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蛍の光

「……この時期は蛍が見頃だ」


 低く響く声で祖父がそう呟いたのを耳にしながら目の前にある焼き魚から骨を丁寧に取り出す。先日離婚調停が終わりさよならバイバイした両親はしかしその後の人生で人間の子供という養うには途方もない出費を強いるペットを一番時間的経済的余裕があるであろう父の父に預けた。

 

 今頃は自分でお世話してあげられなくて申し訳ないという自己陶酔的な慰めをしながら第二の人生を謳歌しているのだろう。俺はこれまでの人生で接した事のない人種との邂逅で大変だというのに。


「そうなんですね」

「……その薄気味悪い喋り方をするな」

「はい……」


 ……こんな会話を楽しめる13歳がどこにいるのだろうか。もし昔気質で子供が敬語を使うと機嫌が悪くなる年寄りとの会話が好きで好きで仕方がないという物好きがいれば是非とも変わってほしいものだ。


 昨日初めてこの家の玄関を上がり、当然の礼儀として引き取ってくれた事のお礼を言った時も「心にもない事を言うな」とだけ言い、そこから数時間後に「飯だ」という会話にカウントしていいのかどうか悩む会話まで一切コミュニケーションがなかった。

 

 これまでは家に帰れば母から学校の事を尋ねられ、特に問題もなく当たり触りのない大人が喜ぶ会話を実践してきたというのにこの家に来てからは普通の会話をしてなさ過ぎて人間として文化人として大事な脳の何かがショートし、昼夜逆転してネット上の友人としか会話できない生類憐みの令でも憐れまれなさそうな人種へと着々と退化していっている様な気すらしてしまう。


 しかし、蛍か。

 そういえば水の綺麗な田舎では未だにその存在が確認できるという話は向こうの学校にいた友人Fから聞いた覚えがある様な気がする。夏休みは田舎の家に行き蛍を見たと自慢気に語る天パ交じりの頭の中くるくるパーマ君の姿が思い出せる。


 その後、何気に俺の食事が終わるまで待っていた祖父と共に手を合わせてご馳走様でしたと言い、その後は自由時間だ。


「少し散歩してくる」

「……懐中電灯は玄関左だ」

「うい」


 元の家では考えられないような会話をして玄関に向かう。田舎の家だからか裕福だった祖父の家だからか台所から玄関まで少し距離がある。

 老人になると色々なものに鈍くなるというが、孤独を感じる機能も鈍くなるのだろうか。それなら俺も同類なのかもしれないな、などと勝手にシンパシーを感じながら無駄に長い廊下を抜けて玄関に辿り着くと左側に大きな懐中電灯と少し小さめの懐中電灯がある事に気が付く。

 あまり荷物を増やしたくなかった俺は何故か新品の様な輝きを放っている小さめの懐中電灯を持ち「行ってきます」と自分の世界に入っているだろう祖父に形だけの声をかけ外に出る。まあ、ここから門までそこそこ距離があるんだけどね。


 暗がりの中整備され切っていない道を歩いていると、ふとこんな夜遅くに一人で出かけるのは初めてだという事に気付いた。前の家族と一緒にいた時は過保護な家庭で優等生をしていたため、17時までには必ず帰宅してたんだよな。

 中一の時20時に一人でコンビニに行った事を如何にも偉業を成し遂げたのだと言わんばかりに何度も話してくるM山が夜空を背ににっこり笑顔でサムズアップしている姿を幻視する。この笑顔は0円で当然だな。なんてくだらない事を考えていると川の流れる音が聞こえてくる。

 人によってはこの音で癒されるらしいが、水が流れているだけの音になんの価値があるのか全く理解できない。昔から何かに同意を求められる事は多かったがそんな時上手く対処するにはさしすせそが肝心だ。


(君の軽い頭は)最高だね。(こんなものに感動できるなんて)信じられないよ。(君のおめでたい頭は)素晴らしいとしか言えないね。(君という存在に)生命の神秘を感じるよ。それ(を君がアホ面で拝んでいる姿)は是非見てみたいよ。の五つだ。

 全国の小学生諸君は是非とも俺のさしすせそを継承して優しい人間になろうね!


