ちょっと苦手なあの子
朝食後、セツナは今日の仕事内容をレオーネから聞くため、昨日と同じく教会の礼拝堂にいた。
ステンドグラスから差し込む色鮮やかな光を受けるセツナの目の前には、既にレオーネがいるのだが、
「…………」
彼女は無言のまま、もきゅもきゅと口を動かし続けていた。
「…………ふぁて…………ひふれい」
ようやく口を開いたレオーネであったが、まだ口の中に咀嚼していたものが入っていたのか、謝罪の言葉を口にして再び口を動かす。
そんなレオーネの手には、朝食のデザートとして出された食べかけのダイフクがあった。
ほどなくしてダイフクを大きく顎を動かして嚥下したレオーネは、食べかけのダイフクを見て眉をひそめる。
「これ……美味いけど飲み込むのに苦労するな」
「そうですね。僕の故郷でも、年に何人かダイフクを喉に詰まらせて死人が出ます」
「ちょっ、おまっ……そんな危ない菓子を私たちに食わせたのか?」
「大丈夫ですよ。死ぬのは飲み込む力が弱いお年寄りだけですから」
「そんなこと言ったって、若くたって喉に詰まらせることぐらいはあるだろう」
「その時は、こうですね」
そういってセツナが拳をシュッ、シュッ、とボディーブローを打つ仕草をすると、レオーネは「うげっ」と顔を青くさせて胃の下あたりを押さえる。
「アウラもだけど、お前もかなりの体育会系だな」
「まあ、周りに山しかなかったので」
「なるほどな……」
それだけでセツナがどうやって育ってきたのかを理解したレオーネは、残りのダイフクを一気に頬張って苦も無く飲み込むと、煙草を取り出しながら話を切り出す。
「さて、セツナ。今日の仕事だ」
「また死体回収ですか?」
「いや、今日は違う」
煙草に火を点け「フーッ」と気持ちよさそうに紫煙を吐き出したレオーネは、一枚の紙片を取り出してセツナへと渡す。
「今日はとあるギルドへの配達を頼みたい」
「配達……それだけですか?」
「そうだ。まあ、新しく犬になったお前の顔見せの意味合いもある。楽な仕事だから気軽にやってくれ」
そう言ってレオーネは白い歯を見せて笑うと、セツナに仕事の内容を説明していった。
レオーネから貰い受けた地図を手に、セツナはオフィールの街を歩く。
今日のクエストは、この街で最大のギルド大熊殺しのジンがギルドマスターやっている『猟友会』に、昨日復活して、この街を去ることになった冒険者が置いていった装備品とギルド認識票を返しに行くというクエストだった。
本当に簡単な、それこそ子供でも出来るようなお使いクエストに、楽な仕事で良かったと喜ぶべきか、こんな子供にやらせるような仕事を押し付けるなと怒るべきなのか。
だが、この時のセツナの感情はそのどちらでもなかった。
何故なら、
「ほら、この私が街を案内してあげるって言ってるんだから、感謝しなさいよね」
どういうわけか、セツナがギルド『猟友会』に向かうと聞きつけたアイギスが一緒に行くと言い出したのだ。
昨日のビンタ以降、セツナの中でアイギスに対してある種の苦手意識が生まれていた。
夜目を鍛えるために普段から三白眼にしていたり、足音を立てないように歩いたりと、独特の修練を積んで来たセツナには二つの特技があった。
それは誰よりも早く駆ける逃げ足の速さと、あらゆる攻撃を見切る回避力だ。
故郷の村ではこの二つの特技で無双していたし、オフィールの街に来てからも新人の冒険者相手にも十分通用することは確認できた。
だが、アイギスが繰り出してくる攻撃は、並の冒険者とは比べものにならないほど速く、さらにノーモーションで攻撃を繰り出してくるので、回避が得意なセツナをもってしても完全に回避するのは至難の業だった。
そんな訳でアイギスに対して勝手に苦手意識を持ってしまったセツナであったが、当の彼女はそんなことは気にせずに、楽しそうにオフィールの街の案内をしていく。
「あっ、あそこのお店だけにある発酵させたお茶、とっても美味しいのよね。今度連れて行ってあげるわ」
「はぁ……」
レオーネから地図も貰っているので別に道案内も……何なら街の紹介も要らないと思っているセツナは、アイギスの話が一区切りした時に勇気を出して彼女に話を切り出す。
「あ、あの……アイギスさん、一ついいですか?」
「何? 何か気になるお店でもあった?」
「いえ、そうじゃなくて……」
アイギスの猫のような可愛らしい吊り目から視線を逸らしながら、セツナはボソボソと小さな声で呟く。
「ど、どうして今日は僕と一緒に来るなんて言ったのですか?」
アイギスたち鮮血の戦乙女の面々は、今日のダンジョン探索は休みで、各々自由に過ごしていいことになっている。
実は、ダンジョン探索から戻った後は、中二日開けないと次の探索に挑めないことになっている。
このルールが設けられた背景には、ダンジョン内で死んでも復活できるからと無茶を押して繰り返しダンジョンに潜り、何度も死ぬという行為を繰り返す輩がいたからと、冒険者の数が増え、全員が一斉にダンジョン探索に出かけて無用な混乱と争いが起きるのを避けるための処置であった。
故にアイギスは明日一日かけて次のダンジョン探索に向けての調子を整えれば、今日はオフとして自由に行動できるのだが、どうしてか教会の外でセツナのことを待ち伏せしており、何処かで彼の仕事を聞きつけて自分も一緒に行くと申し出てきたのだった。
初めて行く場所に誰かが付いてきてくれるのは心強いし、非常にありがたいと思う……だが、それがアイギスとなると話が変わって来る。
何故ならアイギスにとって、セツナは二度もパンツを見られた憎むべき相手のはずだからだ。
勝手にそう思いこんでいるセツナは、そそくさとアイギスの間合いから外れながら話す。
「その……別に無理して付いてこなくて大丈夫ですよ」
「はぁ!? 何、この私が一緒に行くことに文句でもあるの?」
「い、いえ、そういうわけじゃなくてですね」
アイギスと一緒より一人の方が断然気が楽だと思うセツナであったが、そんなことを言えばどんな目に遭うかわからないので、必死に頭を働かせてそれらしい理由を話す。
「その……誰かに行くように命令されたのでしたら、僕は一人でも大丈夫という意味です」
「ああ、そう……そういうことね」
苦しい言い訳かと思ったが、意外にもアイギスはあっさりと納得したように怒りの矛を収める。
「私がセツナと一緒に『猟友会』に行くのは、ある人に会うためよ」
「ある人?」
「そう、それは猟友会のナンバーファイブ、冒険者きってのイケメン、炎のライオネス様に会うために決まってるでしょ!」
「はぁ……」
頬に手を当て、うっとりと語るアイギス返答に、てっきり少しは自分の心配をしてくれているものだと思っていたセツナは気のない返事を返すと、いつもの三白眼の死んだ魚のような目になった。