31、明日ありと思う心の仇桜
あと1話です。
「どうしたの?そんな顔をして」
一面に広がるのは、懐かしさを感じるリビングだった。母の好きな白と青を基準としたインテリアに、大きなリビングテーブル。そこに記憶と変わらない母がいる。私を見ていつも通りに笑いかける。
テーブルの上には夕食の用意がしてあった。お屋敷の悪魔たちが作るような豪華なごちそうではないし、イドラが毎朝私のためにと用意するような珍しい朝食とも違う。
ポテトサラダに餃子に味噌汁。それにご飯。なぜ人にここまで炭水化物をとらせようとするのかと突っ込みが入りそうな食事だ。だが、母らしいい食事なのだ。野菜が食べたければ自力でレタスを千切れ。
「ほら座って。食べないの?」
母が言った。 私は棒立ちになったままじーっとそれを見つめる。
分かっている。これは夢だ。
神獣さんが私に見せている夢だ。夢の中で「これは夢だ」とわかる類のものと同じだった。
分かっていて、私は心の中に湧き上がる感情がどうしても抑えられない。
「お母さん」
呼びかけて、心の中がギュッと締まる。
「お母さん」
「何どうしたの?×××」
私の名前は聞こえない。母の言葉が聞き取れない。 私の名前がやはり思い出せない。
「お母さん。あのね」
私はもう一度呼びかけて、そして目を伏せた。
お母さんに、聞いてほしいことがたくさんある。
毎晩妖精たちに日本の誇る文化ANIMEやらなんやらの話をしているんだよ。
天蓋付きのベッドが本当にあって、そこで寝てるんだよ。
すぐ不貞腐れるわがままな人が、私の間男だって名乗り出たんだよ。
「戻りたいだろう。これが貴女の世界のはずだ」
自分の感情を消化しきれない私に、神獣さんの声が聞こえた。どこにいるのかと探せば、真横に立ってリビングを眺めていた。
うわ、似合わない。
日本の一般的な戸建てのリビングに背の高い神獣さんがいるのが、本当に、解釈違いに過ぎる。
思わず悲しい気持ちも引っ込んだ私に、神獣さんはシリアスな雰囲気をそのまま話を続ける。
「これはもちろん。私の夢だがこれを誠にしたいだろう。貴女は自分の世界を取り戻し、自分の寝台で目を覚ます。そうして「あぁ、夢だったのか」と我らの方をまぼろしにしてしまいたいのだろう?」
食事をする母を前に神獣さんが淡々と囁く。
「なに、大したことではない。ただ願えばそれでいい。何もかもめでたしめでたしになるために、ほんの少し我欲を出せばよい。それだけのことだ。何が困る?何を悩む我が友もきっとそれを望むだろう。貴女のためにできるのだと、きっと友は喜ぶだろう」
神獣さんの囁きと悪魔のささやきの何が違うのか?
「さぁ、我が友に親切にさせてやってくれ。他を慈しむことを知らぬ。あれが貴女のために何かを差し出せるというのなら、それはあの男にとって良いことだろう。つまりこれは人助け。 あの男に愛を教えてやってくれ。我が身よりも、何もかも。貴女のために差し出させる。これが愛というのだろう」
私は家の外を見た。 雨が降っている。 これはただの天気だ。私が先ほどまでいた異世界のように私の夢の外のようにイドラが泣いていた雨ではない。
***
「どうだ友よ。 考えは決まったか?腹は括れたか」
ソドムはイドラに話しかける。
兄王に腕をつぶされ、それでも柵から手を離さない。これがこの男のなけなしの良心、あるいは最後の自我だろうことは神獣には分かっていた。この手を離せばイドラは何かに成り果てる。それが魔王なのか悪魔なのか、れとも神の獣の対なる存在か。それはもちろん、ソドムにもわからない。
手を放すべきだと囁き続けるソドム自身、さて、どうなるのかと、何か希望があるわけではなかった。
ソドムはイドラがアゼルと呼んだ、娘の状況を眺めさせてやった。
家が恋しいと泣きべそをかく姿。
ソドムの夢の中で故郷を懐かしみ、母の前で泣きそうになるその顔をソドムは見せてやった。
そしてそれを眺めるイドラのその目には、深い少女への愛情が染み込んでいた。
なのでソドムは示してやる。
この娘の問題を解決できるのはお前だけだと。
お前がほんの少し何かを差し出せば、この娘はめでたしめでたしになれるのだと。
お前だけが救ってやれるのだとそう示してやった。
その命を燃やし尽くすとしても、愛のためならそれはそれで良いだろうと囁き続ける。
