気遣い上手の勇者様
改めてジンに今日の詫びと礼を言ってから、セツナたちは『猟友会』のホーム、ユグドラシルを後にした。
教会がある地区と比べると緑豊かな『猟友会』の敷地内を歩いているその途中、
「あっ……」
あることに気付いたセツナが声を上げて足を止める。
「どうしたの?」
「あっ、いえ……」
何かあったのかと足を止めて振り返るアイギスに、セツナは少し迷ったが思ったことを口にする。
「そ、その……パンケーキを食べ損ねたと思いまして」
「パンケーキ? ああ……」
そう言われてアイギスも、名物のパンケーキを食べ損ねたことを思い出す。
お菓子作りが趣味なだけに甘い物が相当好きなのか、後ろ髪を引かれるように何度も振り返るセツナを見て、
「もう、しょうがないわね」
アイギスは思わず苦笑を漏らして、彼にある提案をする。
「パンケーキの代わりに、私が何か甘い物を買ってあげるわよ」
「えっ、本当ですか?」
嬉しそうにこちらを振り返るセツナを見て、アイギスは彼に尻尾が生えていたら、きっと勢いよく振っているんだろうなと思いながら頷く。
「任せなさい。この辺はあんまり詳しくないけど、ここを抜ければいくらでもおいしいお店を知ってるから」
「おおっ、凄い!」
目をキラキラ輝かせるセツナを見て、アイギスもつられるように笑顔になる。
何だか食事で気を惹いたみたいであるが、これまでまともにコミュニケーションが取れなかったセツナと、普通に話せることが嬉しかったりする。
「よし、そうと決まれば……」
セツナに対してそんな感情を抱くことになったことに内心驚きながらも、アイギスは何を買うべきかあれこれ考えていると、
「お~い、犬さ~ん!」
後方から、セツナを大声で呼ぶ声が聞こえてくる。
「今のって……」
「まさか……」
声に聞き覚えのあったセツナとアイギスは、顔を見合わせて後方を振り返る。
その瞬間、突風がセツナたちの間を通り抜け、二人の髪の毛と衣服を激しく揺らす。
「キャッ!?」
「おぱっ!?」
突風に吹き飛ばされないように、セツナたちはその場で歯を食いしばって耐えるが、
「……おぱっ、ですって!!」
セツナの発言に不信感を覚えたアイギスは、赤い顔をして彼へと詰め寄る。
「ちょっと、まさかの今の一瞬で、また私のスカートの中を見たっていうの?」
「み、見てないです……」
アイギスの問い詰めに、セツナはいつものように視線を逸らしながら否定の言葉を口にする。
「…………」
もう何度目になるかわからないやり取りに、アイギスは暫く三白眼でセツナのことを睨んでいたが、
「……フッ、まあいいわ」
どうしてか余裕の笑みを浮かべると、腕を組んでニヤリと笑う。
「こんなこともあろうかと、今日履いているのは色気のない黒の見せパンだからね」
「えっ? 僕が見たのは白の……」
そこまで言ったところで、セツナは自らの失態に気付いて口を塞ぐ。
だが、時すでに遅く、アイギスは勝ち誇った顔で素早く手を伸ばしてセツナの両頬を引っ張る。
「このっ、とうとう尻尾を見せたわね」
「ひ、ひひょうへふほ……」
「何が卑怯よ! 散々私のパンツ見ておいて、下手な嘘まで吐いてんのよ」
「ひはひ……ひはひへふ……」
回避しようとしたのに、またしてもアイギスの素早い動きに対応できなかったセツナは、涙目になりながら許しを請う。
「ハハハ、許して欲しい? でも、まだ許してあげない。今後、セツナがくだらない嘘を吐かないと約束するまで許してなんてあげないんだから!」
「ほ、ほんはぁぁ……」
痛みから逃れたいと思うセツナであったが、自分の頬を掴んでいるアイギスの腕を取っていいものかどうかわからず、手を宙で空しく彷徨わせるだけしかできなかった。
すると、
「あの~、イチャイチャしているところ、ちょっといいかな?」
「ひ、ひひゃひひゃ……」
「なんかしてないわよ!」
とんでもない指摘をしてくる声に、セツナはゆでだこのように顔を赤くし、アイギスは犬歯を剥き出しにして怒りを露わにする。
「それで、何しに来たのよ。勇者様」
「ああ、また勇者って言った。ボク、そう呼ばれるのは嫌いなの」
不機嫌な態度を隠そうとしないアイギスに、ファーブニルは唇を尖らせる。
「とにかく、勇者なんて肩書きで呼ばれるのは嫌なの。ボクのことは名前、ファーブニルって呼んで」
「……わかったわよ」
ファーブニルの提案に素直に頷いたアイギスは、改めて彼女に問いかける。
「それで、そのファーブニルは私たちに何の用があったの」
「ああ、そんなこと言っていいのかな~?」
「……何よ、気持ち悪いわね」
「もう、アイギスって本当に口が悪いよね。そんなこと言うとアイギスにはこれ、あげないよ」
そう言ってファーブニルは、籐を編んで作られたバスケットを差し出して蓋を開ける。
一体何だろうと、バスケットの中を覗き込んだセツナとアイギスは、
「「あっ……」」
中を見て揃って声を上げる。
「パンケーキ……」
「これってユグドラシル名物のやつじゃない」
バスケットの中身は、二人がユグドラシルで注文して食べることが叶わなかった名物の五段重ねのパンケーキ、しかもそれが三つも入っていた。
「ふふ~ん、二人共それが食べたかったんでしょ?」
「えっ、で、でもどうして……」
得意気な様子のファーブニルに、セツナが不思議そうに首を捻る。
「確かあの時、パンケーキの注文はできなかったはずなのに……」
「うん、でもね。ボクの耳には聞こえていたんだ」
セツナの疑問に、ファーブニルは嬉しそうに双眸を細める。
「ボクもこのパンケーキは大好きだからね。だから揉め事が起きた時に、代わりに厨房に頼んでおいたんだ」
「そう……だったんですね」
そう言いながらもセツナの視線は、たっぷりと蜜がかけられて艶々と光っているパンケーキへと注がれる。
もう完全にパンケーキの虜になっているセツナを見て、ファーブニルは満足そうに頷く。
「どう? おいしそうでしょ? わざわざ持ってきてあげたんだからボクに感謝してよね」
「するする、ねっ、セツナ?」
「うん……うん……」
喜色を浮かべるセツナたちに、ファーブニルが得意気に白い歯を見せて笑う。
「ね、ね、せっかくだからのんびりできるところ行って、これ食べない?」
ファーブニルからの魅力的な提案を、断る理由はどこにもなかった。