第57話 決闘開始
金髪の少女、リーノのその憤怒の形相としか表現のしようのないその顔と視線は、これだけ多い観客の中で間違いなくブルックスを特定していた。
恐れ入ったものだ。
自分なりに魔導力も「テレム」もこの体内に抑制していたつもりだったが、もしかしたら漏れが生じていたのかもしれない。
ブルックスは今にもその溢れ出る魔導力と言う名の闘志を纏い、一気に自分に向かって来るのではないかという未来が見えていた。
リーノにとって修練場で目の前に対峙する新入生、ロリウム何某という決闘相手の男子学生は眼中に無い。
決闘相手のロリウムからしてみればこんなにも不遜な態度はないのだろう。
ブルックスたち新入生は、この決闘の真の意味など知るはずもない。
学校側が、正確には「バベルの塔」の意思を汲んだ者たちが決定した、その学年の最強者「最高魔導力執行者」に対する決闘の申込みは、この学校の上層部、政府関係者、そしてこの国の最高権力者たる「バベルの塔」に反意を示したも同意の行為と受け取られかねないこうどうなのだ。
もっとも、まさかそんな意味があるなど、ロリウム・サー・ファウストは知らない。
単純な義憤に駆られた行動であり、そして自分の剣術の才能の確認行為でしかなかった。
新入生に限らず、6年次までいる在校生のどれほどがその事実に気づいているかは不明だったが、学校側に近い立場の学生、例えば自治会役員、並びに元役員、さらに各寮の学生執行委員は接する教職員から仄めかされてはいる。
年にこういった決闘は数度行われてきた。
それも2年次から4年次が圧倒的に多い。
それも実力的に近いものが挑むことが普通だった。
その結果がどうあれ、「バベルの塔」が関与することはない。
だからこそ、その後に特別問題が起こることはなかった。
だが、今回の新入生同士の決闘は「バベルの塔」も、政府も、学校側の役員も想定外だった。
本人も、そしてその家族を含めた環境すらも、「バベルの塔」はその権力の行使により全てを調べている。
その思想や行動が反体制に傾いていても、ある事象に触れてさえいなければ、「バベルの塔」は問題にしない。
そのため政府に対して敵対するような情報さえ秘匿してしまう機関が「バベルの塔」であり、国の体制が変わりかねない事態が、「ある事象」に関係するときに初めてその強大な力を発動する。
しかし、リーノ・アル・バンスは「ある事象」の核そのものだった。
ロリウムの背景に不審なものはなかった。
12歳の少年にそんな大層なものがあるはずはないのだが、貴族の子弟は多かれ少なかれ選民思想に毒されている。
だが、奇跡的にもこのロリウムにその兆候が非常に少ない。
それどころか貴族の尊厳たるノブレス・オブリージュをその志にしている。
クワイヨン国高騰養成教育学校側にはそう報告されていた。
サンザルト・ア・バイオルム高等養成教育学校校長は貴賓席の国王席の右側の校長専用の責任に座し、中央にいる少年と少女を困惑の目で見ていた。
ウラヌス騎士団の当主であるリテニウム・サー・ファウストとは知己である。
ゆえに、その子供たちが厳格に育てられ、さらにロリウムが剣術の才を認められて、将来を期待されていることも知っていた。
さらに驕らない性格で知られており、まさかいきなり「最高魔導執行者」に対して決闘を申し込むなどとは思ってもいなかった。
一応の報告は受けていた。
リーノがブルックスに対して一方的に難癖を付けて「魔導力」を行使した。
その直後にロリウムがリーノに対して決闘を申し込んだという流れだ。
ロリウムが何を考えていたのかは推測の範囲だが、「高齢者」と蔑まされているブルックスに対したリーノの態度に憤慨したものと思われるが、それだけで決闘を申し込むだろうか?
