第58話 激突
見届け人の掛け声が、この修練場全体に鳴り響いた。
今回は決闘のため、中央で勝敗を見極める審判を「見届け人」としているが、ここは通常は訓練を行ったり、剣術や槍術、格闘技の試合も行われる場所である。
そのため中央での審判行為をするものの合図は全ての人の耳にしっかりと届ける必要があるために、拡声装置が施されている。
観客席にいるブルックスたちもその声をしっかりと聞きながら、場内の中央に目を凝らした。
つい先程まで金髪の少女に射抜かれそうな視線を送られていたブルックスも少し力を抜いて決闘の行方に目を移すことができた。
だが、すぐにブルックスは驚嘆のあまり体が硬直した。
凄まじい量の「テレム」が少女の体から放出されたのだ。
その莫大な量の「テレム」は、通常その「テレム」を見ることのできない者にさえ、はっきりと光るような放出を感じるほどだった。
ブルックスに至っては、「テレム」も「魔導力」もはっきりと見ることのできる能力が災いして、目が眩むほどに圧倒的な力として襲いかかった。
リーノから放出された「テレム」は、壁に仕組まれている「テレム」分解装置がすぐさま無効化していく。
まるで霧が晴れるような感覚で、消えていった。
そうあらかたの「テレム」は無効化された。
だが、ブルックスに向けられた「テレム」が消えたその中から、剥き出しの魔導力が槍のような鋭さで襲いかかってきたのだ。
ブルックスは全くその魔導力に対応できなかった。
魔導力そのものは「視る」ことができた。
だが、全くその体が反応できなかった。
敵意剥き出しの魔導力の槍はブルックスの顔面目掛けて迫ってきた。
ブルックスはその迫り来る恐怖に身じろぎすることも出来なかった。
両隣にいたランドもテックスもその脅威そのものの魔導力を感じてはいたが、何も出来ずにいた。
その槍がブルックスの顔面に接近した刹那、弾け散った。
全身に入っていた力、そして肉体強化を施していた体内の魔導力を解いた。
「助かった~。」
思わずブルックスはそう呟いた。
そう言いながら眼前の結界に愕然とした。
この観客防御のための結界は5層からなっている。
修練場に施された「テレム」分解装置の影響で、内側には「テレム」での防御はできない。
数種類の電磁シールドが2層に分かれて展開し、その外側に「テレム」と炭素繊維、および重金属原子が絡むように形成されている。
さらにその外側を超高速の気流が駆け巡っている。
その外側、観客席を守る最終の障壁は、超密度の「テレム」が張り巡らされている。
この超密度「テレム」は、仮に「テレム」分解装置に晒されたとしても、100秒以上は耐えられる設計になっている。
この5層からなる結界は単純に破砕されることはないはずだった。
だが…。
ブルックスに放たれたリーノの魔導力は、第1層、2層の電磁シールドを蹴散らし、混合原子「テレム」の層すらもこじ開けた。
その先端は高速気流によって、ギリギリ消すことに成功した。
その全てを視認していたブルックスは、リーノ・アル・バンスという極めて稀有な才能に衝撃を受けていた。
ブルックスは確かに油断していた。
この強固な結界が破られるはずはないと思っていた。
それが「テレム」を四方に放出しながら、それを隠れ蓑にして魔導力の槍をブルックスに突き刺してきたのだ。
「テレム」が無効化されなければ、確実にこの結界を破ったことであろう。
ブルックスはそう確信し、自分の気の緩みを諫めた。
そして、この少女が先日に放った炎弾をかわしたブルックスの技量を、見間違えることがなかったことを知った。
それゆえの今回の攻撃である事も…。
いいだろう、「最高魔導執行者」。
そちらがその気ならば、こちらも君に見合うだけの力を、能力を磨いておこう。
ブルックスはもう一度、そう気を引き締めてリーノ達の戦いに集中した。
すでにその闘いは、異常な状態になっていた。
それを油断というのは容易い。
だが、これほどの強力な魔導力を集中させ、槍のような一点集中の力として絶対防御とも言える5層の障壁を傷つけたのだ。
周囲への警戒も薄れて当然だ。
いくら12歳とは言え、剣術を極めようと日夜努力してきたロリウムはその隙を見逃しはずはなかった。
中段に構えていた剣が沈んだ。
だが、周りで見ていた者達はそこまでしか見えなかった。
アーク・ヨムンドですら、リーノの気配の方向に意識が行っていたことがあったとはいえ、その少年の動きを完全には追いきれなかった。
一歩間違えば、ロリウムの剣がリーノの腹部に叩き込まれていてもおかしくはなかった。
ロリウムが消えるような素早い動きが土煙を立てた事も、他の者の目を眩ませていた。
その結果、リーノの小さい体が壁のすぐ近くに飛ばされ、さらに半球体の結界上部に叩きつけられた後、土煙に消えた。
この場を見守っていた大部分の者達、多くはこの学校の学生だったが、それ以外でも学校の教職員、騎士団団員が多くを占めていた。
