1.王子の願望
「だめだ」
静まり返った執務室に静かな一言が響いた。
「父上、なぜですか?」
気持ちが抑えられず、彼は聞き返した。
駄々をこねるような問いかけに王は少し頭痛を感じ、こめかみに手をあてて、
「なぜ?と聞くのか?」
と問い返した。
一瞬言葉に詰まった様子を見せるが、彼はひるまずに続けた。
「はい、なぜ婚約を破棄できないのでしょうか。白紙にすることすらだめなのですか?」
はぁ~というため息と共に、蔑むような視線を送る。
「その程度のことも判らないほど呆けてしまったのか?」
「どういう意味でしょうか?」
「判らぬのならば考えよ。何の為の婚約なのかを」
「・・・」
彼は何とも言えない表情をしながら何か言おうとしていたが、あきらめたように言葉をのんだ。
そのまま執務室から静かに肩を落としながら退出していった。
「どう思う?」
執務室に残されたマニスタン王国 国王であるロベルトは隣に立つ側近に訪ねてみた。
「不敬を承知で意見を申し上げても?」
「よい、思うままを話してくれ」
側近は片方だけ眉を上げたが
「では、アルベルト殿下に置かれましては少々ご病気かと」
ロベルト王は頬杖を突きながら続きを促す。
「真実の愛を見つけた、という病気ですね。若くて身分が高いほどかかりやすい。
ですが、執務室に伺いを立ててから来るあたり、まだ初期症状かと思われます」
話しながら側近ジルベルトはくすっと笑ってしまった。
「初期症状か・・・」
ロベルト王もつられて微笑んでいる。
「では症状がひどくなる前に手を打たねばならんな」
頬杖を突きながら王がつぶやく。
しばらくの静寂の後、
「明日の朝一番に宰相、外務大臣、財務大臣を集めてくれ」
そう言って王は執務に戻った。
ジルベルトは胸に手を当て礼をするとすぐさま明日の準備をしに部屋を出て行った。
次の朝、学園。
「殿下、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
学園の入り口で側近候補達からの出迎えを受けたアルベルトはそのまま王族用のサロンへ向かう。
「殿下。王のお返事はいかがでしたか?」
騎士見習のバッツが歩きながら聞いてくる。
ちらりとその顔を見たアルベルトは深いため息を吐いた。
「サロンで話す」
「アル殿下、おはようございます」
声をかけたのは婚約者の侯爵令嬢エレーナ・ハイルトバルト。
「あぁ、おはよう」
昨日の出来事に少し罪悪感を覚えつつ挨拶を返す。
「本日は王妃様からお茶に誘われまして、午後から王宮にお伺いいたします。
殿下はどうされますか?」
王妃に誘われたのだから一緒に王宮に戻るか?と聞かれているのだろう。
ちょっと間が空いてしまったが、
「いや、今日はあいにく予定が入っているからな、レーナは母上と楽しんでおいで」
何とか笑顔を張り付けて返事をした。
「まぁ、予定が、そうですか、残念です。
最近はご一緒にお茶をすることができませんでしたので、寂しいですが行ってまいります」
少しつり目気味の目を伏せて寂しそうに微笑みながら淑女の礼をしてエレーナは立ち去って行った。
「ふんっ、とんだ淑女だ」
バッツが立ち去る後ろ姿に吐き捨てる。
「やめろ、バッツ」
側近候補の一人、伯爵令息カルーセルがバッツを止める。
「なぜだ、あの女はベスを泣かせたんだぞ?」
「そうだとしても、サロンまで我慢しろ、ここでは誰が聞いているかわからん」
そういってあたりを見渡すが、近くにはまだ学園の生徒はいなかった。
サロンに近づくと入り口に一人の少女が立っているのが見えた。
少女はアルベルト達に気が付くと嬉しそうにこちらへ走ってきた。
学園の制服は動きやすいように普通のドレスよりくるぶしが見える程度に短くなっている。
少女は脛が見えるほど足を上げて走っているため、アルベルト一行は少し顔を赤くしつつ目が離せないでいた。
「アル~、おはよ~」
少女がアルベルトに駆け寄って腕に絡みついた。
「おいおいベス、俺たちもいるぞ」
バッツが羨ましそうに少女に話しかける。
「あら、バッツおはよ!」
ベスと呼ばれた少女はアルベルトから体を離すとバッツの腕をそっと握った。
「ベス、おはよう」「やぁベス」「おはようベス」
アルベルトの側近候補達が口々に声をかける。
「おはよ」
少女はそんな少年達に挨拶を返しながら一人一人にそっと触れていく。
「さあベス、サロンにいこう」
アルベルトが促し、少女を中心にサロンに入っていった。