大熊殺しと勇者
「あの人は……」
上半身が裸の大男を見て、セツナはその人物がギルドの面接で見た人物であることを思い出す。
あの場には、各ギルドのギルドマスターが集まっていた。
ということはつまり、
「あの人が……大熊殺しのジン?」
「応よ、そういうお前は、おっぱい坊主だったな」
「お、おっぱい坊主……」
「あれ? 違ったか? まあいい、些細なことだ。ガハハハッ!」
ギルド『猟友会』のギルドマスター、ジンは見た目通りの性格なのか、大口を開けて豪快に笑う。
そうしてひとしきり笑ったジンは、急に真顔になると、
「で、何があった? そこの青い顔をしているライオネスは坊主……お前の仕業か?」
射貫くような視線をセツナに向けて質問する。
「うっ……」
視線だけで人を殺せそうな迫力に、セツナは思わず一歩後退りする。
思わずいつもの癖で嘘を吐きそうになるが、ここで嘘を吐くことは得策ではないと思い、正直にジンに話す。
「はい、僕がやりました」
「そう……か、教会の犬とはいえ、人様のギルドホームで狼藉を働いてタダで済むと思っているのか?」
「思ってません……けど」
セツナは腹部に力を込めると、ジンを真正面に見据えて堂々と話す。
「同じ敷地内で住む人が……一緒にダンジョンに潜ったことがある仲間が馬鹿にされて、黙ってみてられるほど僕は人間ができていないんです」
「何だと?」
セツナの意見を聞いたジンは、周囲を見渡しながらここにいる全員に問いかける。
「まさか、お前たちから客人にちょっかいを出したのか!?」
その恫喝するような問いかけに『猟友会』のギルドメンバーたちは、一様に口を噤み、気まずそうに視線を逸らす。
「お前等……」
回答拒否ともとれる行動に、ジンは額に青筋を立てると、
「答えろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!!」
大声で怒鳴りながら、近くにあったテーブルに拳を叩きつける。
ジンに殴られたテーブルは、破砕音を響かせながら粉々に砕け散る。
「ヒッ!?」
飛び散る破片を最小限の動きで回避しながら、セツナはこの人相手に喧嘩売らなくて良かったと心から思う。
「どうした? 何故答えない。沈黙は俺の好きなように解釈させてもらうがいいのか?」
再びジンが全員に向かって問いかけるが、その質問に回答する者は現れない。
何故ならジンの余りの迫力に、セツナだけでなく後ろに控えるアイギス、さらには『猟友会』のメンバーたちまでもが恐怖に慄き、誰も彼に対して意見を言える状況ではなかった。
「そうか、じゃあ俺の好きなようにさせてもらうぞ」
周囲の状況など露知らず、ジンが好き勝手な采配を振るおうすると、
「はいは~い、ちょっといいですか?」
沈黙を突き破って、底抜けに明るい声が響く。
「ちょっとゴメンね」
直立不動で立ち尽くす『猟友会』のメンバーを掻き分けて出てきたのは、十代と思わしきセツナより一回り小柄な少女だった。
冒険者なのか、動きやすそうなノースリーブのチュニックに白のキュロットスカート、銀髪のセミロングを綺麗に編み上げた可愛らしい少女は、ジンの前へと進み出ると、彼に全く臆することなく楽しそうに話す。
「もう、ジンさん。ダメですよ。また皆、委縮しちゃってるじゃないですか」
「そ、そうか?」
「そうですよ。ジンさん、ただでさえ見た目が怖いのだからキチンとした格好をしないと、また子供に泣かれちゃいますよ?」
「う、うむ、すまない」
少女に諭すように小言を言われたジンは、これまでの迫力が嘘の様に鳴りを潜め、申し訳なさそうに恐縮すると、腰に乱雑に巻き付けてあった上着を羽織る。
「こ、これでいいか?」
「はい、大丈夫です。ようやくギルドマスターらしくなりましたね」
そう言いながらもジンの襟元へと手を伸ばし、皺だらけの上着を適当に直した少女は満足そうに頷くと、本題を切り出す。
「それで、何が起きたかでしたよね?」
「う、うむ……」
「単純な話です。そこのライオネスさんが鮮血の戦乙女のアイギスさんを馬鹿にして、犬さんが下剤を盛って黙らせたのです」
「下剤を盛ってって……どうやってだ?」
「これですよ」
少女はまるで地面を滑るように、足音一つ立てずに移動してセツナが持って来た木箱を手に取ると、中からダイフクを一つ取り出してジンに見せる。
「これです。犬さんが私たちに手土産にって持ってきてくれたお菓子です。これを食べたライオネスさんは、見ての通りというわけです」
そう言って絶望の表情を浮かべているライオネスを一瞥した少女は、口を大きく開けてダイフクを頬張る。
「お、おい!」
下剤が入っていると報告したダイフクをいきなり食べる少女に、ジンが心配するように尋ねる。
「その中には下剤が入っているのだろう?」
「んんっ? ひはひはふほ……」
「何を言いたいのかわからんぞ」
思わず苦言を呈するジンに、少女は「ちょっと待って」とジェスチャーで伝えると、口をもきゅもきゅ動かして咀嚼する。
やがて大きく顎を動かしてダイフクを飲み込んだ少女は、満足そうにニッコリと笑う。
「う~ん、おいしい。この食感と甘さ、いくつでも食べられそうですよ」
「おい、だからその中には下剤が入ってるんじゃないのか?」
「まさか、いくら何でも人に渡す手土産に毒を仕込む人なんていませんよ」
少女はカラカラと笑い声を上げると、呆然と立ち尽くすセツナを指差す。
「下剤はお菓子ではなく、あの犬さんの手の方に塗ってあるんですよ」
「手、だあ?」
「そうです。ライオネスさんがアイギスさんを馬鹿にしている最中に、犬さんは手に毒を仕込んだんです。後は食べ方を教えるふりして、お菓子を手渡せばいいんです……そうだよね?」
「は、はい……」
少女の指摘に、セツナは観念したように右手を広げてみせると、親指と人差し指にだけダイフクの表面にまぶした片栗粉が付着しているのが見て取れた。
つまり、その指の下に何かが……ダイフクに仕込んだ下剤が塗られているのを示唆していた。
「驚きました。まさか初見で僕のこの手を見抜かれるとは思いませんでした」
「ふふ~ん、そうでしょう。だってボク、ずっと君のこと見ていたからね」
少女は再び音もなく移動してセツナの正面に回ると、彼に向かって手を差し伸べながら自己紹介をする。
「ボクの名前はファーブニルっていうんだ。あんまり可愛くない名前だけどよろしくね。犬さん」
「ファ、ファーブニルって……」
少女とは初対面だったが、その名前には聞き覚えがあったセツナは、まさかと思いながら尋ねる。
「も、もしかして君って……色んな人が話してる勇者、ファーブニル……なの?」
「ハハハ、そう言われることもあるね」
セツナの指摘に、ファーブニルは心底嫌そうに乾いた笑みを浮かべた。