最終話、我が世の春
「そうして昔は不治の病だったものも、延命処置を施した先代医師により永らえ、ついに治療の叶った患者は自分の人生を続けることができたのでした」
だが、今は違う!ギュッ、という効果音を魔法で出してもらいつつ、今夜のアゼルのもの語りは無事に終了した。魔法ではなく医療が発達した世界の物語は魔法の塊といっていい妖精たちにとってまさに幻想でお伽噺で、大変喜ばれた。
明日の物語のリクエストも受け付け終えたアゼルはこれで屋敷へ戻り、休むことになる。まだ妖精たちは庭に残り、物語の感想を話し続ける。それが妖精たちの第二の楽しみだが、夜明けまで続いてしまうのでアゼルも主催の一人のお茶会ではあるが残ることはなかった。
もちろんアゼルは残りたいと当初は主張していたが、日中もあれこれと屋敷の中で活動し多忙なアゼルの睡眠時間を考えたイドラが断固として受け入れず、代わりにイドラが夜明けまで妖精たちの語る庭でぶすーっと待機していることとなった。
「……」
さて、そういうわけで、今夜の妖精の粉を服用しながら、やはりぶすーっとした顔で、妖精の庭に居座るイドラ。かつては妖精たちの恐怖の対象でしかなかったが、アゼルに対する態度を見ていつまでもイドラをおっかながり続けられる者はいなかった。もちろんイドラがその気になれば自分たちを砕くことのできる恐ろしい存在であるとは誰もが認識しているが、それはそれとして、アゼルが傍にいる限りイドラが癇癪を起す頻度が減るとわかったからだ。
「……」
だが今夜は、そのイドラの様子が少し妙だった。
いつも通りの不機嫌そうな顔だが、何かこう、思い詰めたような目をしている。
妖精たちは物語の感想を言い合いながら、イドラの様子が気になった。そしてそれはか弱い妖精たちだけではなく、アゼルの物語を聞きに来ていた神獣ソドムも同じだった。
「さて、我が友よ。何か気になることでも?」
「……」
「昨今の変化と言えば、書類上はアザレア・ドマとその元亭主の離婚が成立したことと、いくつかの貴族の家門が根絶やしになったくらいか。とりわけ、大した知らせもないな」
「…………」
ふわり、とソドムが大きな口をあけて欠伸をする。なんでもない風を装っているが、イドラの変化にソドムは敏感だった。不器用な男なのでこちらから水を向けねば延々と悩んでいる。それはそれでいいのだが、今回は十中八九、アゼルのことだろうとソドムは見当付けていた。二人のことはどんなことでも、ソドムは知っておきたいのだ。
「…………を」
「うん?」
「………求婚を、しようと思う」
ガダッガタダッ。
「詳しく話せ」
長椅子に寝ころんでいた神獣は居住まいを正した。物音はソドムのところだけではなく、二人の会話を聞いていた妖精たちの方からも立てられた。
「なんだ」
「コホン……いや、うん。いや、寝ていると体が痛くてな。他意はないのだ」
じろり、とイドラが睨む。自分の言葉を揶揄ってくるとでも思ったらしい。もちろん神獣にそんなつもりもないし、妖精たちだってそうだ。わざとらしく、朝アゼルが行うラジオタイソウなるものを行う妖精たち。イドラはぷいっと、視線を逸らした。少しそわそわと落ち着きがない。
「……グリン家を潰したのちに、書類上の手続きを進めることはすでに決まっている。反論する屑共も燃やした。愚兄は廃人になり、あれよりは多少マシな甥が王位につき、反論をしてくることもないだろう」
「うんうん、そうだな。あれから半年。我が友も外交というものを学んだだろう」
逆らう者を悪魔の餌にするのが外交なのかと、妖精たちは心の中で突っ込んだが声に出せない以上、だれも異論のない行動になる。
「……だが、アゼルに許可を得てはいない」
「それはかなり問題だな」
「やはりそう思うか」
「思うとも」
真剣な顔で神獣は頷いた。
なんということだ。
ソドムが見たくて仕方のない、恋する男の顔をしたイドラが、またなんとも面白い……ではなかった、大変思いやりのある言動をしているではないか。