一般の市民もいたが、その数はかなり少数である。
つまり、「魔導力」に長けた者が多く、さらに戦闘の経験のあるもの達が大部分を占めていた。
そんな観客達からしても、この少年と少女の動きを正確に視ることことが出来た者は極めて僅かだった。
その少数の中に、ブルックスとアルクネメがいた。
ブルックスには魔導力と「テレム」を視覚化して感じることの出来る類稀な才能があった。
そのため、先のリーノの魔導力の槍に対して、強烈な衝撃と興味を覚えてしまったのだ。
魔導力はその力の弱い者でも、体から発せられているために、この土煙の中でもリーノとロリウムの動きをしっかりと捉えていた。
リーノの自分に対する殺意とすら言える意識の向け方は目の前で剣を構えるロリウムより大きかったのは間違いない。
リーノにとって目の前の決闘の相手、ロリウムは所詮小物でしかない、という態度がありありと伺えた。
そう、だから油断した。
確かに魔導力の大きさはリーノに比べロリウムは明らかに劣っている。
だが、それはロリウム自身が一番よくわかっていた。
わかっているからこそ、リーノの隙をつくことを最大の好奇として捉えていたのである。
己が剣術の一閃をその隙に叩き込む。
だからこその決闘開始の合図に全神経を集中していた。
その集中力を高めていたロリウムの前で、リーノの意識は観客席のブルックスに注がれていたのだ。
ロリウムにとって、それは耐え難き屈辱であった。
しかしながら、それは自分の剣術を活かす最大の好機でもあった。
リーノは意識だけでなく、その魔導力をあらぬ方向に解き放った。
これ以上の攻撃のチャンスはない。
構えていた剣を握り直すとともに、ロリウムはその体を地面スレスレに、一気にリーノとの距離を詰めた。
その際に周辺に土を軽く震わせて、土煙を起こす。
そう、「テレム」が無効化されたこの空間にもかかわらず、鮮やかに目眩しとも言える土煙を起こしたのである。
リーノの攻撃に、一瞬我を忘れそうになったブルックスではあったが、すぐに気持ちを切り替え、その奇異な光景に思考を巡らせた。
リーノの魔導力の周りを覆っていた「テレム」は瞬時に消えた。
だが、この土煙を起こした「テレム」は広範囲に展開して消失した。
この時間差が何を意味するのか?
地面スレスレに身体を倒したロリウムの姿はリーノにしてみれば、意識を散らしていたことと相まって、見失った。
距離を瞬時に詰めたロリウム殺気は、しかしリーノを戦闘状態にするには十分だった。
ロリウムの剣が地面から上方に打たれるより先に、地を蹴り、後方に避けた。
が、リーノの回避行動に直ぐにロリウムが反応。
剣を持つ手首が回転し、そのまま薙いだ。
ロリウムの剣にリーノは剣で対応。
剣同士の激しい衝突が、さらに地面を削り、土が舞い上がる。
リーノの体が壁にぶつかる瞬間、足がその壁を蹴り、ロリウムに向かった。
ロリウムもまたリーノの動きを完全に捉えて、自分に向かってくるタイミングで、剣を突く。
リーノはその剣に足を乗せて、そのまま空中に回避しようとした。
しかし、その動きを即座に察知したロリウムが、リーノを持ち上げるかのように上空の結界に叩きつけようとする。
体重も軽いリーノの体はそのまま空中に放り出され、この闘技場上方に張られた結界にぶつかったように見えた。
ブルックスにしろ、アルクネメにしろ、結界とリーノの間に魔導力が干渉していることがわかっていた。
つまり、リーノの身体には全く影響していない。
さらに、リーノがその態勢を変え、剣を振り上げる動作さえ見えていた。
2人の全ての行動まではアルクネメが感知できたわけではない。
それでも驚異的なアクパ、アルクネメのパートナーの知覚がその事実を伝えてきている。
(アルクが心配することはないと思う。リーノの能力は私が保証する)
(アクパ、あなたのことは信じているわ。でもね、リーノのあの傲慢な態度は看過できない。いっそ、負けて反省させた方がいい気がする)
(自分の男に殺気を形で放ったリーノは確かに良くないとは思うがね)
(じ、自分のお、男って…)
(図星だからと言って、その慌てぶりは感心せんなあ)
(ち、違う、わ。もう、ブルとは、ブルとは…)
(おお、土煙が腫れてきたな。彼、ロリウム君と言ったか。彼は面白い能力を持っているようだね)
(そ、そう、ね。この空間では、使い方によっては…)
(そう、あのおてんば娘もちょっとビックリするんじゃないか)
(アクパの言うことはわかるわ。油断すると、リーノもえらい目に遭うでしょうね)
(アルクの忠告の意味、しっかりと思いだせればいいんだが…)
土煙の消えていく中で、しっかりとリーノを見据え、中段に剣を構えたロリウム。
そしてそのロリウムを怒りに燃える瞳で見つめるリーノ。
自業自得という言葉を思い出しながら、驚きの声を出す他の守備騎士たちとともに、決闘の最中の2人をアルクネメは静かに見ていた。




