第30話 マーネットの私室にて
「本当に僕もここにいていいんですか?」
コウイチ・ホシノ・ヴィーウィンが緊張しながら言った。
前回二人で座っていたソファには、ブルックスと共にスコット・マーリオン、コウイチガ3人で座っている。
ランデルトは前回マーネットの座っていた一人用ソファに腰かけていた。
挟まれるような形、中央の席にマーネットが座って、メルナが今淹れてくれた紅茶に口を付けていた。
「ええ、問題ないわ。ようこそ「テクネ寮」のヴィーウィン君。ちょっと新入生の君たちに聞きたかったことと、ブル君に確認することがあってね。今サンドイッチを侍女のメルナが作ったところだから、遠慮なく食べて行ってね。すぐに君たちの代表の模擬戦も始まるだろうし。」
マーネットがそう言うと、すぐにメルナが大きな皿に色とりどりのサンドイッチが並べられて、テーブルに置かれた。
「で、何が聞きたいのですか、マーネットさん?マーネットさんも、さっきの入学式に参列してましたよね。」
王族側の席にマーネットがいたことを確認していたブルックスが言った。
わざわざランデルトを差し向ける意味がわからない。
マーネットはランデルトにも何かを聞くためにこの場に呼んだのだろう。
ランデルトは入学の式典には参加していないため、細かいことは解らないはずであった。
「そちらからも聞きたいことがあると思ったけど、まあいいわ。遠慮なく食べてね。うちの侍女は料理の腕もいいのよ。」
「ええ、毒などは持っていないので、警戒しなくともいいですよ、ブルックス・ガウス・ハスケル君。」
そう言って、非常に好戦的な目をブルックスに向ける。
メルナがブルックスに対して、警戒を解いていないことを暗に示した。
ブルックスはその射貫くような視線を、懸命に感じないようにしながら、目の前のサンドイッチに手を伸ばす。
今のメルナの言葉が、他の3人の緊張を上げたことを感じた。
ここで自分がこの食べ物に毒が持っていないことを証明する必要がある。
メルナを警戒してはいるが、それは自分たちを殺すかもしれないという疑惑ではなく、自分たちを利用しようとしているマーネット皇女に対しての警戒からだった。
特にブルックスが賢者と知り合いだという事は、迂闊に手を出せない存在だという事もマーネットもメルナも十分承知していることだろう。
例えそれが、か細い縁だとしても…。
「いただきます。」
口にしたサンドイッチにはハムと卵、そして新鮮なレタスが挟んであり、おいしかった。
アルクネメの実家の食堂の味よりは落ちるな、と不謹慎にもブルックスは思いつつ、さらに手を伸ばす。
「おいしいですよ、マーネットさん、それと、メルナさんありがとうございます。」
「お口にあったようで、光栄です、ブルックス君。」
「メルナさんもブル、でいいですよ。みんなそう呼んでくれるんで。」
「では、そう呼ばせていただきます、ブル君。」
二人の間の緊張がゆるんだように見えたのだろう。
他の新入生二人も恐る恐るサンドイッチに手を伸ばした。
ランデルトは関係なく既にむしゃむしゃと食べ、紅茶を飲んでいる。
一見すると非常にリラックスしているが、メルナに対しての一定の警戒は解いていない。
初対面でランデルトとブルックスを排除しようとした女性である。
警戒して当然だった。
「あなたは新入生代表ともいえる「最高魔導執行者」という栄誉の対象者、リーノ・アル・バンスを知っているかしら?」
「いいえ、全く知りません。さっきの入学式で初めて見ました。さすがは新入生のトップだけはあるな、とは思いましたが。」
「それはどうして?」
「どうしてもこうしてもないでしょう?賢者と臆することなく対等に話して、騎士団の副団長との試合を面白がっているなんて、普通では考えられません。」
「それだけ?」
鋭い眼差しがブルックスに向けられた。
紅茶をすすり、軽く息をつく。
「言いたいことは解ります。非常に強い「魔導力」を感じました。」