「簡単だ。兄を殺せばいい。その男を殺し王になれば、お前は我が友、我が主となる」
そうして王として神獣に願えば、あの小娘を元の世界に戻してやるくらいはできるだろう。
と、そのように嘯いた。
もちろん、嘘だ。真実ではない。
実際のところ元の世界ではない。
そういうことはいかに神獣でも、神獣が本来の力を十分にふるえたとしても無理だ。
異世界などというものがあるのかどうかは知らないが、あったとして、それは別の神の管轄で、それはソドムの管轄ではなかった。
だが、それにならそれに限りなく、近い世界を作り上げてあの娘を送り届けることはできる。
夢の中で生きるようなものだが、夢から覚めなければ現実と夢の違いというのはない。
さして問題はないだろうとソドムは考えている。合意があれば良いのだ。娘がここを現実だと思い込んで信じて、そしてそこで死んで行けばいい。眠りの中に真実など必要はないのだ。
と、ソドムは本気で思っている。
そしてイドラが愛した娘のために、兄の首を落とすのをただ待っていた。
***
「家に帰してください」
私は神獣さんにそう告げた。
途端、神獣さんは嬉しそうに「あぁ、無論だとも」と答える。
「勘違いしないでください。私が言っているのは私が帰して、と言っているのはイドラのところにってことです」
「……と、いうと?」
「だからイドラのところにです。あの人、多分泣いてるんでしょう。私がいなくなったから怒っているというか、怒るというのは自分を守るための感情です。悲しいより怒っていた方がいいからと、泣いているんでしょう。きっと。私が裏切ったと思っている。でもそうじゃないって。ちゃんと教えてあげないと。あの人傷ついたままでしょう」
「……帰りたいのではなかったのか、己が己でいられなくなることが恐ろしくはないのか?」
神獣さんはサラを引き合いに出した。
いかにザビヤ様への思いが強くても、周囲にザビヤと呼ばれ、その姿で生きるうちに自分というものが上書きされていく。自分の感情が消えていく。それを恐れたサラは、自分の肖像画を見つめ続けた。
「怖いですよ、嫌ですよ」
「ではなぜ?」
「私が泣いていたのは、私が怖かったのは、私が自分で決めた人生や人格でなくなるかもしれないと思ったからです。私は自分が決めた人生を歩めればそれでいいのです」
わけのわからない男の妻だと言われ、わけのわからない不貞を暴かれ、わけのわからない罪状をつめられ、自分の名前ではない女の名前で呼ばれたら、それは嫌に決まっていだろう。
今の私にはアゼルという名前がある。まぁもちろん、本当の名前ではないのだが、まぁ、生きていれば名前が変わることもあるだろう。それが他人の名前ではなく、自分の名前なら、別にいい。
「私は自分で選んで、自分で進んでいける人生があればいいんです。それがどこだろうと構いません。だから言いますよ。私をイドラのもとに帰してください」
と言うと、神獣さんが大笑いした。
それはもうおかしそうに大きな口を開けて、私を飲み込むんじゃないかと思うくらい大笑いをした。
笑う声が響いて響いてガラガラと世界が崩れる。自分の家が無残な姿になるのはあまり見たくはなかったけれど、夢の中のはずのお母さんが私を見守る。その目は何の解釈違いも起こらないくらいに私の知る母の目で、そしてじっと私を見つめていた。
お母さんは私がどんな姿をしていても、私がどんな人生を送っていても、それを私が選んだというのならきっとお母さんは安心してくれるだろう。それがわかっている。私は夢の中の母に微笑んで手を振った。
そしてポンと吐き出される。
「地面が近い!!!ぶべらっ!!!!!!」
私はゴロンと地面に転がり落ちて泥まみれになった。いたたたた、と体を起こすと、視界にまず入ってくる、THE修羅場。
「ちょっとあなた何してるんですか!!?」
私のイドラがなんだかボロボロになって立派な服を着た、金髪の男の人に馬乗りになられて殴られている。 いや、殴るだけでなくて、片手にはナイフも持っていて、グサグサさせている。
「し、刺殺事件……殺人現場……!!!!」
私は慌てて立ち上がって、その男の人というか、王様を何とかイドラからどけようとする。
「邪魔だ!!」
「っ!!」
しかし、王様の力はもちろん、私より強い。私は王様に殴り飛ばされて、地面にまた転がる。
とても痛い!!!!!
