第36話 貴賓観覧席での慟哭
ブルックスは明らかにこちらを見て、自分を認識したはずの金色の長く美しい髪をなびかせている女性の名を連呼した。
この広いとは言えない貴賓観覧席の個室で、そして胸の中で。
実際の声は届くことは無かったが、ありったけの心の叫びは彼女、アルクネメ・オー・エンペロギウスの心の壁をすり抜け、確実に伝わった感触があった。
あの夜、二人の愛の行動で絡ませた想いの波動のような温かさが返ってきたのだ。
間違うはずがない。
だが、彼女はこちらに寂しげな顔を見せたのち、毅然とした態度で反対側の賢者たちに向き直り、足早にその闘技場の出入り口に向かったのだ。
ブルックスがここにいることを知りながら……。
「アルクネメ―――!」
気付いたら、涙が流れ落ちていた。
すでに愛する人の姿は見えない。
ブルックスはどうすることも出来ない苛立ちを、拳に込め、目の前のテーブルに叩きつけた。
そのテーブルは貴賓車用に特注であつらえた、最高級のティーテーブルであったが、いとも簡単に壊され、崩れた。
その瓦礫となったテーブルの中にブルックスはしゃがみこんで、ただただ、こみ上げてくる激情を、アルクネメを想う心情を、止めどもなく流れ落ちる涙に託すしかできなかった。
「ブル、お前、あの女騎士と、し、知り合いなのか?」
ランデルトは恐る恐るという動きでブルックスに声を掛けた。
他の新入生は、比較的温厚と思っていた年上の同期を、その荒れっぷりに恐れをなして、部屋の隅に二人で身を寄せ合っていた。
「なあ、あの女、いや、女性が誰か知ってるんだろう。」
再度のランデルトの質問に、泣きじゃくっていた顔を上げる。
まだ涙は枯れていない。
「知り合いなんだな?」
少し強い口調でランデルトがもう一度尋ねた。
その問いに、弱々しく肯定する意味で頷いた。
「あの女性騎士こそ、4年次の悪魔とまで呼ばれた「最凶の剣士」アルクネメ・オー・エンペロギウスその人だ。この学校の女子を襲おうとした凶暴な暴君で知られたライオネル・ビルクンドと、そんはいkあの半グレたちを完膚なきまでに叩きのめした張本人だぞ。関わらない方がいい人物だ。」
その言葉に、ブルックスが涙にまみれた顔をランデルトに向けた。
その瞳は冷たい光を放っていた。
「アルク姉さんは、俺にとって一番大事な人だ。先輩であっても、侮蔑することは許さない。」
その言葉は、今から殺すと言っているのと同義だとランデルトは直感した。
この田舎から出てきたばかりの純朴な少年の言葉ではなかった。
どれほどの想いがあの最凶の剣士にあるのか、ランデルトにはわからない。
だが、簡単に触れてはいけない、という事は理解した。
「いや、すまなかった、ブル。」
真摯に謝るランデルトに、ブルックスは張りつめていた自分の気持ちを少し緩めることが出来た。
ポケットからハンカチを取り出し、ぐしゃぐしゃな顔を拭う。
そんなやり取りをマーネットは全く取り乱すことなく、メルナの入れてくれた紅茶を口に運びながら見ていた。
ブルックスがいつ暴発してもいいように、二人の間にはメルナがいた。
「知っていたんですか、マーネットさん?」
ブルックスの問いかけにも、薄い笑みを浮かべながら紅茶を一口、口に含みティーテーブルに戻す。
「詳しいことは知らないわ。でもアルクネメ・オー・エンペロギウスが復学したことは当然知っています。だけど、彼女とあなたがどういう関係課は知らない。たとえ出身地が一緒だったからと言って、誰が二人の間に因縁めいたものがあるなどと考えるかしら?」
「だが、知り合いが「リクエスト」に参加したことは言った。」
「それならば、あなたは卒業して何処に行ったかはわからないと言っていた。違うかしら?その人物が女性だとも、まだ3年次だったとも聞いていないわ。隠したのは誰?」
「それは…、確かに俺だ。変にアルク姉との事を怪しまれるわけにはいかなかった…。」
窓の向こうを見ていたマーネットは軽くため息をついて、その体を仁王立ちしているブルックスに向けた。
メルナがマーネットより一歩前に出る形で、既に応戦態勢を整えている。
ブルックスは視界の隅でメルナの行動を確認しながらも、一歩も引く気はなかった。
必要とする情報が多すぎた。
アルクネメが何故この学校に戻っているのか?
賢者と知己になっていることは当然だが、あの暴走馬のような少女との親しさはどういうことか?
それよりも、2年以上前の彼女とは比べようもないほどの「魔導力」をどうすれば身につくのか?
この場からも解るアルクネメ以外の「魔導力」の波動が混じっているわけは?
そして、もっとも重要なこと。
アルクネメが別れの手紙に書いた「人を殺した」という事。
多くの疑問がある。
だが、この目の前の王族の女性はどこまで知っているのか?
「私も、あなたとアルクネメとの関係を知りたいところだけど…。」
そう言って、マーネットが立ち上がった。
「あなたも、彼女に聞きたいことがあるんでしょう?私になんか聞くよりも、そちらの方が有意義よね。」
その挑発的な発言は、ブルックスの心の一番欲していることを逆撫でした。
「それが出来れば…。それが出来うることなら、すぐにでもアルク姉さんの所に飛んで行っている!」
「言ったでしょう?そうならないように、ここに君を閉じ込めたと。」
「やっぱり、知っていたんじゃないか!俺とアルク姉さんのことを。」
「それは誤解ね。あなたは基本的にいい人で、そして自らの正義に忠実に動く人間だと思ったの。この闘技場で理不尽な殺人ショーが起これば出て行こうとするほどに。」
「それ程、あのリーノという子は強いという事を知っていたんだな。」
「これでも王族の端くれなの。そういった情報、特に「バベルの塔」絡みはよく入ってくるわ。実際、彼女が抑えなければ、あのガールノンド・ミリッター卿はボロボロに切り刻まれていたわ。」
その言葉には、流石にブルックスも頷くしかなかった。何が彼女のブレーキを外したかまでは解らなかったが。
「それでも、アルクネメとあなたが知り合いだという想像はしたのよ。仮にあなたの卒業した知り合いという事が、私のような学校の関係者に知られたくないと仮定すればね。君のここに来た経緯も気になるのよ。あなたもさっきの「サルトル」様と関係があった。先程のアルクネメの様子からも「サルトル」さもとかなり親しい間だとは分かるでしょう?同じ出身地。賢者「サルトル」との知り合い。そしてあなたの「リクエスト」に参加した知人のこと。想像するネタはあったわ。」
そう言って、マーネットはまた窓の向こうに、もうすでに姿を消して時間のたったアルクネメの表情を思い出した。
「このティーテーブル、結構するのよね。」
破壊された品のいいテーブルの残骸である木片を取り上げ、小さな声で呟いた。
しばしの間目を瞑ったマーネットは目を開き、ブルックスの瞳を直視する。
「彼女が何を考えて、あなたに何を想うのか。私にはわからない。ブル、あなたがそれを知りたいなら直接聞くことね。」
「どういう意味ですか?」
「この学校の生徒は原則、寄宿舎生活をすることになっているわ。彼女は「エピュテーメー寮」の寮生よ。これからの交歓会で会うことになるのよ。」
マーネットの言葉に、ブルックスの心臓が一瞬止まった。




