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2、夏は日向を行け、冬は日陰を行け


「……」


 いったい何が起きているのか。

 私には何一つわからなかった。


 今日は、いつもと変わらない日のはずだった。朝起きて、仕事に行くために準備をして、ごみを出そうと玄関の前にごみの袋を持って行って、靴を履いて、そして、ドアを開けようとしたところで立ち眩みがした。


(そして、気が付いたら……知らない人になっていた)


 最初は夢だと思った。寝る前にスマートフォンでファンタジー小説を読んでいたから、それで、起きたと思ったら実はそこから夢を見ていて、まだ夢から覚めていないのだとばかり思った。


「アザレア・ドマ!!!!貴様はこの一年、この私、ロバート・グリンの妻としての務めを果たすどころか……男を引きずり込み淫蕩にふけった挙句……私の友人であるレディ・フレデリカを誹謗し、暴力を振るったな!!」


 目を開けたら、体中が痛かった。

 両腕を後ろで掴まれて、身動きが取れない状態にさせられていて、そして、自分の目の前にいるのは茶色い髪の青年。何か喚いていて、こちらに敵意を投げつけてくる。


 言われている言葉の意味がわからなかった。アザレア、というのは自分のことだと言うが、私にはそれが自分だという実感がない。たとえば物語の主人公、転生した主人公は自分に前世の記憶が戻った時に、それでも自分が「今は〇〇」という自意識があった。


 けれど私は……。


(……名前が、思い出せない)


 アザレア・ドマでない拒絶感だけはある。けれど、日本人である自分の意識はあるのに、自分の名前が、少なくても二十年以上、他人に呼ばれ、自分で何度も書いて口にしてきたものが、名前の頭文字も出てこない。


「私じゃない!!」


 けれど何か言わなければと、私は焦った。そして叫んだ途端、頬を殴られた。


 これまで生きてきて、他人に殴られるようなことはなかった。殴られなければならないことをしたことがないし、私を殴る必要があるような人もいなかった。けれど目の前の、私を殴った青年、私のことを妻だとかいう男は、私を殴る権利が自分には当然あるのだという顔で私を見下ろす。


 その夫とかいうロバートの隣には、ほっそりとした、可憐な花のような銀髪の美しい女性がいる。か細く震えながら私を見て、ショックを受けたように目を伏せた。


「アザレア様……!わたくし……わたくしが、至らないばっかりに……きっとご不興を買ってしまったのです……!」

「フレデリカ!心優しい君が誰かに何かするわけがないだろう?アザレアは君のように美しい心を持っていないから、君のする何もかもが妬ましいんだ。君が微笑んでいるだけで私は幸せな気持ちになれるが、アザレアは人の不幸でしか楽しみを見出せないような愚か者だ」


 ロバートはフレデリカとかいう女性を慰めるように、肩を抱き、目じりに浮かんだ涙を指でそっと拭った。距離が近い。


 ……私はピーンと来た。


 この痛みは夢とは全く思えないが、だからと言って夢じゃないとも言えない。夢か現実か、それは今はどうでもいいことだ。

 問題は、今この状況。修羅場で、そして、私が詰んでいるということだ。


 言っておくが、私はアザレアという女性じゃない。けれど、視界にちらつく赤い髪。私の体よりも大きな胸。そして、ドレス。私はアザレアの体に入っているらしい。夢かもしれないが。夢でも今、覚めることが出来ていないなら、夢でも現実でも大差ない。


「ふむ、なるほど……グリン伯爵には常々、夫人の素行の悪さを聞かされていたが…………この状況でまだ、己の罪を認めぬとは……」


 屋外の、ガーデンパーティーでもしていたのかという場所が舞台で、新たな登場人物。頭に王冠を被った、威圧感のある人物。黄金の髪を持つ、一目で「王様か何かですか」とわかる人物が、私を見て目を細める。


 状況把握。

 王宮かどこか、王様がいてもおかしくない場所の、何かのイベント会場でアザレアのこれまでの罪とあれこれが断罪された。

 アザレアはノコノコやってきて、そして拘束されて罪を突きつけられている。


 状況が詰んでいる。


 ここから入れる保険はないだろう。


 私はがくっと、頭を下げた。そしてそれを観念したと、王様の登場で悔い改めたのだと、王の威光を称える貴族たちの賞賛を聴きながら、私は声を震わせて、アザレアの夫のロバートの名を呼んだ。


「なんだ。今更、命乞いでもするのか」


 死刑にでもなるのか。

 不貞と殺人未遂は、確かにその可能性もあるかもしれない。

 私がしおらしい様子を見せたので、ロバートは「悲しむ女の顔を見てやろう」とでもいうように近づいてきた。ぐいっと、私の髪を掴み、自分の方を向けさせる。


 後ろを掴んでいる力がわずかに緩んだ。


 ので、私は全力で、全身の筋力をありとあらゆる方向に働かせ全身全力で、ロバートの股間を蹴り上げた。


 上がる絶叫。

 くずれ落ちるロバートの体。咄嗟に主人に駆け寄る後ろの男たち。


 私は素早くヒールを脱ぎ捨て、走り出した。


 貴族のご婦人たちがヒールでも歩けるようにと芝生で柔らかく整えられた地面、走りやすい!!!!


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