僕
家柄にうるさい家だった
母は昔は良いところの家だったらしい
それを時代のせいで、平民に嫁いだように思っているらしくとてもわがままだった
父は経営者だったが、母にすれば1代限りの成り上がり者だったのだろう
ここに嫁がなければいけないほど、落ちぶれた自家をも嫌っているようだった
昔はああだったのよ、こうだったのよとよく聞いた
戦争で豪奢な屋敷だか別宅だかが焼けただとか、何も持ち出せなかったとか
政府に色々なものを取られただとか
私のおじさんは高官で、非常に立派だったとも聞いた
嘘か真かも分からない。母の実家とは絶縁状態だし、全て灰に帰した思い出だから…
母は僕たちの食べ方にもうるさく、父も随分と矯正させられたようだった
あなた結婚するなら、私より身分の高い方となさい、なんて幼い頃から言われていた
小さな頃は訳もわからず頷いていたが、長じるにつれ、そんなものどうやって見分けるのかと思った
父は穏やかで、何でもいいよいいよと言ってくれるような人だったから、母の意向もあって僕は私立に入り家柄の良さそうなお嬢さん、お坊ちゃんたちと交流を持った
母は一体どれだけの家柄だったのだろう?
一見、良い身なりをしていても、サラリーを貰っているというだけで批難した
何もしないで暮らしていけるようなお貴族さまなんて、この国にはいないというのに…
僕はどんどん、母が許すのなんて天皇家くらいしかないのではないか、と半ば本気で思い始めていた
一度、一人で飲んでいた父に母の家柄について尋ねたことがある
父は実は良く知らないと言った
まぁあれだけ言うのだから天皇家ゆかりの旧華族かそこらだろうと
ただ、もしかしたら母がそう信じ込んでいるだけかもしれないと
昔は日本でも爵位が買えたそうだから、と
僕は困惑して父を見た
母が自分より家柄の良い人と結婚しろと言うのだと言うと、父は笑った
そんなもの気にしなくていいと
父さんはお前が幸せならそれでいいし、母さんもきっとそうだと
僕は正直釈然としなかったが、ありがとうと笑ったと思う
でも、その頼みの綱だった父はお酒が祟ったのか急性心不全で眠るように逝ってしまった
ある朝お父さんが起きて来ないの、と泣きじゃくる母に起こされ、僕は寝ぼけながら119や110に連絡をした
正直記憶がない。父方のおじさんに連絡をしたから、おじさんが全部やってくれたのだと思う
僕は大学に入る直前で、母はただ僕の腕に縋りついて泣いていた
そう、その制服が汚れるさまを、もう着ないからいいやと思って見ていたのだった
僕たちはそれから広すぎる家を引き払い、母があれほど嫌がっていたはずのマンションに引っ越した
母はこじんまりとした景色のいい部屋が案外お気に召したようだった
猫を飼いたいというので、毛並みの美しい猫を飼った
その子はちょうどよく、僕たちを和ませてくれた
ちょうどよく、僕たちを煩わせてくれた
母は年金と遺産とで、贅沢をしなければ問題なく暮らしていけるようだった
元来、お金のかかる趣味もなく、庶民とは交流しないような人だったから、僕はまぁ問題ないだろうと思った
母は猫がいることで、以前より家にいるようになったし、時々観劇や歌舞伎や買い物に行くくらいだった
料理は父の代わりに僕がするようになった
でも、母も簡単なものなら作れたから不自由しなかった
ねぇあなた、連れてくるなら家柄の良い方にしてね
この言葉はもう口癖のようなもので、僕は笑って流しながら大学での友人を呼んだりしていた
口ではああ言っていても賑やかになると気も紛れるのだろう
以前のように不躾に、相手の身分を推し量るようなこともなくなった
親がどうであれ、同じ学校に通っていれば良しと思っていたのかもしれない
僕は穏やかに学友と接する母を見て安心し、学内の女の子と付き合うことにした
父はお医者さまだと言っていた