聖女様はあくまで可憐
「――ハッ!?」
暗闇の中、人影が鋭く息を吐きながら飛び上がるように身を起こす。
人影が首を巡らせると、ガサガサと乾いた音が響き、続いて「ヒヒーン」と馬が嘶く声が聞こえてくる。
他にも闇の中で蠢くような獣たちの声を聞いて、人影はここが寝泊まりしている厩の中であることを知る。
「…………ああ、最悪の気分だ」
昨日の出来事を思い出した人影……セツナは暗闇の中で大きく嘆息する。
憧れの地、オフィールへとやって来て冒険者になるために面接を受けたのに、一人のギルドマスターによる私怨で不合格にされるとは思わなかった。
半ば騙される形でレオーネの下で働くことになり、連れて来られた教会は女子だらけの男子禁制の館だった。
男子なら誰もが憧れるようなシチュエーションではあっても、女性に全く免疫のないセツナにとっては身に余り過ぎた。
しかも、元々セツナが来る予定がなかったため、彼の部屋の用意がないというおまけ付きだった。
一応、年長者であるレオーネとカタリナがセツナの同室の許可を出してくれたのだが、その提案に容易に乗れるほど彼は勇者ではない。
さらに言えば、アイギスからの凄まじい圧と、何とも言えない表情を浮かべたアウラの手前、少しでもカッコつけたいと思ったセツナは、自ら進んで厩で寝泊まりすると宣言したのであった。
「もし、僕に勇気があったら……」
レオーネとカタリナ、そのどちらかと一緒に寝たりして、あわよくばおっぱいの一つや二つ揉ませてもらえたのだろうか?
昨日、僅かに肘に感じたカタリナの胸の感触を全力で思い出し、両手を虚空でわきわきとさせながら立ち上がったセツナは、自分の感覚を頼りに真っ暗闇の厩の中を歩く。
その歩みは、一切の迷いがなかった。
アイギスには馬鹿にされたが、普段から三白眼で過ごしているセツナは常人より夜目が鍛えられており、さらに一度立ち入った空間をくまなく記憶するように仕込まれているので、こういった暗闇での行動はお手の物だった。
一切の迷いなく壁際まで歩いたセツナは閂を外すと、力を籠めて木製の窓を押し開ける。
「んん~っ!」
朝日を受けて大きく伸びをしたセツナの顔は、相変わらず爽やかさとは程遠い眠そうな三白眼であった。
見る者が見たら驚愕するであろう離れ業を難なくやってのけたセツナは、開け放った窓枠にもたれて朝の心地良い風に身を任せる。
「……そういえば、朝食はどうするんだろう?」
昨日は沢山の女性に囲まれて緊張が限界に達したこともあって、レオーネにされた話の殆どが頭に入っていないが、今日から食事の準備もセツナがすることになっていたのは覚えている。
一通りの家事は全て叩き込まれているので、朝食を作ることは全く問題ないのだが、教会に入るための鍵を貰っていないので、誰かが起きて来るまでここで待つしかなかった。
「……とりあえず、誰か起きて来るまでのんびり待とう」
こちらからアクションを起こすことを早々に諦めたセツナは、再びやって来た朝のまどろみに身を任せようとすると、
「あれ、セツナ君?」
「――っ!?」
教会の方から可愛らしい声が聞こえ、彼の意識が一気に覚醒する。
弾けたようにセツナが顔を上げると、ピンクブロンドの美少女が笑顔で手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。
「おはようセツナ君。もう起きてたんだ」
「えっ? あっ、うん……と、その……おはよう…………アウラ…………さん」
「フフフッ、そんなに畏まらなくていいよ。私たち、そんなに年変わらないんだからさ」
「で、でも……アウラさんの方が年上だし」
夕食を食べながら自己紹介した時に、アウラの方がセツナより一つ年上だったことは聞いた。
田舎の男社会で生きてきたセツナにとって年功序列は絶対で、たった一つとはいえ、そう易々と話し方を変えることは難しかった。
「う~ん、そっか……」
セツナの様子から無理強いは良くないと察したアウラは、安心させるように下から覗き込むようにして笑いかける。
「じゃあさ、慣れて来たら少しずつでいいから喋り方を変えて欲しいかな? いい?」
「う、うん……」
「約束だよ」
キョロキョロと視線を彷徨わせて不審者さながらに返答するセツナに、アウラはコロコロと笑って彼へと手を差し伸べる。
「そういやゴメンね。中に入れなくて困ったよね? 今日は私も一緒に朝食を作るから行こう」
「う、うん…………わかりました」
