【番外】まだまだ続くよ王弟殿下の夜の庭の物語!
「友よ、ちょっと南国の方まで遠出をしてこようと思うので鎖を切ってくれないか?」
「え、神獣さん……そんな隣の家にお醤油を借りに行くようなノリで鎖って切れるんですか」
今夜の物語はこれにて終了。ふぅっと蝋燭を一本吹き消せば、代わりに花が一輪咲くのがこの魔の夜の庭での常のこと。赤い髪を月夜に照らし、今日も今日とておもしろおかしいものを語るこの庭の女主人は、物語の余韻を全力で楽しみ終えた神獣が言い出した言葉に思わず突っ込みを入れた。
「今はそういう気分なのだ。貴方よ」
「気分……」
「何、ちょっと南部の方まで行けば私の知らぬ植物の一つや二つあるやもしれないと思ってな。あのあたりはまだ神秘も残っているだろうし、西の侵略者どももまだ私の庭を踏み越えていないのだから問題はあるまい」
「は、はぁ……」
神獣の言葉がアゼルに理解できるのは僅かだ。相手が理解させようと思って話していないのだから仕方ない。嘯くような神獣の言葉に困惑しつつ、神獣が「我が友」と呼びかける相手、イドラ・マグダレア。アゼルの婚約者に視線を向ける。相変わらず血の気の失せたような白い顔に目つきの悪い王弟殿下は今夜の花を摘んでいた。
「未開の土地で国でも作るか」
「私の国は未来永劫ここのみさ。わかっているだろうに意地の悪いことを言う」
「貴様がとうにこの国に愛想をつかしていればいつまでも見苦しく続くこともなかっただろう」
「そうなると我が友が恋する面を目にすることができなかっただろう。長生きはするもので、意地汚くしがみついてみるのもそう悪くはない」
口を開けば相手へ嫌味か何かしか吐かないイドラを、ソドムは微笑んでいなす。いつもイライラとしているイドラと、いつも穏やかな表情をしているソドムは対照的だった。魔獣と神獣。陰と陽というが、アゼルはこの二人に友情があるというものが常々奇妙だった。まぁ、それは今はいいとして。
「神獣さんが旅に出るというと、このお庭が少し寂しくなりますね」
「惜しんでくれるのか貴女よ」
おや、と、神獣がアゼルに微笑んだ。ぎゅっと手でも握ろうものなら即座にイドラが槍を落とす。躱せぬ神獣ではないが、友の悋気を買うのはいつでもできることで、今ではない。
「常連さんの姿が見えない、ギャラリーが減るのは惜しいです。賑やかし要員じゃないですか、神獣さんって」
美丈夫に微笑まれ、アゼルもにこりと微笑み返す。
天下の神獣をにぎやかし程度の扱いとは、後ろでイドラが噴出した。相手を馬鹿にすることなら大口をあけて笑う男は遠慮がない。
「もう!いつまでも話が進みませんよ!!神獣様!要件をさっさと言ってくださいまし!」
「そうですわ!このなんだか可愛らしいいちゃついた空気をもっと見ていたい気持ちもありますけれど、時間は有限ですのよ!これだから長命種は……!」
穏やかな空気が漂う夜の庭に、妖精たちがやんややんやと声を上げる。
「アゼルさま!アゼルさまの御郷ではそろそろニガツという、春の訪れの前なのでございましょう!?」
「え?えぇ……はい。たぶん。雪もとけたし……体感、二月判定してもいいかもしれませんね」
突然なんだ、とアゼルは思いながら思い出す。四季を大切にしたいジャパニーズなので、年の初めには初詣ならぬ、神獣さんに向かって手を合わせたり、お節料理のようなものをお屋敷のみんなと作って食べたりもした。先週は豆まきに似たことをして、歳の数だけ豆を食べなければならないというところで、鬼役として散々豆を投げつけられたイドラ殿下が、嬉々として豆を投げた筆頭の神獣に「おれの厚意だ」と大量の豆の入った馬車を進呈していた。その後半泣きになった新王様がアゼルに「豆料理しかでない!」と泣きつきに来たがそれはそれ。