 水の流れる音を頼りにけもの道を進んでいくと開けた場所に出た。かなり浅めの水が広い範囲で溜まっている場所へ近づいていくと空から月と星の明かりによって一面が照らされている事に気付いた。都会では近くの国から流れてくる分厚い埃纏う大気のせいで見えないだろうなと考えながら懐中電灯の光を消して手頃な石に腰掛ける。


「ふぅ」


 そこそこの距離を歩いた疲労と祖父しかいない気まずい空間から逃げ出せた事への安堵から自然と溜息が零れた。この時の為にかなりの間溜められていたそれは目を凝らせば見えるのではないかと思ってしまうほど重いものだった。


「ふぅ」


 隣にいる女の子も疲れていたのか俺と同じような溜息をついている。

……隣にいる女の子?


 驚いて若さが成せる柔軟な首の動きで思いっきり横を振り向くと、白い着物に緑色の刺繍が入った浴衣を着た女の子が俺の少し左後ろにある石に腰掛けていた。


「……こんばんは?」

「こんばん、は」


 暫くの間お互いの顔を見つめ合う。痛めた首をさすりながらその女の子を観察する。絹の様な白い髪とくりくりとした大きな翡翠の目が特徴的な整った顔立ちの少女、しかしそこに知性は感じられずまるでよくできた日本人形を見ている様な錯覚を覚える。

 日本人形は白髪で翡翠の目なんてしていないだろうけど。


 硬直状態から抜け出すきっかけは奇しくも俺がここに来た目的の存在であった。そう、蛍だ。蛍がその燐光をお裾分けに俺の肩に止まったのだ。


 はっとした様にあたりを見渡すとそこには先ほどと似ても似つかない風景が存在していた。雲によって月が隠れ空からの明かりが遮られ、周囲を自由気ままに飛ぶ蛍の光が世界を彩っていた。

 全体的に少し緑がかったグラデーションの世界で川の水色と少女の白色が強調され正に絵画のワンシーンの様に感じた。いや、絵画などに感動をした事などないからその例えも不適切だ、しかしこれを形容する言葉を俺は知らない。

 美辞麗句ばかり覚えてきたせいで本当に美しいものを称賛する事など俺にはできないのかもしれない。


 ただ端的にその美しさを表すなら、カメラプリーズ、ハリーハリーだ。


「だれ?」

「僕は弦中春斗、春斗って呼んでほしいな」


 何かを考えている時に声をかけられると普段通りの事を反射的に言うよね。同級生と初めて知り合った時のいつものルーティンが罠カードの如く発動したけど、まあこれが一番無難だし何も問題ないか。


「そっか」

「うん」

「……」

「……」


 終わった。

 社会的な意味ではなく普通に会話が終わったという意味ね。いや普通には終わってないな。アニメで主人公とヒロインが出会ってこれから冒険が始まるぜというタイミングで俺たちの冒険はこれからだされたみたいな。

 あれ? これは普通、それまでに紆余曲折があってそれが一段落ついてからの流れのはずだからこのアニメは初回放送で打ち切られてますね。単純に彼女コミュ障疑惑濃厚ですはい。フロンティア開拓者の如く会話畑を農耕してやりますか。


「君は?」

「私、私は……私は自由」


 自由? じゆう? いや、昨今はキラキラしている人が多いとはいえ流石に娘にそんな名前つける人なんていないだろう。みゆだな。うん。みゆで自由なんだろうな。


「自由ちゃんね。これからよろしく」

「自由? うん、自由。よろしく」

「そういえば、君はどこの学校に通ってるの?」

「……」

「あ、ごめん。先に僕が言うべきだったね。僕は明日からの転校入学なんだけど第一中に通う事になってるんだ」

「……」

「ここら辺の学校に通ってるの?」

「……知らない」


 なんだこの会話終わりだよ。いや、終わってるのはこんな事を考えている俺の頭の方なのか……? 未開の民族はバーバルコミュニケーションよりもノンバーバルコミュニケーションの方が積極的に行われているというのは受験対策の時にやった小論文の対策問題で見た様な気がする。


「がっこうって、なに?」


 なに? 学校ってなに? なんなんだろうね。改めてそう言われると中々答えに困る人の多そうな質問だな。


「学校はね、色々な事を教える場所で同じ年の子たちを集めて日本社会で生きていくのに必要な基本的教養を涵養しつつ同い年の同性異性と成熟した大人が監督する空間の中でコミュニティを気づき円滑なコミュニケーションを行える社会性を養う場所なんだよ」