バイオルムも先日のアクエリアス騎士団副団長ガールノンド・ミリッターとリーノの戦闘を見ていた。
その戦いを見ていれば、とてもじゃないが戦おうとは思わない。
にもかかわらずロリウムはその戦闘狂とも言えるような少女に対して、戦いを挑んでいる。
この二人ともこの国の将来において、「魔物」からその被害を抑えるために絶対的に必要な存在なのだ。
どのようなことがあっても、この二人を5体満足でこの場から退場してもらわなければならない。
この空間では「テレム」が分解される。
そのため「魔導力」の増強効果は得られない。
修練場を覆う壁には衝撃を極力吸収する緩衝材が仕込まれている。
この壁の高さは3メートルを越えるが、その上方から半球体の結界が巡らされており、直接的な攻撃が観客席に被害が及ぶ事のないように設計されていた。
その観客席は5千人ほど収容可能なのだが、ここが年2回行われる武術会のメイン会場であり、国王や賢者が観戦することがあり、一般の市民にも開放されるためである。
今回の決闘は急遽決まったことではあるが、この「最高魔導執行者」の決闘は学校外に対しての公開が前提であった。
これは学校側が決定した代表を優位に戦わせないための処置であったが、同時に娯楽が少ない市民に対するガス抜きのためでもあった。
王都などであれば比較的少ないとはいえ、この世界は「魔物」の脅威にさらされていることに変わりはなかった。
歌謡、演劇、そしてサーカスなどの旅芸人たちが「バベルの塔」の後援で行われてはいるものの、絶対的には足りていない状況である。
そのため、高騰養成教育学校で行われる武術会、そして魔道競技会は一種の祭りの様相を呈していた。
不定期に行われる決闘もまた、市民にとっては関心が高い。
実際に見られる人数は限られるが、政府公認のもとの賭博場も開催されているのである。
ロリウムに大人たちの思惑など一切わかるわけがなかった。
ただ、目の前にいる小さな金髪の少女にその心を向けていた。
正直にいえば、怖くないといえば嘘になる。
先日の騎士との試合が仮に八百長だとしても、その戦闘の状況は非常に激烈だった。
それでも許されないことはある。
この修練場の周りには屈強な騎士が控えていた。
そのうち一人は「最凶の剣士」アルクネメ卿である。
そして中央に立つ決闘の見届け人はウラヌス騎士団所属王宮警護隊にも名を列ね、この学校の講師も兼任するアーク・ヨムンドである。
ロリウムも知っている人物だ。
ウラヌス騎士団に限らず、王宮警護隊に選抜されることは十分に名誉あることであった。
人格的にも、技量的にも優れていなければ認めらない職務だ。
だからこその見届け人に推挙されたのだろう。
ロリウムはそう考えた。
実際のところ、見届け人に決まったことにアーク・ヨムンドの技量の面が多大を占めているのは事実だった。
二人が激突したときに、その二人を止められる人物が、中央の見届け人と、さらにアルクネメを含めた六人の屈強の戦士を配置したのである。
形式は模擬試合である。真剣を使うわけではない。
だが、刃が潰されているとはいえ、重量のある銅剣が使用される。
当たりどころが悪ければ死ぬのだ。
2年次以降であれば、死なないための技術を教えることができたが、入学したばかりの学生は、その力任せでの戦いになりがちだ。
結果的にはそれが命を奪うことにもなる。
見守る七人の守護者に限らず、関係者の雰囲気はかなり緊張していた。
未だ観客席を見る金髪の少女に苛立ちを覚え始め、ロリウムの全身に余計な力が加わった。
緊張とは違う怒りの衝動だった。
それが安っぽい挑発かどうかはわからない。
だが、ロリウムがイラつくには十分だった。
金属で防護された足先が固く占められた大地を不規則に打ち付けている。
剣だけは決闘用の諸刃を潰された銅剣が渡されていた。
だが、それ以外の防具は馴染んだプレートアーマーを着込んでいた。
既にその身で通常の訓練を行っているロリウムにとっては馴染み深いものであり、妙な安心感を与えてくれていた。
だが、目の前の少女は、長めの髪を無造作に束ね、肘膝の防具のみでそこにいることにも憤りを覚えていた。
簡単にいえば、ロリウムの剣を受けずに終わらせるという意味であることが余計に腹立たしかった。
「両者、先に述べたことをしっかりと胸に刻め。これは決闘ではあるが殺し合いではない。戦意をなくした者に対しての慈悲は持つように。では中央に。」
ヨムンドの言葉に、やっと少女は観客席から視線を外し、ロリウムを見た。
だが、その目には全く表情を見ることはできなかった。
ロリウムも剣を両手に持ち、中段に構え、中央に歩み寄る。
二つの剣の距離が無くなるくらいまで近づいた。
「始め!」
ロリウムの目の前の少女が一瞬、炎に包まれたように見えた。




