第45話 条件
唐突と言えるブルックスの行動は、完全にアルクネメの、そしてリーノや周りの人々を驚かせた。
抱き着かれたアルクネメは、全く思考がその事態に対応できなかった。
そのため、腕組をしていたはずのその腕をブルックの身体がすり抜けたことに気付くのに遅れた。
「幻体」をすり抜けた?
ブルックスは、だがそれ以上「幻体」の中には潜り込まずに、「幻体」の腕の上から抱きしめる形を取った。
「テレム」の流れやそのものを捉えることが出来るブルックスは「テレム」で構成された「幻体」をある程度無効化する術も心得ている。
そのまま「幻体」の中で震えているアルクネメの体そのものを抱きしめることも可能ではあった。
だが、この公の場でそれをしてしまえば、アルクネメが自分の大きさを誇張していることが周囲にばれてしまうだろう。
この形を取らねばならない理由、そして暴漢たちを叩きのめした時に股間を潰した理由があるはずであった。
そしてそれらの理由は同じ根幹を持っているはずだとブルックスは見ている。
それでも、腕組をしている上から愛する女性を抱きしめるという絵は、ブルックスには許容できなかった。
腕組をしている「幻体」部分の「テレム」を無効化し、二の腕はそのままで両手で抱きしめたのだ。
この状況を理解するのに、アルクネメはしばしの時を要した。
だが、周囲のものがそのことに気付くより先に、現状を把握し、すぐに「幻体」の腕を再構築した。
自分の顔が異常に熱い。
自分の「幻体」の上からとはいえ、今この時、ブルックスに抱きしめられている。
2年半前の感覚と感情が蘇り、「幻体」の上からでもブルックスの体温が伝わる。
幸福感が全身を支配しそうになった。
この幸福感に対し、全身に警告のような恐怖感が貫いた。
その瞬間、ブルックスと自分の間に作られた腕を一気に伸ばした。
「きゃああああ~~~~!」
反射的にそう口走った。
「幻体」の両腕を一気に伸ばした力は、ブルックスの身体を突き飛ばした。
ブルックスの身体は後方に弾かれるように飛ばされた。
もともとブルックスが歩んできたその場には空間があり、他人を巻き込むことは無かったが、テーブルに叩きつけられて、その体は止まった。
盛大な音を立て、テーブルの上にあった飲み物や食べ物が四散する。
起き上がったブルックスの視界に、真っ赤になって両腕を前に突き出しているアルクネメの姿が入った。
そういうブルックスの姿は、ひっくり返ったテーブルに背を持たせ、アルコールやジュースを全身に被っている。
今日初めて腕を通した制服がすでに飲食物で汚れてしまっていた。
アルクネメの「幻体」が起こした両腕の突き飛ばしは、確実に物理的にブルックスの身体を捉え、宙に叩き出した格好となった。
派手に飛んでテーブルの周りの物を巻きこむ形で倒れ込んだ、様に見えた。
実際には、アルクネメがそう行動を起こすことは予測できたため、抱きしめた後のブルックスも「テレム」を集め、身の周りに「テレム」の層を作っていた。
その層にアルクネメの魔導力が触れた瞬間を見極めて、大きく後ろに飛んだのである。
「テレム」の動きを完全に追えるものでなければ、その状態を看破するのは難しい。
つまり、ブルックスは最凶の剣士アルクネメ卿に抱き着いたところを突き飛ばされた。
しかもかなりの力で、というように周囲の人間の殆どは見ていた。
ただし、数名がブルックス自ら後方に跳んだという事は見抜いてはいたが。
(お姉さま、あいつ、自分から…)
(そうね、リーノ。ブルは自分で飛んで見せたわ。私が力を揮う直前に…)
突き飛ばした本人であるアルクネメは当然そのことは解っていた。
横にいたリーノもまたブルックスの異様な行動を理解していた。
リーノはアルクネメの幻体常時発動を知っている。
だからこそ、ブルックスがそれを見抜いたことに驚いた。
さらに何故か反射的にアルクネメがそのブルックスの身体を抱きしめようとしたことを察し、その体を後方に飛ばした。
しかも、アルクネメの幻体の腕をブルックスが動かしてそう言う形の持って行ったのだ。
(一体、あいつは何者なんですか?)