「……アゼル?」
ぼんやりとイドラが私を見た。
そして私が王様に殴られたことを知るとカッと目を見開いた。
「……愚兄、それほど死にたいのなら……!!!!!」
「ストップ!!!!!待ってください!!待って!!イドラ!!あなた!!待ってください!!ノン、殺人!!!!!!!!!!」
私は怒髪天をつく勢いの、激昂するイドラに手を振った。
「兄殺しダメです。絶対。汚名すぎる。あまりにも汚名すぎます!!」
「今更なんだ。それがどうした。今更汚名の1つ2つ、何だというのか」
「その開き直りよくないと思いますが!!」
っち、これだから生粋の悪役は……。
私はイドラに駆け寄って、とりあえず抱き着いた。するとびくり、とイドラが体を硬直させたので、そのすきにイドラの顔の泥とか血とかを、自分の服で拭う。
「……お前の方が汚れているだろう」
イドラが言う。私は首を振った。
「ちょっと汚れてるだけで、私の方は大したことありませんよ。刺されたり、殴られたりしてる人は黙っていてください」
「俺は別にこんな程度どうということはない。だが、お前は人に殴られることに慣れていないだろう」
「慣れていいものではありませんよ。それにイドラ殿下、あなたが傷ついてる顔を見て私が苦しまないと思いますか?」
「なぜだ。お前は痛みはないだろう」
うっわ。
馬鹿な人。
私はため息を吐いた。私が呆れると、ほんの少しイドラが怯えたような色を目に宿す。
なんでそんな顔をするのか全く訳が分からない。
「失望したか。こんな情けない姿を晒す男だと軽蔑したか」
「そんな話、今してました?コミュニケーションを取りませんか??」
「怪我をしているな、よく見せろ」
イドラは私の言葉をスルーして、ぶつぶつと言いながらひょいっと腕を振って薬草やら薬の瓶やらを取り出すと、私の治療をしようとする。
「だから私の方は何ともないんですが!」
「ならばよく見せてみろ。お前が気づいていない傷があるだろう」
あったとしてもかすり傷だ。今も血をドクドクと流しているイドラがなぜ私の方ばかり気にかけるのか。
その間によろっと王様が体を起こした。
っち、生きてたのか。いや、殺したいわけではないけれど。
「なんだかよく分かりませんが、要はイドラがこの人を殺すと。私が元の世界に帰れるとか、なんだかそういう話をしていました」
「そうか。ならばやはり殺すべきだな」
「イドラ殿下は王様になりたいんですか?」
「あんなものになる意味がわからん」
じゃあならなくても良いのでは??
「だが、お前を元の世界に返すと約束した。その方法を俺が見つけると約束した。だから、お前は俺のそばにいたんだろう。俺がお前を元の世界に戻すことができる男だから、お前は俺に笑いかけていたのだろう」
……。
真顔でイドラが、至極当然のように言う。
……………。
……そうだったっけ?
……そういえばこの人、そんな話をしていたような気もする。
ああ、そうかと。私は頷いた。
それをイドラが承諾と受け取ったらしい。ではと王様を殺そうとするので、私は待ったをかけた。
「イドラ殿下が即位するためには他にもいろいろ死んでいただかないとまずいですよね、大量虐殺はちょっと」
「確かに俺以外の王族は全て邪魔だな。幽閉するなり、身分をはく奪するなり、いくらでも手はある」
なるほど。さすが生粋の王族、考え方がえげつない。
とても参考になると、ここにブライドさんがいればメモを取っていただろうが、残念ながらブライドさんはお屋敷の復旧作業があるとかでここにはいない。
「あなたが魔王になったり魔獣になったり、望まない玉座に座らされたりするよりは、ここであなたと一緒にいる方が私はいいですよ。現状維持で構いませんよ」
「だが未練があるだろう」
未練。
「まあ、里ごころは誰にでもありますからね」
「……さとごころ」
イドラが繰り返して首を傾げる。可愛いな??
「あなた、私に言ったことを忘れたんですか? あなた私の旦那様になってくれるのでしょう? 私の夫になるのでしょう。 ようはちょっと海外にでも嫁いだようなものですよ。あ、まだ離婚が成立してなかったんでしたっけ? 」
「……そんなものは何とでもなる。どうとでもする。それこそ、お前の元の世界に戻すことよりもたやすいことだ」
さすがです。頼もしいですね、と笑いかけるとイドラが顔をしかめた。
「そんなことでいいのか?」
「あなたが最初に私にしてくれたことを覚えていますか?
「何かした覚えはない」
「アザレア・ドマの夫から助けてくれましたよ。あなたにとっては大したことではなかったかもしれないし、あなたには別の理由があったのかもしれないですけど。あなたにとって「そんなこと」でいいんですよ。 何か特別な人生を捧げなければならないとか。あなたの力を使わなければならないとか、そんなことでなくていいのです」
言って私は少し腕を伸ばして、イドラの頬に軽く触れると、私が近づいて驚くイドラの額に口付けた。
ぴしり、とイドラが面白いぐらいに固まる。
自分が何をされたのか、それがわからないような、真顔になって、戸惑って、そして 何度も瞬きをする。
それがおかしくて、私はコロコロと声を立てて笑った。
いつの間にか雨が止んでいて月が出ている。
私は夜空を見上げてイドラを振り返った。
「 月がとても綺麗ですね」
次回予告。
「アゼルに求婚しようと思う」
「…………詳しく話せ」
すっ、と寝そべっていた長椅子から身を起こし居住まいを正すソドム。イドラは何度か咳ばらいをしながら、そわそわと落ち着きなさげにした。
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あとがき
嫌だー!!終わりたくない!!最後まで書きたくない!!!!!このままずるずる独白とか閑話とかで引き延ばしてエタって物語を終わらない状態で固定したい!!!!!!!!!!!!!!!!(大の字)
と、こんな感じで全力で拒否しているんですが、音声入力という方法があるので祖父母の墓前に立てた誓いもあり、24時までに更新しています。