「なるほど、それで求婚か。それは確かに必要、」
「必要ですともーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」
「必要に決まっていますわ!!!!!!!!!」
「よくぞお気づきになりましてよ!!!!!!!!!!!!!!!」
キーーン、と、大変甲高い声が庭に響いた。
見れば姿をはっきり取ることのできる、だが手のひらくらいもない小さなサイズの妖精が三匹、真っ赤な顔をして二人に詰め寄って来た。妖精の羽がせわしなくソドムとイドラの前で動く。
「つまり、アゼル様の言葉でいうところのプロポーズでございますよね!!」
「プロポーズ!レディが憧れる贈り物ですわ!!」
「正直お二人はそういうことを全く一切合切、思い付きもしない唐変木だと諦めておりましたわ!!!!!!!!!!!」
三匹が近づいたことで他の妖精たちもこちらに寄って来る。わらわらと羽虫にたかられて、ソドムは蹴散らしていいかと目障りに感じたが、こういうことが最も苦手だろうイドラが真面目な顔で妖精たちの喧しい声に耳を傾けている。
「……アゼルにも必要だろうか」
「もちろんでございますわ!何を躊躇っていらっしゃいますの!?」
「きっと待っていらっしゃいますよ!」
「そうに決まっています!!魔お……まじゅ……ばけ……じゃなかった、えーっと、えーっと」
「イドラ様」
「そ、そうそう!イドラ様を見つめるアゼル様の瞳のやさしさったらありませんもの!あれはきっと、待っていらっしゃいますよ!!」
「……何をだ?」
「「「「「ですから、プロポーズ!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」
駄目だこの唐変木、と妖精たちは匙を投げるようなそぶりを見せたが、そこでソドムが介入する。
「言葉というものは大切なものだ。名を呼び形が固定されるように、呼ぶことで己の魂に相手が入り込んでくるように。愛の言葉ならば猶更、交わして溢れすぎることもあるまい」
「……待て」
「うん?」
「なぜ愛の言葉になる?」
……………。
……………………。
「……我が友よ?」
「なんだ」
「貴殿の考える求婚とは?」
「結婚する旨を伝え、承諾を得る事だろう」
何匹かの妖精が、あまりのショックで地面にボダボダと落下した。
「神獣様!!!!!!」
「うむ」
タイム!!とでも言うように、イドラの前で大きく手を交差させた妖精が、ソドムや他の妖精たちに召集をかけた。イドラから少し離れたところに集まり、声を潜める。
「……ありゃ駄目だ」
「駄目だな」
「アゼル様はお優しいから断るなんてことはないだろうけど……」
「駄目だな」
「うむ、駄目だろうな」
「神獣様もそう思う?」
「思うとも。うむ、我々がなんとかせねばな?」
「愉しそうですね????」
「慶事は何事もよろこばしいものだろう?」
にこり、とソドムは妖精たちに微笑みかける。
神の獣は善いものだと信じている妖精たちはソドムの善性を疑わない。
「プロポーズというものは人生で一度か多くても数度しか贈られることのない贈り物ですもの。アゼル様のためにも……私たちがなんとかしましょう!」
「えぇ、もちろんですわ!!」
ファイオー!と、妖精たちは円陣をつくり、ソドムはそれをニコニコと眺めた。
「イドラ様!!」
「なんだ」
「求婚というのは、されるととても嬉しいものなのでございますよ!!」
「何故だ?」
面倒な手続きが始まるぞ、という宣告だろうとイドラは真面目に言う。ここで何匹かの妖精がイドラを罵倒しそうになり、ソドムがそれを払って留めた。
「このとうへんぼ、じゃなくて……イドラ様!これまで数々のアゼル様の物語をお聞きになっていらっしゃらないの!?恋する素晴らしい物語だってたくさんあったじゃありませんか!」
「他人の浮ついた感情がどうだの聞いて何が楽しい」
駄目だ。基本的にイドラは冒険ものや復讐系、喜劇的な物語は聞くが恋愛系となるとアゼルの声や語る時の表情にしか興味がない。
