犬にならないか?
「ちょ、ちょっと……」
面接会場であるコロッセオから暫くシスターにずるずると引き摺られたセツナは、彼女の体を強く押してどうにか拘束から逃れる。
「いい加減放して下さい!」
「おや、念願のおっぱいの感触を味わえたのにつれないね」
「何がおっぱいですか!」
自分の胸をしたから持ち上げるようにして不敵に笑うシスターに、セツナは彼女の胸を指差しながらハッキリと断言する。
「そんな硬いおっぱいがあるわけないでしょう!」
「…………バレたか」
セツナの指摘に、シスターは握りこぶしを作って自分の胸を拳で叩く。
するとカンカン、といった甲高い音が響き、シスターはニヤリと笑ってみせる。
「まっ、ご覧の通り中に鉄の胸当てをしてるわけだが、別に胸を触られるのが嫌で付けてるわけじゃないぜ」
「……どういうことですか?」
「単純な話さ。こう見えてこの街は危険が多くてな。ダンジョン内から魔物が湧き出ることもあるし……」
シスターはくるりと回って自身の体を抱くと、怯えるように表情を曇らせてセツナのことを見やる。
「そもそもここにいるのは、腕に覚えアリのヤバい奴等ばかりだからな」
「……僕は違いますよ」
「何言ってんのさ」
シスターは表情を一転させて、カラカラと軽快に笑い出す。
「あんたさっき、あたしの質問に何て答えようとしたのか忘れたのかい?」
「……何でしたっけ?」
「とぼけても無駄だよ。他の奴が遺産を見つけたらどうするって質問だよ?」
シスターは音もなくセツナに忍び寄ると、他の者に聞こえないように耳元で囁く。
「お前あの時、遺産を見つけた奴を殺してでも奪うって答えるつもりだったろ?」
「うくっ……」
「フッ、図星だろ?」
ニヤニヤと聖職者にあるまじき下卑た笑みを浮かべながら、シスターはセツナの背中をバシバシ叩く。
「セツナっていったっけ? あんた、あたしに心から感謝しなよ?」
「……どういう意味ですか?」
「各ギルドは『黄昏の君』の遺産を手に入れるまでの、暫定的な協力関係を結んでいるんだよ。だから遺産を見つけた奴を殺すなんて言ったら、未来永劫ギルドに所属できなくなっただろうね」
「んなっ!? では、それを知ってて僕にあんな質問をしたのですか!?」
「ハハハッ、ゴメンよ。お姉さん、ちょっとお茶目しちゃった」
シスターは人相の悪い顔を歪めてウインクすると、可愛らしく舌をペロリと出す。
「…………」
「ハハハッ、そんな死んだ魚のような目で睨まないでくれ。照れるじゃないか」
セツナの無言の講義に全く動じる様子のないシスターは、大口を開けて声を出して笑う。
「…………ヒーッ、ああ、可笑しかった」
ひとしきり笑ったシスターは、溢れてきた涙を拭いながら茫然自失のセツナに改めて向き直る。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
「本題って……まだ僕に用があるのですか?」
「まあ、そう邪険にしなさんな。これでも前途ある若者の将来を潰した者として、多少なりとも責任を感じているのだよ」
ニヤニヤと、とても責任を感じているとは思えない態度を見せているシスターは、懐から巻きたばこを取り出して慣れた手つきで火を点ける。
「聖職者がたばこを吸うのですか?」
「変か? 別にどの戒律書を見ても『汝、たばこを嗜むべからず』なんて書いてないぜ」
「…………屁理屈を」
「カカッ、正直に生きているだけだよ。人は誰だって自分には甘いのさ」
セツナに睨まれても全く悪びれる様子を見せないシスターは、たっぷり時間をかけて紫煙をくゆらせると「フーッ」と彼方に向かって煙を吹き出してから話を切り出す。
「セツナ、あんた私の下で教会の犬になる気はないかい?」
「嫌です」
シスターからの誘いを、セツナは間髪入れずに断る。
「僕は冒険者になるためにここに来たのです。教会の犬になるために来たわけじゃない」
「今さっき不合格になったばかりなのに?」
「うぐっ、で、ですが、また挑戦すれば……」
「言っておくが、一度不合格になった者は、一年は次の挑戦はできないぞ」
「はぐぅあ!?」
どうにかしてオフィールの街で食いつなぎ、来週にでも何食わぬ顔で再び面接を受けようと思っていたセツナは、がっくりとその場に崩れ落ちる。
「まあ、そう気を落とすな」
崩れ落ちたセツナの肩をポンポン、と叩きながらシスターは歌うように話す。
「大方、田舎から出て来る時、絶対に冒険者になるからと、片道分の金しか持ってこなかったんだろ? そして、このままだと今日の宿すらままならない」
「……そこまでわかっているから、僕に犬になれと?」
「そういうことだ」
シスターは「フーッ」と紫煙を吐き出すと、たばこの先端をセツナに向ける。
「教会で働けば少なくとも飢えずにすむし、屋根のある寝所も約束しようじゃないか。給金も払うし、活躍次第ではギルドからスカウトが来るかもしれんぞ」
「…………」
「何、気楽に構えてくれて構わんよ。決して悪いようにはしないさ」
そう言ってたばこの代わりに差し出されたシスターの手と、彼女の顔をセツナはぼんやりと眺める。
シスターの顔は相変わらずニヤニヤとまるでこちらを見下しているようで、この人物が本当に聖職者かどうか疑いたくなる。
だが、よく見れば人相こそ悪いものの、シスターの顔立ちはとても整っており、黙ってしおらしくしていれば、かなりの美人なのではないだろうか?
それに鉄の胸当てで隠されているが、シスターのスタイルも決して悪くない。
(性格は最悪だけど、こんな美人とひとつ屋根の下で寝食を共にするのは…………悪くないかも)
脳内であれこれと思案したセツナは、ゆっくりと手を伸ばしてシスターの手を取る。
「わかりました。でも、あくまで僕が冒険者ギルドに所属するまでですからね」
「構わないぜ。それまでよろしくな。セツナ」
「はい、えっとその……」
「レオーネだ」
シスターはセツナの手をぶんぶんと激しく上下に揺さぶりながら、犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。
「私の名はレオーネだ。精々、犬としてこき使ってやるから覚悟しろよ、セツナ」
「……望むところです」
舐められてはならないと、セツナもまたレオーネに負けないように笑い返した。