正確には「見た」というべきだろうな、とブルックスは胸の内で思う。
「テレム」の流れも、「魔導力」の大きさも「感じる」というより「見える」のであるから。
「やっぱりあなたは特別な才能を持っているという事ね。うちのメルナも似た様な感じではあるけど…。」
「マーネット様、それは…。」
「いいのよ、どうせブル君にはバレているわ。それで、そう言う感じの「魔導力」の人、他には知らない?」
「いえ、全く知りません。彼女の「魔導力」は特別です。」
「特別なことはわかっているわ。でなければ、あんなに小さい体で「最高魔導執行者」になることは無いもの。」
「一番「魔導力」があったのは、当然のことながら賢者「サルトル」様です。その次には観客席から感じました。保護者の方かもしれませんが…。その次に、そのリーノという「最高魔導執行者」でした。ただ、騎士団の副団長の方、この人も強力な「魔導力」を感じました。」
「そうね、あのアクエリアス騎士団の副団長、ガールノンド・ミリッター卿の実績は非常に面白いから。」
意味深ないい方をマーネットがした。
「その言い方は気になりますよ、マーネットさん。」
さっきからかなりの数のサンドイッチを食べていたランデルトが、紅茶を全く味わうことなく、そのまま飲み込んだ後でマーネットに向かって言った。
そんなランデルトを見て、マーネットは微笑んだ。
優し気に微笑んでいるようなのだが、スコットとコウイチはブルックスとのやり取りで不穏なものを感じているようで、少し怯えが見える。
二人は気づいていないが、「魔導力」と「テレム」がマーネット、メルナ、ブルックス、ランデルトの気持ちの揺れにに絡み合い、「特例魔導士」である二人の危機認識力を煽っていたのである。
「ミリッター卿はこのクワイヨンの国籍を持っていないのよ。」
「それって、外人ってことですか。」
「そうよ、ランド君。彼はムゲンシン国の聖騎士なの。」
それにはさすがにランデルトもブルックスも驚いた。
冒険者や傭兵であれば、外国人は珍しくもない。
だが、正式な騎士団、特にアクエリアス騎士団のような大騎士団に所属する騎士が外国人であることは少ない。
それが副団長となると、その例は聞くことが無い。
「ムゲンシンと我が国は友好国なの。それだけでなくて「魔物」の巣窟、ガンジルク山が近いというのも協力する理由でね。前回の「リクエスト」は「バベルの塔」の需要物資が積まれた「天の恵み」の回収だったから我が国だけの単独作戦になったんだけど。ただ、強大な「魔物」の出現とそれに対応した結果、多数の死傷者を出してしまった。時を同じくして起こった叛乱でも犠牲者が出てしまった。この国力が落ちたクワイヨンだとガンジルク山で「魔物」の暴走が起きた時の抑制力に不安が生じてね、ムゲンシンの方から指導教官を十数名派遣してくれた。その一人がミリッター卿というわけ。」
「なるほど。では多くの騎士団にムゲンシンの騎士が入団しているという事ですか?」
「騎士団もだけど、国軍にも入ってるという事よ。中枢という訳ではないらしいけど。」
「でも聖騎士って立場は、あの国の国教の騎士でしょう?そんな重要な騎士がわざわざこちらの騎士団を指導しに来るんですか?」
「彼自身はあの国の国教「八百万神教」の信者ではないのよ。あくまでも守護騎士だけど忠誠心はムゲンシン国にあるって話。もともと傭兵として各国で「魔物」退治の実績があるという話なんだけど、そこをムゲンシンの賢者が口説いたって話を聞いてるわ。ムゲンシンで「特例魔導士」と認定されて入るという事だけど。」
「生まれた時からこのリングをしていたら、国籍を貰うとか、あり得ないと思いますが。」
ランデルトはマーネットに対してそう質問した。
その疑問は他の3人のが新入生も感じたことだ。
「正当に国籍を変えるという手段はあるわよ。国際結婚なんかいい例ね。なかなか他国に行くという人も多くはないけど。でもミリッター卿の場合はそうじゃないの。「リング」をする前、つまり出生届前に捨てられたか…。」
