第40話 自己紹介
アルコールは出ないという話ではなかったか?
明らかにアルコールと思われる臭いがブルックスの鼻をついた。
その発生源は隣のテーブルの講師陣からである。
彼らは確かにいい大人である。
法令的にも、肉体的にも酒を飲んでも問題ない。
このクワイヨンでは17を越えれば法令的には飲酒は認められている。
だが、朝食時にこの寄宿舎を管理するマーネット皇女殿下が、厳に酒類は飲まないようにと言っていたはずだが…。
隣のテーブルの講師陣とともに、琥珀の液体から発砲している、明らかにビールと思われるものをマーネットは飲んでいた。
さらに赤、白、ロゼと思われるワイン、終いにはラベルにしっかりと蒸留酒と書かれた瓶をコップに傾けているのだ。
まだ、正式には自己紹介はしていないのだが、10代前半で占められるブルックス達新入生の2つのテーブルでは、どう対処していいかわからない状態だ。
これが職場での歓迎会なら、率先してお酒を注ぎに行くべきなのかもしれない。
だがまだ若すぎる自分たちでは、何をどうすればいいか、ブルックスには判断のしようがなかった。
「ほら、ブル君、ちゃんと飲んでる?」
案の定、顔を赤くしたマーネットがブルックスに絡んできた。
いろいろ不満を抱え込んでいることは充分理解していたが、酔っぱらって絡んでくることは、本当に勘弁してほしい。
この気持ちをどうやってこの酔っ払いに聞かせるべきか、思案せざるを得なかった。
そんなブルックスを、同じテーブルの他の6人は、少し引いた感じで見ていた。
巻き込まれることを嫌がっているのは明らかだ。
「飲んでますよ。このリンゴジュース、おいしいですね。」
酔っ払いには何を言っても無駄だという事は、自分の父と祖父を見て熟知していた。
二人とも、こと仕事に関しては尊敬しているのだが、エンペロギウス家の食堂で飲み始めると、二人の回収はブルックスに回って来る。
酔っ払い二人を宥めつつ家まで戻すのに、いつも苦労させられていた。
「ブル君さあ~。17歳でしょう?もうお酒飲んでるよね?」
それが当たり前とばかりにマーネットが問い詰めてくる。
ブルックス自身も中等学校を卒業した時、祖父に無理やり飲まされた経験はある。
だが次の日の頭痛と、吐き気は今でもトラウマだった。
落ち込んでいたブルックスを励ますつもりで、祖父のミフリダスが酒を飲ませて、気分転換のつもりのようだったが、ブルックスはその時の祖父の行動には恨みをいまだに持っていた。
「きょうは、酒なしっていったの、マーネットさんでしょう?」
「はあ~、わたしい~、そんなこちょは、言ってません~~~。」
典型的な酔っ払いだ。
監督する立場のモノがこうなのだ。
上級生が静かにジュースだけで済むはずがなかった。
だが、そんな絡み酒のどうしようもない酔っ払いは、演壇からの言葉に、そそくさと自分のテーブルに戻っていった。
「まあ、規則を決めた人が、率先してそれを破るという、本当に大人の汚さを見せつけられておりますが、今回の主役である新入生に、自己紹介と、この学校での抱負を聞いておきたいと思います。でないと、誰も緊張している新入生のことなど忘れそうなんで。じゃあ、こっちのテーブルの子からこの演壇に登って自己紹介と、この学校でやりたいことなどを簡単に話してください。」
この「アルス寮」の自治長、サダムス・アルトがこの場を仕切っていく。
2つのテーブルに別れていた新入生14名が壇上に適当に並んだ。
「君たちは今日から「クワイヨン国高等養成教育学校」の学生だ。そして2つある男子寮のうちの一つ、この「アルス寮」への入寮を歓迎する。うちの監督をすることになっているマーネット管理官があの有様なので簡単にこの「アルス寮」について、説明しておくよ。新入生は君たち14名。後の男子新入生14名はもう一つの男子寮、「テクネ寮」にいる。女子の寄宿舎である「エピュテーメー寮」には10名、「ロゴス寮」には9名の女子新入生が入寮した。この4つの寮には、全くその差はない。寄宿舎への配属決定は完全にほぼランダムだ。唯一の例外は同性の血族がいる場合は、極力別々になるように配している。何故かわかるかね?」
横一列に並んだ新入生の前に回り込み、アルトがそう尋ねた。
そして目の合った学生に声を掛ける。
「えっと、フサリム・デスパ君。どう思う?」
自分よりは確実に年下である者に、結構高度な事を聞くもんだ、とブルックスは思った。
通常なら、10代前半の子供と言っていい新入生は、少しでもその環境になれるための措置として、知り合いと距離の近いところに配してもおかしくはない。
だがここは、将来このクワイヨン国の要職につく者たちを教育する学校だ。
となればおのずと答えは導かれる。
「わ、解りません。」
と言っても、解らなくても当然だろう。
幸か不幸か、自分には知り合いがこの学校に強制的に入学させられた人物がいた。
本人とその親、さらには聡明な、というか好奇心でできていると言っていい父親がブルックスにはいたのだ。