「それが何か?」
「アゼルさま!?お忘れですの!!?あぁ!もう!」
「お忘れだからそう悠長にしていられるのですわ!」
「そこが可愛らしいけれども!」
二言目にはアゼルを可愛がる妖精たちの言動も、中々まとまりがない。
「貴女の物語の中にあったではないか。ニガツという月の半ばには、茶色いブツを想う相手に贈る催しがあるのだ、と」
「茶色いブツ……あぁ、チョコレート?」
「そんな名だったか。殺人鬼が活躍する心躍る物語だったな」
うーん、とアゼルは思案する。
そういえばそんな話を語った記憶もある。
過去に起きた殺人事件からバレンタインのパーティーを中止していた炭鉱の街。20年も経てば風化するので、当時を知らない若者どもが20年ぶりにパーティーをしよう!と決めて、復活する殺人鬼……
炭鉱に閉じ込められて人食をしなければならなかった絶望や心臓をツルハシで……というのを無理やり心臓=ハート、バレンタインに結び付けたか、どこがどうすればバレンタインが必要なのかと思わなくもないあらすじだが、ホラー映画として押さえておきたい一作だった。
「我々は貴女のものを聞くと、知らぬ文化が知れて良い。貴女の育った世界を知る喜びを最も噛みしめているのはそこの唐変木だろうが」
「……………え?つまり、血のバレンタインを再現したいんですか?」
あの映画は心臓をハート形のボックスに入れて贈りつける手法が取られており、神獣ソドムの言動からアゼルは、自分を縛り付けている王家に「ハッピーバレンタイン♡」と誰かの心臓を抉って贈呈してやりたいのだろうか。
報復、あるいは復讐する権利のある立場であるので驚かないが、イベントごとにかこつけるとは洒落ていらっしゃるな、とアゼルが感心していると、神獣が「なぜそうなる?」と真顔になった。
「貴女よ、バレンタインとは本来なんだ」
「私の故郷の国では女性が男性にチョコレートを贈る日でしたね」
日本のお菓子メーカーがそういう設定をしたので、映画の舞台ではまた少し違ったが、バレンタインについて解説する際にアゼルは妖精たちに「好きな異性にチョコレートを贈る~」と伝えた覚えがある。
「そうだ。つまり、我々は見なければならないのだ」
「?何をです」
「貴女が我が友にちょこれいとなるものを贈り、我が友が狼狽える見事な様子を」
「おい」
真顔で力説するソドムに、イドラが思わず突っ込みを入れた。
「このおれがたかが菓子一つ貰った程度で狼狽えるわけがないだろう」
「狼狽えますわ」
「泣きますわね」
「手作りですもの。慌てますわよ」
「なんなら保存魔法で大事にして宝物庫に保管しますわよ」
ふん、と強がるイドラ・マグダレアに、妖精たちはこそこそっと自分たちの見立てを放つ。と言って、彼女たちも命は惜しいので神獣の後ろにこそこそ隠れて言いたい放題をしているだけだが。
なお、この国にもチョコレートに似た菓子はある。ただソドムたちとしてはできればカカオからアゼル嬢には挑戦していただきたい。苦労すれば苦労するほど良いと彼らは思っている。人の料理を趣向品としてしか思っていない連中は作り手の手間なんぞ考えない。自分たちが楽しむために「あぁ!こんなにも苦労しながら、お相手のことを思って作っていらっしゃる!」というエピソードが欲しいだけだ。人外すぎる。
「カ、カカオからは……ちょっと」
と、さすがのアゼルも引く。
しかしバレンタインというイベントを改めてイドラが意識したのは明らかだった。不機嫌そうに眉間に皴を寄せる。
「……お前は」
「はい?」
「……………………故郷で、以前誰かに贈っていたのか」
「え?えぇ、そりゃ、まぁ。人並みには」
「イドラ殿下ーーーーーーっ!!」