「へえ、大変そうだね」

「……そうだね」


 大変なのは君みたいな社交性のない人間と我慢強く付き合っていく事だよ。と喉元まで出かけた言葉無理やり飲み込む。

 勿論僕だって基本的な社交性と一般的な教養を持ってはいるが自分がコミュ強のバリバリ陽キャであるつもりもがり勉と言われても周りを馬鹿にして自尊心を高めながら良いキャリアのために邁進する良い子ちゃんなつもりもない。

 大人と同級生の大半からは好かれる良い子ちゃんではあったけどね。その自信も君と会話していると崩れ去りそうだよ。


「そういえば、ここには何をしに来たの?」


 そうだ、こんな夜更け(21時)に女の子一人でいるなんて危機感がないとしか言えない。勿論彼女の親の。着物を着ているって事はお祭りの帰りか何かだろうけど、だからといって幼気な少女が一人で来ていい様な場所でも時間でもないのは確かだといえる。


「この近くで暮らしてる」

「そうなんだ……」


 さいですか。もしかしてこの川は彼女の家の敷地で不法侵入してきた怪しいやつがいたから見に来たという可能性もあるのかあのジジイめ何が蛍が見頃だ、だよはめやがったな。


「もしかして、ここって君の家の所有地だったりする?」

「家は向こうの奥、ここはみんなの川」

「よかった。不法侵入してしまったわけではないみたいで」

「ふほうしんにゅう?」

「いや、なんでもないよ」


 ジジイとか言ってすんませんでしたおじい様。まあそりゃそうか。川を所有するとかどんな大富豪だって話だし、そもそも川みたいな自然のものって個人が所有できるのかどうかすら怪しいしな。昔の小作農制度をなんとかするために色々と近代化に合わせて法整備されたらしいし、川を個人が独占なんてさせるわけないよな。安心安心。日本万歳、民主主義国家万歳、国民主権万々歳。


「おっと、もういい時間だしそろそろ戻らないと祖父が心配してしまう」


 彼女のコミュニケーション能力に絶望し、少しでも早くこの場を離脱した方が面倒がなさそうだと判断しそれらしい言い訳を口にした。


「帰る?」

「うん。目的の蛍も堪能できたしね」

「そう」

「それじゃあね」

「うん」


 年頃の男女が誰もいない夜に二人っきりでする会話にしては全く色気のないものだなと思いながら足早にその場を去ろうとすると意外な事に後ろから声をかけられた。


「あした」

「明日?」

「来る?」

「来る、かなぁ」

「待ってる」

「あー、わかったよ。これたら来るね」


 田舎にはまともに会話できる人間がいないのだろうか?(偏見) 何故か流れ的に明日もまた来る感じになってしまったが、実際家に居ても気まずいのだからまだあの綺麗な光景が見れるというだけでも足を運ぶ価値はある様に感じる。


「じゃあ、また明日」

「また、明日」


 無感情な目に見送られながらぎこちなく別れを告げ、家路へと急いだ。あの祖父ならもう寝ているかもなと思いながら家に戻ると意外な事に祖父の寝室の電気がついていたため、まだ起きている様だ。

 寝る前に祖父におやすみなさいの七文字を告げに寝室へと向かう。無駄に長い廊下を歩き目的地に辿り着くとそこにはベッドに座り分厚い本を読んでいる祖父の姿があった。


「ただいま戻ったよ」

「そうか」

「蛍の事教えてくれてありがとう。初めて見たけど言葉に表せないぐらいよかったよ」

「……どうやらそれは本心のようだな。後2週間程度は見れるから好きな時に行くといい」

「わかった。それじゃあ、おやすみ」

「おう」


 決して長くない、だけどその分何かが詰まっている様な会話をして祖父のもとから離れる。祖父のいる寝室は祖母と祖父が使っていたものらしく、祖父のベッドがある反対側には祖母のものと思わしきベッドや私物などが置いてあった。そういえば、祖父と祖母について何も知らないのだなと改めて思うが、このまま仲良くなっていけば祖母との馴れ初めなんかも聞けるのかしらん。



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