(幼馴染よ、ただの)
リーノの思念波の問いかけに、アルクネメは先程口にした関係を、単調に返すだけであった。
この二人には何かがある。
リーノはアルクネメの対応にそう結論付けた。ただ、それがどういう関係かまでは全く想像できなかったが。
「何やってんだよ!お前、殺されるぞ、ブル。」
ひっくり返ったブルックスの所にランデルトが駆け寄った。
「お前、今、誰に何したか分かってんのかよ!」
ランデルトはそう言いながらブルックスを立ち上がらせながらそう言った。
「あは、汚れちゃいました。」
「バカが!怪我、してないのか?」
「まあ、何とか、大丈夫なよう、です?」
ブルックスの最後の言葉が疑問形になった。
刃がブルックの顔に突き付けられていたのだ。
「うわあー。」
ランデルトはその剣に、思わず声を出して数歩後ずさりした。
そこには剣を構え、ブルックスに突き立てているアルクネメがいた。
鬼のような形相をして。
「ここは武器の持ち込み、禁止じゃなかったっけ?」
マーネットとヨウキヒに向かい、ブルックスはとりあえずそう叫んだ。
事の成り行きを見ていた二人はすぐに視線を逸らし、ダウンクリムゾンが頭を左右に振った。
「あなたならこの剣の意味、分かる筈よ、ブル。」
剣先を顔面に突き付けられながらも、ブルックスの表情が緩んだ。
その顔を見て、アルクネメは自分の失言を悟った。
「やっと、その名を呼んでくれたね、アルク姉さん。」
そのブルックスの言葉にアルクネメの顔が熱を帯びたが、幻体の表情をそのまま固定、そのまま剣をブルックスの顔に突き刺した。
が…。
「さすがだよ、アルク姉さん。「テレム」で剣の物質化が出来るなんて。」
「相変わらず、あなたには見えていて、無効化もできる。変わってない、どころじゃないわね。」
「そうだよ。アルク姉さんがいなくなってから、懸命に努力したからね。姉さんが返ってきたときに胸を張れるように。」
突き刺したはずの剣が霧散した。
「そう、ブルックス。確かにあなたは成長したようね。でも…。」
「でも?」
「私と話をしたいなら最低限、このリーノを超えるところを見せて欲しいわ。」
アルクネメはすぐ後ろにいたリーノに視線を向けた。
「俺に「最高魔導執行者」に勝て、という事?」
「そう。でなければ、私の前に顔を出すことは許さない。」
その言葉に、リーノがブルックスの前に出た。
その眼はかなりきつい目を向けていた。
「お姉さまにあなたはふさわしくないわ。」
周りの学生たちが無言で見ていたことの成り行きに、変化が現れたことに気付いた。
今年の新入生同士が争う事になったらしいという事がさざ波の様に見ていた者に伝わる。
「まずは2か月後にある武術大会を楽しみにしてるわ、ブルックス・ガウス・ハスケル。」
「あなたが如何にお姉さまにあわないこと、その身体に刻み込んであげる。」
二人がそうブルックスに告げると、そのまま会場を後にした。
ランデルトが二人の姿が見えなくなってからブルックスに近づいて来た。
その後ろからタオルを持ってスコットも歩み寄りブルックスに渡す。
「ありがとう。」
タオルを受け取り、とりあえず顔の汚れをふき取る。
「いえ、大したことでは…。それより、一体何が起こったんですか?」
「自分がこの学校一の女性剣士に交際を申し込んで、条件付きで承諾してくれた。そんなとこさ。」
「いや、ブル!それ、絶対違うから!」
ランデルトが間髪を入れずにそう否定の語を告げた。
その横でスコットも頷いている。
周りの者たちもブルックスの発言に驚きの顔を向けていた。
「いえ、あのアルク姉さんの言葉は、そう言う意味なんですよ。自分にはよく解る。」
皆、変人を見る目で、ブルックスを見ていた。




