27、冬ながら空より花の散りくるは
皇太后は一人王宮を進んでいた。長いドレスを両手で掴み、できる限り速足で進む。向かうのは先代国王が寝室に使っていた部屋だ。死後は誰も入らぬようにとザビヤ自身が厳命し、掃除をする使用人もいない。けれど埃まみれにならないのはザビヤが日々通っているからだ。
現王タリムはそれを父への愛情、あるいは未練だと考えていた。
けれども違う。そうではない。
大股で進み、扉を開ける。
「ごきげんよう、皇太后陛下」
「……」
そこに本来いるはずのない令嬢がいた。ザビヤは扉の前で立ち止まったが、動揺する素振りは見せずにそのまま部屋に入り、後ろ手で扉を閉めた。ぱたん、と小さな音。部屋の中は明るく、何年も開けられていなかったカーテンが折られ、外の雷の光を届かせた。
「その小娘につくと言うのですか」
「やぁ、皇太后。お前の人形遊びに付き合う道楽と、この娘のものを語る口を聞く夢のどちらがより好ましいかなど、私は競い合わせるつもりはないが、なに、成り行きというやつだ」
「所詮は獣か」
皇太后はあえて神獣を侮辱するような言葉を吐いたが、神獣は気にした様子はなかった。人間が虫の音に意味を見出さぬのと同じこと。
「この絵を見に来たんですよね。私が燃やすと思ったわけじゃないでしょうけど、大事なものだから」
神獣の前に進み出て、アザレア・ドマの顔をした娘が口を開いた。ザビヤはこの娘が自分と同じであることを見抜いていた。
姿かたちと、中身が別なのは、己だけではない。
「皇太后さまもご存じの通り、私は物語をしています。ものを語って、イドラ殿下を治療している女であると、そのように自己紹介させていただきましたね。なので、物語というものは私の得意分野であるとご理解いただけると思います」
「……」
「悪魔と神獣さんが私に求めたのは、昔々の出来事のつじつま合わせでした。女性が二人、子供を産んだ。今、生き残っている女性は一人。いったい過去に何が起きたのか。それを私にもの語らせて、イドラ殿下を「何者か」と定義しようとしているそうなんですが。そのオマケと言っては何ですけれど、一つ、よろしいでしょうか?」
お茶会にちょっとだけ足りない品があったのを指摘するような、無遠慮でそして容赦のない口調だった。ザビヤが止めてもこの娘は話を続けるだろう。ザビヤは娘の背後にある肖像画を見た。
金の髪の踊り子の絵だ。
先代国王の寝室に飾り続けられている肖像画。
一度目を伏せ、ザビヤはついにこの時が来たのかと観念した。
「あなたの本当の名前はサラ。踊り子のサラで、それは別にそんなに驚くことでもないのですが、それじゃあサラとして死んだ女性は誰だったのか。彼女こそ本当にザビヤ様、ではなくて。―――先代国王様ですよね?」
「あの死にざまは本当に笑えたわ」
にっこりと、ザビヤ。の、体を今日まで動かし続けてきたサラは微笑んだ。
古い記憶。
かび臭い地下牢にて、ザビヤが、サラの愛しいザビヤが腹を割いた。サラが魔獣を産まないようにと、自分の子供が先に生まれてくればいいと、そう考えた、あまりに愚かな子。貴族の娘。周囲に愛され大切に育てられた美しい黒髪の娘。サラはこんなに可愛らしい生き物が存在するのかと、彼女を初めてみた時に、自分はおとぎ話の国に迷い込んでしまったのかと疑った。
流れの踊り子風情が、大貴族のご令嬢の傍に近づく事など、本来不可能だった。だからサラはありとあらゆる手を使って、具体的には色々な男のベッドにもぐりこんで、ザビヤの前で踊る機会を得た。
ザビヤが皇后になると聞いた時、無理やり攫って行かなかったのは、サラはザビヤに旅人の過酷な生活は耐えられないとわかっていたし、彼女は真っ白いリボンや香水、宝石に囲まれているべきだと思ったからだった。それがいけなかった。
好色な国王はザビヤという素晴らしい女性を妻にしながら、彼女の魅力に全く気付かない愚物だった。しかしサラは国王がザビヤに無関心ならそれはそれでよかった。彼女の傍には自分がいればザビヤは幸せに微笑んだ。
「ザビヤを治療してと、私は悪魔に願ったけれど、遅かったのよ。乱暴に自分の腹を割いたザビヤは私が願い終わる前に死んでしまっていた」
あと少し、数秒、ほんのわずかに早ければ救えた命を救えずに、サラは檻の中で泣き叫んだ。ザビヤの腹から引きずり出された赤ん坊は泣かず、代わりにサラが泣いた。悪魔は「おやおや、お気の毒に」とまったく気の毒に思っていない顔で「お悔やみを」などと言ってきた。
なのでサラは願いを変えた。
自分がザビヤに成り代わり、そして、自分の代わりはあの憎い男が成るように、と。