日本では幼稚園生からドキドキするバレンタインイベントだ。スーパーでもコンビニでもひっきりなしに宣伝され、特に好きな男の子がいなくても女の子同士で集まれば「〇〇ちゃん、××くんにあげるんだって!」という話になるのがバレンタイン。
アゼル……日本での名を×××と呼ばれていた頃を思い出し、アゼルは懐かしい思い出にはにかむ。
その少し照れた、恥ずかしい、甘酸っぱい思い出がある惚れた相手を目の前にしたイドラはヤ〇チャポーズで地面にめり込んだ。
「友よ!自分で聞いておいて自爆するとはなんとおもしろ……情けない!」
それを助け起こし、ソドムは全力で揶揄った。自傷に呻き、苦しむイドラは悔し気に「いつか貴様も惚れた女の過去の影に震えろ」と、全く持ってソドムにはちゃんちゃら可笑しい呪いを吐く。
初恋も何もかもアゼルが最初という男の必死の抵抗にソドムは「いつか私にそんな相手がいればな」とだけ言っておいてやって、こちらを心配そうに見ているアゼルにイドラを押し付ける。
「……」
「もう、イドラ殿下。子供の頃の話ですよ。もう相手が誰だったかも……いや、まぁ、名前は覚えてますね。あぁっ!吐血した!!!!!!だ、大丈夫ですよ!それに私の最近のバレンタイン事情はお歳暮みたいな感じでしたので!男性女性関係なしに!二月にお菓子を配っていました!!そういう文化でした!」
「だがそれでも我が友に今年のチョコレートは用意していないのだろう?罪づくりなことだ」
「神獣さん黙っていてくださいません!!?」
何がしたいのだこの神獣は、とアゼルは若干キレかけている。
何がしたいのか、明白だ。
バレンタインネタにかこつけて二人を全力で揶揄いたい。
それは庭の参加者全員の気持ちだ。揶揄いというのは少し語弊があるが、ようは「いつまでもいつまでも、二人は幸せに暮らしていました」をずっと見ていたい。
あまりにもイドラ殿下がぐったりするので、アゼルは「……渡すか迷っていたんですけど……」と、花の刺繍が入ったハンカチを差し出した。そもそも自分の自由になるものはイドラが与えているもので、料理も悪魔料理人が作った方が美味しいに決まっていると判断していたアゼル嬢。
バレンタインを意識していなかったわけではなく、どうしたものかと悩んでいた。
それで、練習がてらちくちく花の刺繍をしたハンカチを「…………使わないでしょうけど」と、いつか渡そうと考えてはいた。
「……ハンカチ」
「刺繍の………」
妖精たちやソドムが停止する。
あまりにつまらないものだったかと、アゼルは慌ててハンカチを引っ込めようとするが、ぐいっと、イドラが掴んで離さない。
「これはおれの物だが?」
「いやでもやり直します!!不格好に過ぎますものね!?」
「嫌だが?」
ぐぐぐ、と、あまり引っ張るとハンカチが千切れるのでアゼルは観念するしかない。こうなったイドラは絶対に翻らない。
ちらりと助けを求めるように妖精たちに視線を向けると、妖精たち&神獣は震えている。
「なんと……一糸一針……………我が友のために」
「不器よ………ご多忙なアゼルさまが寝る間も惜しんで……」
いや、別に夜なべしてまでは刺繍していない。
だが妖精たちの中ではちょっと針で指を指していたい思いをしながらも、イドラ殿下のためにチクチクしていたアゼルの姿が想像され、それが事実になったらしい。じーんと感動し、イドラからハンカチを見せてもらおうとしている妖精たち&神獣に、アゼルはもうなんとコメントしていいかわからない。
とりあえず、神獣ソドムが南部にカカオを求めて旅立つことはなく、王弟殿下の夜の庭は今夜も、そして明日もいつまでも「めでたしめでたし」であった。
お久しぶりです!番外です!
こんな出来事もあっただろうと観測したかったので書きました!
よろしくお願いいたします!!!




