【番外】 仕立ての悪魔とイドラ殿下
時系列的に、まだ二人が同棲し始めて間もないくらいで本編の途中くらいです。
「………………」
仕立ての悪魔ブリエルの朝は早い。
いや、ブリエルが封じられた王弟殿下の夜の庭を抱える屋敷は広いが、存在しているのは自身の衣類も力の一部で自由自在という悪魔ばかりだ。朝から晩までせっせと糸車を回さなければならないようなそんな労働環境ではない。目下ブリエルが熱心にデザイン画の作成から糸の選別まで時間も惜しまず取り組んでいるのはただ一人の貴婦人のためだった。
名をアゼルさまと、そのように呼ぶべきだと悪魔であれば誰もが知らされている。赤い髪に緑の瞳の美しいご令嬢。まだどこか幼さが残るのに、ツンとした目つきが何とも大人びた印象を与えるひと。
このお屋敷に召喚されて「服を作れ」を命じられた時、ブリエルは世捨て人のような恰好……いや、身だしなみにこれっぽっちも気を使わないイドラ・マグダレアに自分の服はもったいないと全力で拒否したが、そうではなくて屋敷が新たに迎えた女主人だと知り神に感謝して滅びかけたほどだった。
「と、いうわけでございますよご主人様。わたくしは今日も明日も、アゼルさまのご衣裳を作ることに全身全霊を捧げたいのでございます」
ブリエルは早朝、眼の下にくっきりとした隈を作った男に呼び出され、不平不満を隠そうとせず正直に告げた。悪魔には皆矜持がある。堕落のために礼儀作法を習得する者。従順なメイド長を演じようとするもの、それぞれであるが、ブリエルは「人間にはけして作れない美しい服を作り、それを見た者たちを虜にしたい」という願いがあった。そういうわけで、まだまだアゼルに捧げる衣装は足りない。
「……………」
「……?」
無礼千万な態度は、叱責を受ける覚悟があった。自身の矜持、願いのために適した行動を取れぬ方が悪魔として致命的で、それは魔王の折檻を受ける名誉と異なり恥辱であった。だが予想した怒号が降り注ぐことはなく、ブリエルの体も砕けない。
はてどうしたものかと首を傾げ、恐ろしい王弟殿下、夜の庭の持ち主のイドラ・マグダレアを見れば……おや、何か、普段と雰囲気が違うなと、そこでやっとブリエルは気付いた。
途方もない魔力を有しているのでイドラ・マグダレアを直視することは難しい。視界に入れすぎても悪魔の体が爆発するので、加減に加減をして眺めなければならないのだが、ピシピシと自分の体に罅が入る音も構わないほど、思わずブリエルは主人を見てしまった。
「……髪を整えられたのですか?」
「…………」
「おや、それに……シャツに皴がございませんね?靴紐の結び方が……流行りの結び目だ。あの執事の仕業でしょうか。いつもの雑巾……失礼、ぼろ布のような外套はどちらに??」
「おれがどんな格好をしようがおれの勝手だろう」
まぁ、それはそうだが、放っておけば無精ひげが生えていても気にしないような世捨て人が急に小ぎれいにしていたら誰だって驚くだろう。悪魔だって驚く。あまりに驚いてじろじろ見てしまったのでブリエルの体が砕けた。しかしこれでも上級悪魔であるので、砕けた体を無事な腕で拾い上げてチクチクと魔力の糸で繋ぐと、何事もなかったようにブリエルは主人にお辞儀した。
「つまり、つまり、えぇ、えぇ。なるほどなるほど、これはこれはこれは……………」
「そうだ、つまり、この唐変木を貴殿の力でお洒落な男にしてやってくれ」
いたのか神獣。
ひょっこりと、部屋に入って来たのは手にバスケットを抱えた神の獣。
「今夜の感想会は終了したのでな。妖精たちもそれぞれの巣に戻った。我が友はすっかり、ものを語るあの娘の虜になってしまったらしい」
「ソドム、貴様の思い違いをおれの当然のように語るな」
「ははっ……!それはすまない。あのものを語る娘の目に映る私と自分を見比べて、妙な顔をしていたとは思っていたのだが、なるほど、私の早合点か、そうか。そう言う、それも愉しいな」
ぶすっとした顔のイドラを神獣は恐れない。
ブリエルはふと改めて、神獣ソドムと、魔獣の器であるイドラ殿下、己の主人が並んで立ったので眺めてみた。
すらりとした長身は変わらないが、ソドムと並ぶとイドラは「線の細い不健康な男」という印象がある。いつも黒い髪は結わかれることもなく無造作に伸ばし放題であったし、衣類もまるで頓着していなかった。もちろん振る舞いは王族らしい堂々としたものはあるが、なるほど、小さな妖精たちのいる幻想的な庭で、青白い顔の吸血鬼のような魔獣と、月明りに輝く明るい貌の神獣では「どちらがどちらか」と、そんな……
「………そんな思春期の青年のような悩みを!!!!?????????????ご主人様が!!!!!!!!?????????」
思わず叫び、ブリエルは「黙れ!」とイドラの叱責を受けて一瞬体の半分が塵になったが、「滅ぼして良いのか?」という神獣の声にハッとしたイドラにより復元される。
「はっ……申し訳ございません、ご主人様……生きとし生けるものの天敵、悪魔たちの大主人、神々の弱点、我らが恐るべき偉大なる御方が……………そんな………村娘を口説き落とすこともできない童貞のような思いを拗らせていらっしゃるとは思いもよらず」
「…………」
やはり滅ぼすかとイドラが怒りに震えている隣を、神獣が震えながら腹を抱えている。
ブリエルはここまで言って自分が滅んでいないのは自分の存在価値がそれでもまだ上なのだからだと実感した。
つまり……!
無礼なことを言っている自分を滅ぼすより……お洒落な男になりたいと……!!
さすがにこれを言ったら息の根を止められるのでブリエルは言わなかった。
だがこれ以上揶揄うつもりは毛頭ない。
上級悪魔の中で最も、流行を把握し老若男女問わず「完璧に当人に似合う衣裳」を作り上げることができるブリエルは、これほどの名誉は今後ないだろうと、そう思った。悪魔を従える恐ろしい男が、ただ一人の小娘の視界に入る時の自分を気にし、その男にとって困難で最大の問題を解決できる悪魔として自分を呼んだ。
仕立ての悪魔として、これ以上の名誉はあるだろうか?
「お任せくださいご主人様ッ!!!!!!!この仕立ての悪魔ブリエルッ、全力でご主人様を最強で無敵の、金輪際現れない完璧で天才的な存在に仕立てさせていただきます!」
「違う、そうではない。適当に服を仕立てればいい」
見苦しくないような、と、顔を背けて言われた言葉は小さかったが、眉間に寄せられた皴がこれほど恐ろしくないこともあるのかと、ブリエルはしみじみ感じつつ何度も何度も頷いた。
番外編ですお疲れ様です。
まだお見せできないのですが、イラストレーター様から素敵なキャラデザの共有を頂き、あの綺麗な格好をしているイドラ殿下の経緯を書かせていただきました。
ところで「イドラ」は「アイドル」の語源です。




