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賢者の哀しみはより深く   作者: 新竹芳
狂騒曲 第3章 新入生歓迎会
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第44話 再会

 手にしていたグラスを置く。

 その静かな音は、喧噪と音楽に包まれたこの会場で、不自然に響いた。

 言い合いをしていたはずのマーネット、ヨウキヒ、そしてダウンクリムゾンもその音の方向に顔を向ける。

 両頬を簡単な回復魔術によって癒され、水を染み込ませたタオルをあてがわれたモーガンもその音に目を向けた。


 この学校の中ではひ弱そうに見える中肉中背と言っていいブルックスにそんな視線が集まっていたが、彼はそんな好奇の目を気にすることなくテーブルを離れた。

 その目は先程からある人物に向けられ、全くその視線を外そうとはしていない。

 まるで少しでもその視線を外せば、その人物が跡形もなく消え去ることを恐れるように。


 あの朝のように。


 ブルックスは、まだ着慣れていないこの学校の制服の襟を微かに正し、ゆっくりとその人物に向かって歩き出した。

 その二人の間には少なくない男女の学生がいたが、その歩みを阻止することなく、道を開けていく。

 ブルックスの発する気、「魔導力」が他の人物を圧倒するほどだったのだ。

 そしてその他を圧する気を周りに発する者が目指す場所に自然に目が行く。


 先の模擬戦闘というにはあまりにも苛烈な試合をした強者、「最高魔導執行者」として誰もが認めざるを得ない能力を発揮した新入生・リーノ・アル・バンス。

 そしてその横に大柄な体をこの学校の制服に身を包み、周りに禍々しいほどの「魔導力」を誇示する女子学生、というよりも女性騎士と言った方がその雰囲気を表すにふさわしい「最凶の剣士」または「同胞殺し」と恐れられているアルクネメ・オー・エンペロギウス。


 その場に向かう新入生である男子学生に、興味とその後の不穏な展開を好奇の目が集まる。

 いつしか喧噪の音が途絶え、陽気な音楽を演奏していた学生もその手を止め、ゆっくりと歩く男子学生とその先の女子学生二人の動向に注目していた。

 その間には障害物の無い道がある。

 ブルックスは一歩一歩、その道を踏みしめていた。


 目の前の幼女と言ってもおかしくないリーノの姿はブルックスの目には全く入っていない。

 その横に腕組みをして立っている女性にのみ、ブル一クスの意識は集中していた。


 豊かな金に輝く長い髪が、少し波打つようなウェーブで背中まで流れている。

 あの夜にその目に焼き付いている美しい碧い瞳には、強い輝きでブルックスを圧倒しようとしていた。

 だが、その奥にまるで外の世界を怖がるような幼く頼りない揺らぐ心が見て取れた。

 その瞳の周りの長いまつ毛がわずかに振るえている。

 金の眉毛も凛々しく切りそろえられ、その芯の強さを誇張しているかのようだ。

 線の細かった頬の形は、力強い稜線に変わったようには見える。

 肉付きの薄い唇にはかろうじて保水のためのクリームが塗られている。

 他の女子学生に比べれば、全く化粧っ気がない。

 それでも、その美しさを損ねることは無い、とブルックスは思った。

 鼻梁の形もブルックスが覚えていたものと一致する。

 ただ、見つめているだけでも、飽きることは無かった。


 アルクネメの顔は、この会場に入ってきたときのような視線が泳いぐような挙動はなかった。

 しっかりとその瞳はブルックスを捉え、今は微動だにしない。

 ただ、その瞳にはブルックスに対する愛情のような優しさは一切感じなかった。

 それをブルックスは悲しく思う。


 アルクネメがブルックスに記した置手紙。

 そこにアルクネメの想いは確かに残っていた。


 2年半の生き方により、アルクネメの身に何が起こったかはわからない。

 その結果がアルクネメの心情が変わってしまった可能性はある。

 だが、その結果がこのアルクネメの射るような視線だというのであれば、それは置手紙の内容から、アルクネメの胸の内は全く変わっていないのではないか、とブルックスは思っていた。