そこでマーネットは、一旦言葉を切った。
4人を見渡す。
後ろにひっそりと立つメルナの顔は幾分暗い。
「盗まれたか。」
その言葉に3人の新入生が驚いた顔でマーネットを凝視した。
ただ、ランデルトは大きなため息をついただけだった。
「うちの田舎は農業で成り立ってる。必然的に子供は農業に従事していくんだが、行商のおっちゃんや、たまに来る大道芸の集団が都会の暮らしを面白おかしく話すんだよ。そうするとどうなるか。若いやつらは、ただ辛い農業を捨てて、憧れだけで都会に行く。まだ都会でしっかり生活できればいいさ。だが田舎もんなんて心の壁をうまく作れない。何といっても農業ってやつは独りでやるもんじゃないからな。」
そう言うと、その顔は苦虫を潰したような顔になった。
「みんなで動くには変に心の壁を持つと、大きな仕事、多人数が息を合わせて行う災害への対応がうまくいかないんだ。で、そのまま都会で騙される。それでも故郷に帰れる奴はマシな方で、結局都会で借金取りにいいように扱われることもある。残された方も人手がない。村のみんなで手伝うんだが、それでも手が回らず、貧しくなって、新たな命を、赤ん坊を一階に売る奴もいる。逆に人手がない若い夫婦はまだ出生届の出ていない赤子を求めたりもするんだよ。ひでえ話でさ。俺なんか「魔導力」があって魔道具を使えたから、極力人を手伝ってた。でも、そんな奴は、ここに強制収容されちまってさ。うまくいかないんだ。」
目を伏せながら話すランデルトにブルックスは胸が締め付けられるようだ。
跡取りがいないのは、ブルックスの実家、鍛冶屋「ハスケル工房」も、エンペロギウス食堂も同じだ。
後継ぎ欲しさに赤子に手を出すようなことは無いと思うのだが、その心情は共感できた。
だからと言って、孤児院から子供を預かるというのも、結構リスクが高い。
孤児院の子はいつも飢えている。
「リング」からすべては「バベルの塔」に筒抜けでも、腹を空かせていれば、目の前のものに手を出すことはよくあることだ。
特に鍛冶屋「ハスケル工房」には貴重なものがたくさん置いてあるのだから。
「そう、「リング」なしの子は高く取引されている。「リング」がなくても「魔導力」を計測する機械はあるからね。特に「魔導力」が高そうな子は、出生届を出さずにこき使うこともあるそうよ。」
「ですが、左腕に「リング」を装着していなければ、すぐにバレそうですが?」
スコットが至極一般的なことを聞いた。
「本当の「リング」を作ろうとすれば、非常に困難だと思う。でもね、ダミー程度ならいくらでも作れるものよ。」
マーネットがスコットの疑問に真正面から答えた。
力のこもった瞳を向けて。
「基本的には乳幼児誘拐の調査は国軍も、3大騎士団も力を入れていて、多くの組織を潰してきた。これはうちの国に限らず、どこの国家も行っているの。その過程で救われたのがミリッター卿なの。」
「それでムゲンシンに恩義があるという訳ですか?」
「それだけではないらしいけど。ただ孤児院時代に「リング」からファンファーレが鳴り響いた。ムゲンシンの「特例魔導士」の学校に入学したんだけど、孤児院出身という事で、あの国の高位の職位の子供たちが嫌がらせをした。」
「でブチギレて、ってとこですか、マーネットさん。」
「そう。これに関してはあちらの賢者が被害者の方に非があることを認めた。でも、4人がかりでいじめてきた奴のリーダーの子を半殺しにしてしまった。」
「なんか、それ、目に浮かぶわ。俺でもやっちゃいそう。」
「その半死半生の子は、一命をとりとめたけど、元の「魔導力」は戻らなかった。学生時代のミリッター卿にも籍を問う必要があると言われていた。でも、「バベルの塔」が介入。学校はやめたけど、名のある冒険者チームに加わって、世界の「魔物」と闘い、ソロの傭兵になった。」
聞いているだけで、悲惨な生涯に思えた。
だが、あの時の「魔導力」の輝きは素晴らしかった。
何が彼を変えたのだろう?
