女の子の前でなければ
朝食後、レオーネからダンジョンに向かうようにと命じられたセツナは、クエストを受注するためにコロッセオへと向かった。
「ほら、今日の仕事だ」
セツナの顔を見たリードは、喉の袋を膨らませながら紙片を取り出す。
「今日はいつもより深いぞ……やれるか?」
「そうですね……」
セツナは紙片を受け取ると、サッと目を通してみる。
「なるほど、今日は三階層……ですか?」
「ああ、セツナがこれまで潜った最も深い階層は二階層だろ?」
リードは額に浮かんだ脂汗を手拭いで拭うと、申し訳なさそうに頭を下げる。
「セツナにはもっと経験を積んでから頼むべきで、本来なら別の犬の仕事になるはずだったのに……」
「構いませんよ」
心底申し訳なさそうに恐縮するリードに、セツナは特に気にしていないと小さくかぶりを振る。
「どうせいつかは潜るんです。それが少し早まっただけですから」
「そうは言うが、こんなに早く三階層に行けというなんて……」
普通ならありえないことなのか、リードは苛立ちを露わにするように自身が座るテーブルに拳を叩きつける。
「今日に限ってセツナ以外の犬の誰もが出られないなんて、そんな馬鹿な話、あってたまるかってんだ!」
「はぁ……」
どうしてリードがそんなに怒っているのかわかっていないセツナは、気のない返事を返す。
セツナのほかに一体どれだけの教会の犬がいるかは知らないが、それでも毎日ダンジョンに潜らないで済んでいるのは、他にも彼と同じ仕事に従事している人物がいるからだ。
特に深い階層は魔物の脅威の度合いが上がるだけでなく、構造も複雑で見えない罠の数も格段に多いので、経験が浅い者では探索すらままならないほどだった。
故に、三階層以降の死体回収の依頼はもっと先になると聞いてはいたセツナは、純粋に疑問に思ったことを聞いてみる。
「あの……何かあったのですか?」
「何か? あ、ああ、そうだな……セツナには知る権利があるな」
全く動じた様子のないセツナを見て少しは冷静になれたのか、リードは眉間をもみほぐして大きく息を吐くと、何があったのかを話す。
「実はここ最近、仕事を辞めたいと言って田舎に帰る奴が多くてな」
「……主に男の人が、でしたっけ?」
「知ってたのか!?」
「たまたまです」
今朝方アウラから聞いた話を再び聞くことになるとは思わなかったセツナは、薄く笑って肩を竦めてみせる。
「ということは、その帰った者の中に?」
「ああ、ベテランの犬がいたんだ」
「ベテラン……」
「おいおい、どんな仕事にだって、そりゃベテランの一人や二人ぐらいはいるだろうが」
心外だと謂わんばかりにのど袋を大きく膨らませたリードは、ぬめっと光る指を一つ立てて諭すように話す。
「セツナはまだ新米だから知らないだろうが、一人でダンジョンの奥に潜れる犬の存在は、とても貴重なんだぞ!」
「わ、わかりましたから、そんなに怒らないで下さい」
先程の態度は自分でも悪いと思ったセツナは、恐縮したように何度も頭を下げてリードに謝罪する。
「それで、どうしてそのベテランの犬の人は仕事を辞めてしまったのですか?」
「それなんだがな……わからないんだ」
「えっ?」
「だから、わからないんだよ。俺も長いことあいつと組んで仕事をやっているが、あんな顔をした奴を見るのは初めてだったよ」
「……ど、どんな顔だったのですか?」
「一言で言うと、抜け殻だな」
リードは顎を擦りながら、最後に見たベテランの犬の様子を話す。
「心ここにあらずという様子で、何を問いかけても「すまない」と謝るだけで、まともに会話すらできなかったぞ」
「他に気になったこととかありましたか?」
「そうだな……後は、あいつが使っていたはずの仕事道具が、綺麗さっぱり無くなっていたことだな」
「何処かに落としたとか、無くしたという可能性は?」
「それはないだろう」
セツナの予想を、リードはあっさりと否定してみせる。
「当然ながら犬の荷物の中には例のお守りも含まれる。それを無くす時は、大方命も一緒に無くなっているよ」
「それは……確かに」
教会の犬になる者は殆どが自衛能力を持たない非戦闘員だということだから、魔物に襲われないお守りだけは何が何でも死守するはずである。
お守りを無くす時は、命を奪われる時だというリードの言葉は、あながち間違いではなかった。
命よりも大事なお守りを失って尚、生きているどころか五体満足でいるのも不思議な話であった。
全く状況がわかっていないのはリードも同じなのか、頭が乾かないように濡らした布で拭きながら深く溜息を吐く。
「とにかく……そいつは何処も壊れていないのに、まるで何もかも失ったかのような顔で、この街を立ち去っていったよ」
「それは他の去って行った冒険者たちも?」
「同じだと聞いている……全く、一体全体なにがどうなってやがるんだ!」
理不尽な状況に、リードは再び苛立ちを露わにするように机に拳を叩きつける。
「なあ、セツナ。今回のクエスト、流石に今のお前さんには無理なんじゃないのか?」
「でも、僕がやらないと、他にやる人がいないのでしょう?」
「それは……そうだが」
「では、やります」
不安そうな顔をするリードに、セツナは力強く頷いてみせる。
「先程も言いましたが、どうせいつかは潜るんです。それがたまたま今日だった。それだけですよ」
「セツナ……」
セツナの決意の言葉を聞いたリードは、感極まったように瞳をウルウルとさせる。
「お前さん、女の前じゃなければ本当に男前だよな」
「……放っておいて下さい」
そんなことは重々承知しているのか、セツナは唇を尖らせて「それより地図を下さい」と笑い続けるカエルに手を差し出した。
※
クエストに必要な道具を受け取ったセツナは、リードからの励ましを受けてダンジョンへと向かって行く。
その威風堂々たる背中を、ジッと眺める者がいた。
「…………ふ~ん」
「ミリアムさん、お待たせしました」
クエストカウンターが見える場所で待機しているミリアムの下へ、道具屋で回復ポーションを買ってきたアウラが駆け寄って来る。
「どうしましたか?」
何かを見つめている様子のミリアムに気付いたアウラが、彼女の視線の先を追う。
「あっ、セツナ君。今から仕事なのかな?」
「そうみたいね。今日は三階層まで潜るみたいよ」
「えっ、もう?」
まだ一階層しか潜ったことのないアウラは、去っていくセツナの背中を見て感嘆の溜息を漏らす。
「凄いな……私も、もっともっと頑張らないと」
「フフフ、そうね。一緒に頑張っていきましょう」
アウラの声に笑顔で応えながらも、ミリアムは最後までセツナの背中を見つめ続けていた。