「ふむ、そうか。大した話ではなかったんだが、緊張させてしまったようだね。では代わりに……。」
そう言ってアルトは他の新入生に目を向け、そしてブルックスに半ば強引に目を合わせてくる。
これはさっきランド先輩と一緒にいたからだな。
「ハスケル君、だったね。さっきランドと一緒にいた。君はわかるかい。」
そうなるだろうとはわかっていた。
そしてこの「アルス寮」の自治長であることから、ブルックスが「高齢者」であることも当然知っていて聞いてきた。
いや、それだけでなく、今朝がたの騒ぎの関係者という事も理解しているのだろう。
「おそらく、という事でなら。」
「構わないよ、ハスケル君。」
「この環境は、基本的に皆公平なスタートを意識したのではないかと思います。この学校の特性上、トラブルに対して自分で考えて行動することが必要不可欠です。最初からこの学校のことを知っている親族に手捕り足取り教わることは、その公平性の上で、さらに自分で考えるという事を否定してしまいます。自分の意思で他人に教えを乞う分には問題ないと思いますが、最初から自動的に与えられるのはフェアではないし、その人の成長の阻害にもなる。そう言う考えではないでしょうか。」
黙って聞いていたアルトが頷いた。
「うん、正解だね。」
そう言って新入生を見ていたアルトは、もう一度並んでいる新入生の後ろに位置する演壇に戻った。
「では諸君!今ハスケル君が言ったことについて、若干の補足を加えたい。在校生の先輩方の中には熟知しているものも多いと思うが、この学校の最大の特徴、それは本人の意思に関係なく、その「魔導力」ゆえに半強制的に来ているという事だ。徴兵制と言ってもいい。どの国も、「魔導力」を基準に、その国の特殊機関である「高等教育養成学校」を持っているが、特に「魔物」の暴走によってその句が壊滅的な被害を被ったフワンツ国では、「特例魔導士」だけでなく、男女問わず16歳から3年間、「バベルの塔」管理下での軍事教練が実施されている。基本的には拒否はできないのが、さらなる暴走に備えるため、それまでの自由主義から軍事独裁国家に変わった。それが功を要し、今では「暴走」前の80%までその国力を戻しているとのことだが、国民に疲弊が感じられているという説もある。この学校もその徴兵制と大差はない。ただ違うのが、ここでの真面目な鍛錬はこの国の将来に直結しているとのことだ。そのため、この学校は基本的に公平であり、その能力でのみ判断される。」
フワンツ国での「魔物の大暴走」は、人類全体に大きな影を落としたのは事実である。
「魔物の巣窟」として知られている場所はガンジルク山だけではない。
規模からいえばもっと広範囲の「魔物」の巣窟があり、その規模から3大巣窟と言われている。
フワンツ国の近く、クワイヨンとガンジルク山よりも近い場所にアララギ森林と呼ばれる地区があった。
ただ、この周りは砂漠に囲まれていて、ガンジルク山の周りの草原よりも「テレム濃度」が低い。
そのため、「大暴走」以前は、「魔物」の素材を求めて多くに冒険者チームでフワンツ国は賑わっていたのだ。
今でもフワンツ国への「魔物の大暴走」がなぜ起こったかは判明していない。
ただ城壁が破られ、多くの「魔物」の侵入を許したことにより、人口の実に30%も失うことになったのである。
「この学校での公平さを担保するうえで、皆、入学時に伯爵位と大尉の肩書が付与される。これは出自による差を極力なくすためである。また1年に2度の武術大会、1度の「魔導」試練。この結果が後の課程への割り振りや、国家職への就職につながると思ってほしい。さらにチームを組んでの実戦も用意されている。君たちの賢明な行動を期待したい。」
速い話が真面目に講義や実戦演習に参加しろと言いたいわけだ。
ブルックスはそう自分の中でアルト自治長の話をまとめた。
「話が長くなって申し訳ない。新入生の自己紹介後、「エピュテーメー寮」との交歓会となる。皆、紳士的にふるまうように。」
そう言うと、一番隅にいるブルックスに目配せをしてきた。
こう言うとがあるから、あまり上級生に顔は覚えられたくなかったのだが…。
仕方なくブルックスは一歩前に出た。
このステージの下でこちらに目を向ける上級生たちを見下ろす。
その「魔導」が自分に対しての興味を如実に語っていた。
「初めまして。この学校に入学したブルックス・ガウス・ハスケルです。父が魔導個具を作成・修理する工房を経営していて、その後を継ぐため「魔道工具士専門学校」に通っていましたが、「特例魔導士」になってしまい、この学校に入学することになりました。できれば「魔道具」に携わる研究開発部門に進みたいと思っています。」
自己紹介を終えたブルックスに力のない拍手が送られる。
その最中に「やけに老けてないか?」「奴が「高齢者」だよ」というような会話がなされている。
そこに加え、「ヒングルを警備兵に突き出した張本人だ」という声も混ざっていた。
なかなか平穏な日々は得られないようだな。
密かにブルックスはそう思って、ため息をついた。