「それから、その実績を見てきたムゲンシンの賢者がスカウトしたのよ。で、今は聖騎士として「八百万神教」の本社を守護する立場。今回の指導教官としてこの地に赴いたのは、各国での実績を買われたためよ。ただ、基本的にはこの国の情勢、情報と言い換えてもいいわね。その収集もあるとは思うわ。」
「アクエリアス騎士団副団長ってポストはかなり重要な職位ですよね。いくら実績があるからと言っても、その騎士団の指南役のような教導的な役職になるんじゃないですか?」
小型飛翔体を強大な「魔物」にぶつけるまでの間に、ブルックスはあの地での会議に実家から遠隔で参加していた。
アクエリアス騎士団はあの化け物、ツインネック・モンストラムとのファースト・コンタクトをした部隊で、かなりの損害を出していたと聞いた気がする。
「確かにそう言う考えもあったとは思うわ。でもね、叛乱を起こしたシリウス騎士団から離脱者がかなり出たの。後「天の恵み」回収作戦に参加した弱小の領主の騎士団の中には意地が出来なかったものも多いの。その路頭に迷っていた残存戦力をアクエリアス騎士団が吸収して、元の戦力を維持しようとしたらしいわ。でも、それって寄せ集めの戦力。アクエリアス騎士団に対する忠誠心はかなり低いのよね。」
「それは一歩間違うと空中分解する可能性が大きかった。マーネットさん、いえ、王族はそう見ていたという訳ですか?」
「ランド君。それは私たちを大きく見過ぎ。そんなに権限は持っていないのよ、象徴としての国王なんて。アクエリアス騎士団の領主、ワルクマン侯爵と騎士団長サザンウイング卿は、当時の副団長であるアクエリアス別動隊を率いていたモナフィート卿をその職から解いた。それは「リクエスト」において多くの死傷者を出したことによる引責辞任という形にしたの。でも、本当はモナフィート卿は水面下で多くの異分子を抱えたアクエリアス騎士団という器を、その指導力で支えたのよ。表には他国の上級騎士を招聘した形でね。でも当然ミリッター卿は「特例魔導士」として、戦力の補強にも、人材育成という観点からも騎士団にとっては最高の人材だった。そして、賢者「サルトル」様は異国の剣客の力を「最高魔導執行者」リーノ卿を使って試そうとしている。どう、この試合、非常に興味があるでしょう?」
「その話なら、確かに興味深いですね。」
ランデルトがそう答えた。
新入生3人は、その裏の話とやらには、全くついていけなかった。
「そう、それでね、ブル君。私が聞きたかったのはリーノ・アル・バンスを知っているかという事だったんだけど、どうも知らないという事は解ったわ。ミリッター卿も言っていたんだけど、リーノの父親が伝説とまで言われる冒険者チームのデザートストーム、その一員であるチャチャナル・ネルディ・バンスなの。実際に会ったことはないかもしれないけど、あなたはきっとあのガンジルク山での「サルトル」様達賢者と共に見ていると思うわ。あそこにいたのだから。」
聞いた気が、する。
「それと…、アルクネメ・オー・エンペロギウスは、そのリーノの父であるチャチャナル・ネルディ・バンスと共に、冒険者として2年間、他国を回っていた人物でもあるの。」
その人物の名に、雷でも打たれたようなブルックスに、ランデルトが目を見張った。
何があるんだ、ブル。
その想いは、だが口には出せなかった。
「な、なんでアルク姉さんの名前が…。」
驚愕のブルックスの言葉に、マーネットは優しい微笑みを返した。
「やっぱり、私に聞きたいことがあるわね。でも時間切れ。「最高魔導執行者」と聖騎士の試合が始まる時間だわ。」
マーネットはブルックスの質問を完全に退け、立ち上がった。




