第76話 アインの右手
アインは薄い黄色のマントを纏った賢者「ランスロット」を見て、立ち上がった。
「多分、こうして会うのは初めてだったね。シリウス騎士団団長、アイン・ドー・オネスティー。」
「ああ、そうかもな。」
賢者は滅多に人前には出てこない。
「今、この「バベルの塔」には私しかいないのでね。もっと高位の者に会いたかったとは思うが、許してほしい。」
「高位の者とは「スサノオ」のことか。」
「そうだね、確かに。順位をつけるとすれば、彼の方が私より上になるかとは思うが。いわゆる賢者と呼ばれる存在はほぼ同列扱いだし、能力的にもそれほどの差はない。もっとも、現状では、体力的な話として、「サルトル」が持久力がないという問題はある。」
淡々とどうでもいい話を続ける「ランスロット」に、アインは苛立ちを覚えた。
全くの呼び動作なしに、光弾をアインの周りから「ランスロット」に向けて、放つ。
だが、「ランスロット」は微動だにせず、迫る光弾を見つめた。
「ランスロット」に打ち込まれる瞬間に、光弾はいともあっさりと消失した。
「まったく、俺なんか眼中になんかないという態度だな、「ランスロット」。」
射貫くような目つきで「ランスロット」に言った。
「まさか!君は我々にとって、ある意味希望の人間だ。ずっと、観察を続けていたよ。」
「面白いか、人が不幸に陥っていく姿は。俺はお前たち「バベルの塔」の住人を楽しませるために生きていたんじゃない。」
その言葉と同時に「ランスロット」に踏み込み、握りしめている剣を下から上に掬い上げるように動かす。
ほとんど瞬時に行ったアインの動きに、「ランスロット」はその場から消えるようにいなくなる。
アインの剣はつい先ほどまで「ランスロット」のいた場所を、裂くように空を切った。
振り切ったアインのその手を何かが激しく叩いてきた。
その衝撃にアインは剣を床に落としてしまった。
アインはその剣に手を伸ばしたが、すでにそこには何もなくなっていた。
アインはすぐにその場から低い体勢で前に飛び出す。
一瞬後、先程まで握っていたはずの剣が、自分のいた場所を薙ぐのを知覚する。
「さすがだね、その反応速度は。我々の最高傑作だよ、アイン。」
剣を無造作に持つ「ランスロット」が、アインが先程いた場所に立っていた。
「何を言っている?俺は貴様たち「バベルの塔」の住人とは関係がない。」
「そう言われると悲しくなってしまうよ、アイン。君が生まれてから、愛情を持って見守ってきた身としてはね。」
こいつは何を言っているんだ?
アインはおかしなことを口走る「ランスロット」に、奇異なものを見る目つきになっていた。
「君がそういう態度を示すのはもっともなことだ。この件については後程話すとして…。」
その言葉を言い切らないうちに、滑るようにアインに接近した「ランスロット」は、ほとんど動きを見せずに、アインの右手を切り落とした。
アイン自身、何が自分の身に起こったか、全くわからなかった。
気づいたのは、自分の目の前に落ちていく物体が手であることに気づいたからだ。
「うぐああああああ………。」
自分の声とは思えない絶叫がこの広大な通路に響く。
あまりの激痛に膝を折り、うずくまる。
「今なら、この剣の切断で切り口はきれいなはずだ。君ならつけて再生することが出来るはずだ、アイン。」
アインは意識が飛びそうになりながら、左手で切断された右手を掴み、右腕の切断面に合わせ押さえつける。
頭の中で、手と腕の切断されている神経をイメージして再生を開始した。
自分の体から暖かい何かがその腕に集まってくる。
神経の接続が完了すると、あとは続けざまに骨、筋肉、血管、皮膚の細胞が創生され、再生していく。
さすがに流れ出た血液を戻すことはできなかったが、痛みは急速に薄らいでいった。
「思ったとおりだ。アイン、君の「魔導力」は底が知れないな。」
アインは右手の再生が終わると、あまりの疲労感にその床にそのまま転がった。
生暖かい血液が自分を包むように体に付着する。
今、この時も「ランスロット」は剣を握ったまま、自分を見下ろしている。
敵との戦闘中にこんなことをすれば、命がいくつあっても足りないことは解っていたが、「ランスロット」に対しては、そもそも力が違い過ぎて、虚勢を張ることもできない。
「やっと、私の話を聞いてくれるようになってくれて、嬉しいよ。」
薄ら笑いを顔に張り付けた「ランスロット」が、そうアインに告げた。