 人を殺したという告白は、その根底にやるせない思いが間違いなくある。

 それゆえ、血で汚れた自分から愛する人を遠ざける手段としか、ブルックスには思えなかった。


 アルクネメは、今はまだ自分と顔を合わせたくはない。

 ブルックスもその感情は、理解していた。

 だが、アルクネメを見つけてしまった自分の激情を抑えることなど出来ない。

 それが、ブルックスのすべてであるかのように。


 あの夜の姿を最後に、今までアルクネメの姿を見てはいない。

 あの月あかりを浴びた神聖な輝くアルクネメの姿と比べると、今の肉体は一回りも二回りも大きくなったように見える。

 単純に背丈だけでも自分より10㎝は高くなった感じであり、その腕も自分の腕より二回りは大きかった。

 仮に戦場でアルクネメに敵対する形で遭遇すれば、死神のように映る事であろう。


 だが、ブルックスには「魔導力」を、「テレム」を見る力を持っていた。

 アルクネメが壁に背を持たれるようにして、腕を組んで立っているその姿は、恐ろしく不遜な態度に映るはずだ。

 「最凶の剣士」・「同胞殺し」と呼ばれているアルクネメは、その声に対応するためにこの学校では強者の雰囲気を纏っている。

 それがブルックスには悲しく映った。


 アルクネメのその外見は、虚像であった。

 虚像ではあったが、おそらくそこに実体があるように触れたものは思うだろう。

 アルクネメは常時「テレム」で作り上げた体を自分の周りに展開させているのだ。

 その魔術は分身現象に分類される「幻体」の応用である。

 自分の姿に似せた外見を大きく展開させ、自分の身をその中にとどめている。


 その外見から透けるように中にいるアルクネメの本体をブルックスは把握していた。

 そう言う行動をしなければならない、アルクネメの今の状況を哀しく思いながら、アルクネメの距離を縮め、そしてもう一歩で手が届く位置に達しようとした時だった。


 二人の間に小さな影が割って入ってきた。


「貴様は誰だ!なぜアルクネメ卿に近づくか!」


 その体からは想像がつかない怒号がブルックスに叩きつかれた。


「われはアルクネメ卿第一の弟子で、新入生「最高魔導執行者」であるリーノ・アル・バンスである!名を名乗り、この場に来た思惑を言え!」


 この交歓会は武器の携帯を禁止している。

 だが、「最高魔導執行者」にとって、「魔導力」そのものが武具である。

 武器の携帯の禁止は事実上意味がない。

 それが証拠に、いま、リーノの周りから「テレム」が集積されつつある。

 すでにブルックスの体内の「テレム」を何者かが操ろうとしているのを、無効化させている。


 この少女がどれほどの修羅場を経験したかはブルックスにはわからない。

 だが、今朝方のヒングルよりは戦い慣れしてるのは間違いなかった。


 まさかここで一戦交える気は内であろうが、威圧のかけ方は手慣れた感じすらあった。

 今のブルックスにリーノとの戦いで勝てる見込みは全くない。

 命があればしめたもの、程度だ。


 リーノとの間の緊迫した雰囲気は、この会場全体に広がっている。

 つい数時間前のリーノの戦闘を見た者にとって、すぐにでも逃げ出したいというのが本心であろう。

 異性のことを気にしている余裕はなかった。


「私は今年の新入生で、ブルックス・ガウス・ハスケルという者です。リーノ卿の強さは存じております。先の模擬戦で歴戦の騎士と知られるミリッター卿を堂々と倒した姿は、忘れようがありません。」

「ふん、世辞のうまいやつは信用できんな。それで、この学校随一の剣士、アルクネメ・オー・エンペロギウス卿に何用だ。ブルックス、お前もこの方の噂くらい聞いているだろうに。」


 リーノは確かに何も武器は持っていない。

 その両手は先程から開いたり閉じたりしている。

 これは「魔導力」のの集中力を高め、この辺り一帯の「テレム」を臨戦状態に持って行こうとしている予備動作だ。

 言い換えれば、リーノに見えない刃を喉元に突きつけられているに等しい。

 ブルックスの見る「テレム」は既に刃を持った剣の形に収束しているように見えた。


「噂は存じてますよ、リーノ卿。」


 その声に小さな体に守られるように控えているアルクネメの身体が緊張し、ブルックスを見るその瞳の中に、怯えの色が濃くなったように感じた。

 アルク姉さんは何に恐怖して、このような幻体の中で俺を見ているのだろう?