アゼルの恋愛系の物語を欠かさず聞いているという妖精たちが進み出た。
「アゼル様の物語にありました!プロポーズするときは……確か、百万枚の金貨の夜景の前でとか」
「夜中に金貨の山の前ですればいいのか?趣味が悪いぞ」
「薔薇の花束は百本必要だそうですわよ!!」
「百本集めたらそれなりの重量だろう。そんなものを態々切って束ねて渡す意味があるのか。庭に花を植えさせればいい」
「愛のセリフは『君の瞳に乾杯』が良いとか!!!!」
「アゼルの目玉をくり抜いて酒杯につけろと?貴様を洋酒漬けにしてやろうか」
駄目だ。
絶望的に駄目だ。
イドラにプロポーズ、相手へ結婚の許しを請う、恋に落ちた男の顔で愛を告げるなど……無理なのか。
否!と、神獣は自分を鼓舞した。
諦めるのはまだ早い。
我が友、我が半身の恋に落ちた顔だって見れたではないか。我が友が求婚する場面だって、見ることができるはずだ。諦めたら試合終了だと、アゼルの物語でも言っていたではないか。
神獣はバタバタと墜落していく妖精たちを踏み潰さないように注意しながら長椅子に座るイドラの隣に腰かけた。
「友よ」
「なんだ」
「プロポーズというものは、相手に自分と結婚したい、と願ってもらうことなのだ」
「……」
「つまり、ただ”愛している”と言えばそれで良い」
「それこそ、意味のない言葉だろう」
「?なぜそう思う」
ソドムはイドラが「求婚しようと思う」と言ったのが、ただ事務的な手続きの承諾を得るためだと考えているとは思っていなかった。であれば、そわそわした様子になることなどない。淡々と天気でも告げるように言っただろう。
イドラ自身、期待しているのだ。求婚、つまり、結婚をしてくれと、自分と結婚してくれないかとアゼルに提案し、それを承諾される。
それがイドラにとって、どれほどの喜びになるのか、そして、拒否されるのではないかという不安を、わかっているのだ。
「俺などに愛されていると言われたから何だ?――考えたのだが、三食昼寝付きを保障する、と約束するのはどうだ」
「駄目に決まっているだろう」
そもそもすでにアゼルは三食昼寝付きの身分である。
妖精たちも大ブーイングだ。あまりにセンスのない求婚だ。いや、それが悪いとは言わないが、これだけアゼルへの愛情を瞳に宿し、その名を呼ぶときに信じられないくらい穏やかな顔になる男が一度きりのプロポーズに使う言葉として、あまりにも論外に過ぎる。
「さて友よ、これは私の個人的な考えなのだが。手品をして、結婚の証である品を差し出すのはどうだ?今はこれが精いっぱい、と言って、ささやかな品を贈呈するのだ。その後に大粒の宝石が付いた装飾品を贈れ」
「それはお前の趣味だろう」
「まぁ、あくまで私の考えた」
「お前にそういう相手が出来た時にやってやれ」
そんな日は来ないだろうが、ソドムは軽く頷いた。まぁ確かに、暇つぶしに懐から色々な国の旗を繋げた糸を出す手品の練習でもしてみても良いかもしれない、と適当に返す。
さて、その後もあれこれと妖精たちが案を出したが、どれもイドラにはピンと来ないようだった。
しまいにはなぜかイドラが神獣の本体に体当たりをして「僕は死にません!!!!!」と宣言するのはどうかというよくわからない案になり、やや空が白くなってきた頃、つまりは徹夜でハイになった妖精たちはワイワイと神獣に「とらっくなるものに変身できませんか」と強請ってくる。
「あら。なんです、この……飲み会の四次会のあとみたいな……惨状」
そして朝日が昇り、チュンチュンと朝の鳥が鳴くころに、まだ妖精たちがいることを知ったアゼルがやってきた。
「…………」
「イドラ?」
「……………考えていた」
「まぁ、何をです?」
テーブルに伏し、自分の情けなさとやらに絶望している様子のイドラを見て、アゼルが首を傾げる。
「俺たちは結婚する。それは決まっていることだが、それがお前にとって望ましいことにできるのか」
