30、春の死骸
「……つまり、今イドラ殿下が物凄く、とても、大変、怒っているってことですよね!!?」
荒れ狂う夜空を見上げ、豪雨が顔を打ちつける。月も星も完全に見えない。何ということだ、と頭を抱えたいけれど、それで天気が良くなるわけではない。私はぱちん、と自分で自分の頬を叩く。
「どうする、貴女」
「どうもこうもありませんよ。イドラ殿下の癇癪は、それはもう、理不尽だしどうしようもない駄々ですけれど、思い違いが一番の原因なんです。話せばやさしいところもあるんだから、まぁ、一生懸命謝ったら大丈夫かと思います」
「幽閉されるか監禁されるかではないか?」
「そんなに怒っていらっしゃるんですか……」
勝手に出て行ったのがよほど良くなかったらしい。
謝ったら許してほしいと期待しているわけじゃないが、謝れば多少は怒りも収まるんじゃないかとそういう打算はある。
初手土下座をキメるかと、私があれこれ考えていると神獣さんがニコリと微笑んで私の手を取った。
「ではどうだろうか。貴女」
「……なんです?」
「ここではない別の世界から来たという貴女だ。元の世界に戻りたくはないか?」
「……」
……手段があるのか?
私はハタリ、と、瞬きをして神獣さんの顔をまじまじと見つめる。
「あるとも」
「……なぜ今?」
「色々な条件がそろったからな。貴女の願いを叶えられそうだ」
「……」
にこにこと穏やかに、とても人好きのする笑みを浮かべて私を見る神獣さん。
「私の力と魔獣の力、つまりは陰陽。この大陸を作り上げた我々の力を合わせれば、あぁ、貴女を元の世界に送り返すことなど造作もないだろうさ」
「……イドラ殿下を魔獣にしろということですか?」
「放っておいても直にそうなるだろう。望むのは別のことだ。忌々しいこの鎖ゆえに、私が力を十分に振るうには王の命令が必要だ。つまり、我が友が王になれば貴女は元の世界に帰れるというわけだ」
「つまり、私にイドラのお兄さんを殺して来い、と」
なるほど、と私が頷くと神獣さんはぴしり、と、笑みを凍らせた。
「そこまでは言っていないな??」
「違うんですか?」
「なに、貴女が望めば良いのだ。貴女の殺意や悪意は必要ない。貴女が我が友に請えば良い。王になってくれとそのように」
いや、でもその場合でも、イドラのお兄さんは殺害されてないか?王位簒奪がどういう順序で可能なのかわからないが、現在の王様が生きていたら……邪魔だろうし……。王弟殿下の継承順位が何番か知らないけれど、王太子がいるんだったら……そこも邪魔だろうし……。
「邪魔な人たちに全員死んでいただいて自分の希望を叶えるのはちょっと……」
「そうなるか?」
「円満にイドラ殿下に王位を継いで頂くとなると……色々辻褄合わせのためにも、ほら……邪魔ですし……」
「なるほど、勉強になります」
いつのまに復活していたのか、ブライドさんが私の後ろで何かメモを取っている。
私は目を細めて神獣さんを見上げた。相変わらず雨はよく降っている。雨に打たれていると、イドラが怒っているわけじゃない気がしてきた。それで私は冷静になっていく。
「つまりイドラ殿下は蛹のようなものなんですね。蝶になるか蛾になるか。それとも何か別のものか。で、私を使って、神獣さんの望むものにしようとしてますね?」
「……」
ニコニコとしていた神獣さんの顔から表情が消えた。
「何か問題があるだろうか?」
声ひっくっ……。
ここで問題しかないと答えたら、なんだか丸呑みにされそうだ。私はスン、と黙った。
「貴女は元の世界に戻れる。我が友は力を得、私は我が半身を取り戻す。貴女の語る物語のように、めでたしというわけだ。ふむ、なるほど。決心がつかないか。では一つ、夢を見るのはどうか」
とん、と神獣さんが私の額を指で軽く弾いた。
*
「あら、どうしたの?」
ぱちり、と目を開ける。
そこは私の家の。自宅の。
……母がいる、リビングだった。
これ書きながら釣りバカ日誌1を観ていたんですが、これをイドラ殿下のお庭で語った場合大ウケするな、と思いました。妖精さんたち、こう正体を隠した男同士の友情とか大好きでしょうよ。