顔を赤くさせたセツナは緊張した面持ちでどうにか頷くと、踵を返して厩の出口へと向かう。
「今そっちに行きますから、ちょっと待って下さい」
残念ながら窓から飛び出して、アウラの手を取る勇気はなかった。
その後、セツナはアウラと一緒に顔を洗った後、水を汲んで来て朝食作りへと取り掛かる。
「さて……」
昨夜、アイギスとミリアムの二人が忙しなく動いていた教会の台所に立ったアウラは、近くにあったトマトを手に取ってセツナに尋ねる。
「これから朝食を作るわけだけど……セツナ君、何か作れる?」
「えっ? あっ、そ、その……一通り何でも作れます」
「本当!?」
料理が得意だと聞いたアウラは、目をキラキラさせながらセツナへと詰め寄る。
「実は私、料理って今までしたことなかったの。だからよかったら、私に料理の仕方も教えてくれないかな?」
「わ、わかりました」
とりあえず簡単にできるスープを作ることを提案したセツナは、アウラに野菜の下処理の仕方を教えてお願いする。
「わかった、任せて」
快活に笑って頷いたアウラは、ペティナイフを手に先ずは芋の皮むきへと向かっていく。
「…………」
危なっかしい手付きながらも、言われた通りにナイフを走らせるアウラを見て、セツナも自分の作業へと戻る。
(それにしても……)
今まで料理をしたことがないと聞いて、アウラはどんな家に住んでいたのだろうと思う。
両親ともに冒険者だったセツナは、幼い頃から何でも自分でできるようにと家事全般を叩き込まれ、ここ数年は家のことはセツナ一人でやっていた。
それはあくまでセツナのためであって、決して自分たちが楽をしたいから息子に家事全てを押し付けていたのではない……そう信じたかった。
ひっそりと故郷での出来事を思い出し、セツナが少し感傷に浸っていると、
「あ、あの……セツナ君」
芋の皮むきをしていたアウラが遠慮がちに声をかけてくる。
「その……実は困ったことになって」
「えっ?」
その一言で我に返ったセツナは、ハッ、として顔を上げる。
(もしかして、誤ってナイフで手を切ってしまったのかな?)
考えごとに耽って初心者への気配りを失念してしまったことに、セツナは後悔しながらアウラへと目を向ける。
「そ、その、大丈夫ですか? どれぐらい切ってしまいました? 深さは?」
「あっ、大丈夫。ナイフで手を切ったわけじゃないから」
アウラは何処も怪我していないことをアピールするように、両手を広げてセツナへと見せる。
では、一体何事かと首を捻るセツナに、アウラは目線を下げて何が起きたかを白状する。
「その……皮を剥こうとした芋が、なくなっちゃったの」
「えっ?」
そんな馬鹿なと思いながらも、セツナは何が起きたかをアウラへと確認する。
「芋がなくなったって……どうやって?」
「うん、見ててね」
そう言って再び芋を手にしたアウラが、緊張した面持ちでナイフの刃を芋へと当てる。
息を止めて集中したアウラが、芋本体へ刃を滑らせようとすると、彼女の手の中にあった芋がグシャッ、と音を立てて爆発四散する。
「ねっ? ちょっと力を籠めただけで芋がなくなっちゃうの……どうしてだと思う?」
「えっと……」
顔に芋の破片を貼り付けて不思議そうに小首を傾げるアウラを見て、セツナはどう回答したものかと思ったが、
「えっと……とりあえず今日は僕がやるので、アウラさんは見ててください」
アウラが皮むきを覚える前に全ての芋がなくなると判断したセツナは、ひとまず今日のところは見ることに専念してもらい、後日改めて料理を教えることを約束した。
(アウラさんって見かけによらず力持ちなんだな)
可憐な見た目に反して、芋を握り潰すくらいの握力があることに感心したセツナは、手早く朝食を用意し、どうにか他の者が起きて来る前に全ての用意を終えるのであった。
途中、何度かアウラから話しかけられたセツナは「あっ、うん」ぐらいの単調な返事しか返せないほど緊張の極みにいたが、その時間は彼にとってかけがえのない至福の時間であった。
そして、女性に免疫のないセツナがある考えに至るのは必然であった。
(もしかして、アウラが優しくしてくれるのって僕のことが好きだからかな?)
これまで碌に異性との交流がなかったことと、他の出会った女性の印象が悪かったこともあり、アウラにちょっと優しくされただけで、セツナが彼女のことを特別視してしまうのも無理のない話だった。
当然ながらそんなうまい話があるはずもなく、食事中、アウラ以外の女性から奇異の目線を送られても全く気付かないほどセツナは舞い上がっていた。