ジメジメと背中にキノコでも生えるのではないかというくらい、陰湿に落ち込むイドラ。アゼルは自分の頬に手を当てて、うーん、と唸った。
「私がイドラを愛しているので問題ないのでは?」
ガタガタガタ、と、随分と派手な音を立ててイドラが立ち上がった。
真っすぐにアゼルを見下ろし、その顔が段々と真っ赤になっていき、アゼルの両肩に近づいた大きな手が宙を彷徨う。
「イドラ」
「……なんだ?」
「昔から物語を知る度に思っていたのです。私はどんなプロポーズを受けるんだろうって。結婚することになったら、必ずあるでしょう?」
ここでアゼルにプロポーズについては考えていませんでしたよこいつ、と告げ口できる妖精はいない。
ただこの場には、顔を真っ赤にした男と、微笑んでいる女。そして、垣根の向こうにはそれを固唾をのんで眺めている神獣と妖精たちがいるだけだ。
「……………」
イドラは何度か咳ばらいをした。何か言おうと口を開き、思いついた言葉が相応しいものでなかったらと、怯えるような色を瞳に宿した。けれど目の前のアゼルが微笑み、イドラがどんな言葉を言うのか楽しみに待っているのを見て、妖精たちが並べたてた百以上の言葉より、神獣が提案した言葉より、自分がアゼルに贈ろうと考えた言葉をここで告げるべきだと考えた。
「 」
と、世に魔王だ魔神だ怪物だと、恐れられる男が口に出したのは、目の前の女をますます笑顔にし、そしてほんの少し涙を流せることになった言葉だった。涙が頬を伝った瞬間、男は驚いて狼狽えたが、目じりを拭ったアゼルが微笑んだので、それは拒絶や嫌悪からの涙ではなかったのだと知った。
その瞬間、垣根から妖精たちが飛び出して二人の結婚を喜び寿いだ。
なぜだか後方に回り、腕を組んでうんうんと頷いている神獣は「よし、これで二人の子が出来たら私が鍛えよう」と満足気にしている。
「つまり、これでめでたしめでたし。私たち、いつまでも幸せに暮らしていくってことですね」
妖精たちに祝福をされながら、赤い髪のアゼルはイドラの頬に手を伸ばし、軽い音を立てて唇に口付けた。目を丸くするイドラが、しかし一度瞬きをしてアゼルの腰を引き寄せ、今度は自分から唇を重ねた。
と、言うわけで私たちが認識できるイドラ殿下とアゼル嬢の物語はここで観測終了でございます。
もちろんこの後の二人にもいろいろなトラブルはありましたが、それはそれ。
ここまでお付き合いくださいました読者の皆々様、本当にありがとうございました。
かなりの頻度で感想を下さる方や、ちょっとしたタイミングでナイスな感想をくださる方、イイネ、を押してくださる方、ブックマークや評価をしてくださりランキングに乗ることで読者も増え、多分100人くらいの方はこの話をここまでお付き合いくださったと思います。
人に認識されていると「……よし、やるか」という気持ちが芽生えるヒューマンでございます。
さて、それはそれとして、少しだけ次作予告です。
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「あなたの主人が王なのではなくて、あなたが選んだ者が王になるんじゃないですか?」
物語の舞台はこの時代の100年後!!
大国に侵略され、スレイン王朝最後の日!
断頭台に上げられる王族貴族たちの中で「……アイアムジャパニーズ!」と覚醒する一人の少女!!
迫りくるギロチンが白い首を落とすその前に、少女は叫んだ!
「やつはどんでもないものを盗んでいきました!貴方の心です!!!!!!!!」
響き渡る意味不明なフレーズ。
世迷い事と思われ誰も気に留めない、ので、落とされるギロチン!!!
破壊!!
砕ける残骸、土埃の中でしっかりと、少女を抱き上げた茶色い髪に二本の角を持つ、ひとならざる者が嬉し気に言葉を発した。
「またものを語りに来たのか、貴女よ」
「アゼルさんじゃないですごめんなさい、結婚して!!」
「……なんと?」
タイトル:「断頭台から愛を叫んだら神獣さんが引っ掛かりました」