 アルクネメの緊張がリーノにも伝わったようだ。少し後ろを振り返る。


「大丈夫ですか、お姉さま?」


 まるで本当の姉の身を心配するような口ぶりだった。

 だが、アルクネメには妹はいない。

 エンペロギウス家もハスケル家も子供は一人ずつだ。


「大丈夫よ、リーノ。彼が私を傷つけるようなことは一切ないわ。」


 瞳の中の怖気づく心を隠し、凛とした声でリーノにそう告げた。

 リーノの小さな右肩にアルクネメは自分の左手を置き、そっと、自分の前から横にずれるように促す。

 軽く息を吐いたり吸ったりした。

 そしておもむろに目線をブルックスに固定したまま、口を開いた。


「お久しぶりね、ブルックス・ガウス・ハスケル。大きくなったわ。」


 親しそうにしながらフルネームをブルックスにぶつけ、先程まで怯えの色のあった瞳が、今は冷たさを増して、ブルックスを射貫く。


「本当に久しぶりです。アルク姉さんの部屋で過ごして以来、2年半ぶりだ。」


 暗に、アルクネメの部屋での情事を思い起こさせる表現を使って、ブルックスはアルクネメの本心を引き出そうとした。


「そう、ね。もうずいぶん経った気がする。2年もの月日があれば、人はたやすく変わるわ。ハスケル学生も大きくなって、この学校に入学してきたなんて、驚き以外の何もでもないわね。」

 だが、ブルックスの言葉に何の反応も示さないどころか、完全に近くの知り合い程度の間柄であるかのように周囲に分かるように振舞う。


「この子はね、リーノ。うちの実家の近くで「魔道具工房」を営んでいるハスケル家の息子さんなの。幼い頃は一緒に遊んだりした、いわゆる幼馴染という間柄よ。」


 完全に無難な線引きをアルクネメは引いた。

 間違ってはいない。

 だが、決定的に情報が足りないだけだ。


 アルクネメの言っている言葉だけ聞いていれば、優しい近所のお姉さんといった雰囲気だろう。

 しかし、そのブルックスを見る目は、何かを懸命に隠そうとして、射抜くような視線を発している。

 明らかにアルクネメの言動に統合性が見られない。

 ブルックスは、アルクネメが強固な心の壁を築き、自分の本当の心を隠していることをたやすく見抜いた。

 胸の内は見ることが出来なかったが、その挙動が、「テレム」や「魔導力」のチグハグさが、雄弁にアルクネメの想いを物語っているようにブルックスには感じ取れたのだ。


 だが、そのアルクネメの想いとは別に、明らかにアルクネメの「魔導力」とは全く異質の、極論で言えば、人でさえない「魔導力」がアルクネメの心を包んでいる事にも気づいていた。

 その異質な「何か」は、アルクネメを守るように動いているが、ブルックスに敵愾心を持っているようには感じられない。

 それは、ただ観察をしているだけのように思えてならなかった。

 その異質な「何か」が気にならないわけではなかったが、アルクネメを傷つけるような存在ではなく、さらにブルックスを害するものではないことが感じられた。


 アルクネメがリーノをどかし、結果的には相対している距離。

 この距離が、待ち焦がれた最愛の人の自分への想いだと確信した。

 であれば、ブルックスに出来ることはただ一つ。




 ブルックスは腕組みをして、上から人を見下ろすように見ているアルクネメを、いきなり抱きしめた。


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