言うような嫉妬心や不安感は一切ないことはわかっている。
どちらかといえば、幼い国王を慈しむアゼルを見て、過去の自分に対して感じる憐憫があった。ヨハネスは両親に恵まれなかった子だとイドラも知っている。母や父の庇護もなくあの年まで宮中で生き残った子供が純粋無垢ではないことも知っている。放っておけば自分やタリムのような歪んだ人間になるだろう。だがあぁして、アゼルが微笑み、頭を撫でている姿を見て、イドラはヨハネスはそうはならないだろうと確信した。そしてそれは、過去のイドラへの救いになった。
(おれはもう、何にも怯えることはなく、何も奪われることはない)
ぼろっと、イドラの瞳から涙が零れた。
「……」
気付いているだろうソドムは何も言わず、窓の方に顔を向けて知らぬふりをする。
だが黙り続けているのもヤボだろうと思ったのか、少ししてから口を開いた。
「世は、人は、これを幸福と呼ぶのだろうな」
2025年7月10日に全国の書店&電子書籍各サイトにて、こちらの作品を原作とし改稿+書き下ろしをした「千夜千花物語~呪われた王弟殿下と飛んで火にいる夏の悪女」が発売されます。
正直ブックマーク数の少ないこの作品が書籍化できたのは、読者の方々の良い感じの反応だと思っておりますので本当にありがとうございます。




